BGM by ASSO 「虹の音色」
アメリカは好きな国の一つだ。
とくにニューヨークは好きだ。だからいつも行きたい。
しかし、9.11テロ以来なかなか腰が上げられなかった。
暴力は、戦争と同じ。テロも戦争と同じ。物事を解決するのに力ずくは良くない。その力ずくを戦場でなく、
平和な市民社会の中で見てしまったものだから、足がすくんで動けなかった。怖くて仕方ながなかった。
それから5年の日々がすぎた。
私は、恐る恐る腰を上げ、そこに住むわが家族と少しの時を過ごす為に出かけていったのだ。
グランド・ゼロの塀に掲げられた展示
タイムズスクエアから地下鉄に乗りシティーホールで降りた。
地上に出ても、あの頃のように2本のミルクカートンと言われたのっぽビルの頭は見えなかった。私はいきなり
その場所に立つのをためらっていた。
だからここで地上に出てシビックセンターの旗のはためきを眺めてから行くことにしたのだ。
シビックセンターの前に広がる芝生は、常緑を保つ種類のものであろう、生気があった。しかし陽の光は弱く、
風のない朝だった。星条旗も市旗もはためきは止めてだらりとしていた。私の心のように何となく力なかった。
まだ秋の名残はあり、建物を取り囲む木々には色づきのピークを終えた葉がついていたが、風もほとんど無い
のに落ち葉が散らばっていて、それを音を立てて機械で飛ばす清掃人の姿があった。
正門の前からは広く交差する道路の向こうに、上り傾斜のブルックリン橋が見える。橋を吊るワイヤーが橋の
両脇にエッチングの図で描かれたように縦線で続き、先は消えるほどかなたに続いて見える。雄大なアメリカ
を象徴する一枚のスケッチのようであった。かって、この向こうに東から昇る陽を浴びながら西に振り返れば、
そこにワールドトレードセンターの2本のミルクカートンビルが見えたのだったが―――。
振り返った私は、シビックセンターの左側の角を曲がって、少しくすんだ二つの高いビルの間の道を真っ直ぐに
進み、彼の地「グランド・ゼロ」に近づいて行った。
――ここに6本のビルが建ち並んでいたのだ。
たしかにタワーは、ウェストサイド・ハイウェー側に正面があって背の高い1WTCと2WTCが目立っていた。その
2本に飛行機が突っ込んだのである。
私が近づいて行ったのは、その頃の正面とは反対側の5WTCビルの角(東北に角)だったことになる。
建物はすべて無くなっていた。新聞や映画で何回も見た無残な瓦礫は跡形も無く、広大なビル建設現場が薄
雲のかかった空の下に広がっていた。ただ、普通の建設現場と違うのは、そこはおびただしい多くの見参者(私も
含め観光客にすぎないと言うべき人々が多いのだろうが)に囲まれていた。
東側のチャーチストリートに面した塀には、訪れる人々に示す数々のメッセージが掲示されていた。この国が、
ここに世界に対してテロへの憤りを示したもの、この国が建国から今に至った過程、そして犠牲者への追悼の数々
のメッセージであった。
私はこれらの展示につぶさに目を通しながら、行き交う沢山の国々からこの地を訪れている人々の様子にも関心
を寄せていた。このおびただしい人々の大半は親アメリカの人々であろうが、中にはそうではない人々がいるであ
ろうと、或いはアメリカやそれを取り巻く国々の人々であろうとも、犠牲者の関係者であったり、心からアメリカ政策
を受け入れてはいない人々もいるのであろうと気を回しながら。そしてまたチャーチストリートを挟んで立つ、かろう
じて難を免れたヒルトンホテルの窓から、この風景を同じような思いで眺める人もいるのではないだろうかと自分を
客観化しながら。
そこにはすでにマンハッタンからハドソン川を越える地下鉄道のターミナルができていた。金網塀の中央はその
ターミナルへ下る入り口階段となっているのであるが、それはあたかも広いグランドゼロの中へ降りていくために
作られたとでも言えそうな階段に思えた。
階段を降りきった場所の仮設のコンコースのようなスペースにも、事件にまつわる、あるいはWTC(ワールド・ト
レード・センター)に関するたくさんの展示があった。恐らくこの場所はあの忌まわしい出来事の犠牲者たちが、い
たしかたなくなく苦しみの最後を遂げなければならなかった、瓦礫とともに折り重なった場所であろう。
確かにここは地下3階まであったと思うのだが、どうしてここにこんなに土があるのだろう。金網越しに見る土ま
みれの古い骨材さえ哀れみの遺物に見える。そしてハドソン川にかけて傾斜をなしてる工事現場のあちこちには
ブルドーザーやショベルが音を立てて作業を繰り返している。
傾斜の上の方にヒルトンホテルが聳えて見えた。
目を閉じると、黒煙の中に霞んで映し出されたあの日の凄まじい光景が浮かんでダブルのであった。
地球上には人々の戦いがいつの時もこの存在するが、白昼の平和な世界に突如として向けられるものほど惨い
事はない。まして3000を越える人々の命がその犠牲となってしまったのであった。
そのテロを憎む。
アメリカ思想の、あるいは資本主義を前提に発展した自由経済が繁栄し、その象徴として聳えたこのビルが、た
だ異なる思想からテロの標的として狙われたのである。そしてそれは多くの同じ人間同士の命を奪っうことになっ
た。
私はその年の1月、地下3階の地下鉄駅から地下1階の受付を経てエレベーターで90階の事務所へ向かった
思い出がある。私の所属していた会社の事務所がこの1WTC(ワン・ワールド・トレード・センター)にあったのだ。
私の訪問の折も、その1年前やはり1WTCでは爆破事件があり、以来警戒は厳重であった。だから地下1階の
受付では来訪者に対し、その場写真まで撮影して入館章を着けることを義務づけられる程であったのだ。
その時、「自由の国に来て、自由の女神を眺めるために高所を望むのに、随分窮屈な思いをするものだな」と、
同僚と苦笑したのだった。
あの事件で同僚に犠牲者が一人も出なかったのは全くの幸いだった。
地下3階にあった地下鉄の駅は、そこから各ビルに通じるショッピングモールはどんなに混乱したことだろう。
何故か展示写真には、USA繁栄を謳歌するものが多かった。歴史を誇っている印象があった。
そのとなりの網フェンス越しに、外側の通りからも見えた鉄の十字架が見えた。鉄骨の残骸の十字部分をしつら
え、脇には星条旗を掲げたポールが立っていた。
黒い鉄の十字架はとてもいかめしく感じられた。
私は、十字架は力無き人間への神の力の供与とか、時には無言の抵抗のようにも思っていたが、力なく垂れ下
がった星条旗の下の鉄の十字架はいかめしかった。
私にとってグランド0に立つことは唯、世界を震撼させた衝撃的な現場を確かめたいだけのものであったし、自分
の懐かしい思い出の場所に立つというだけのセンチメントであったのだが、感情の高ぶりは必然であったようだ。
瞬時に犠牲となった多くの命、人の争い、文化の崩壊。ここに来れば誰もが、憤りを隠せなくなるであろう。だが
しかし、―――人は争うのである。
いろいろなパネルを見ながらコンコース風の広場でしばらく過ごした。ハドソン川を渡るターミナルホームの利用
者は多くは無いようであった。平日の昼間ならばこんなものかもしれない。人が少なかったから展示も楽に見ら
れたし、金網越しに見る建設現場に残された多少の事件の名残を確かめることも出来た。
外に出て回廊のようになったフェンス伝いにウェストサイド側に下っていった。かつてハドソン川沿いからウェスト
サイドハイウェイを通って車を寄せる所であった正面玄関の場所は単なる荒地に変わっていた。
向かいのワールドフィナンシャルセンターのビルに入り、モダンなフロアーを2階階に駆け上がると、グラスウオー
ル越しにグランドゼロが一望できた。
以前そこには世界の躍動を示す高層ビル群が視界いっぱいに広がっていたのだが、今は何も無い。
工事の喧騒もガラスで遮られて見えるのは初冬の殺伐とした世界であった。
廃墟と化したビルの跡片付けが終わったばかりの工事現場であった。
今そこが廃墟である理由を示すいくつかのモニュメントが置かれている様
に過ぎない光景であった。
「歴史はまたこれから組み立てられる」と思った。
私は工事現場の脇に再び足を運び、北側の通路を歩き、
「今日のこのことを記憶にとどめておこう」と、
言い聞かせながらもう一度黒い鉄の十字架に向かった。
ワールドフィナンシャルセンターから見るグランドゼロ
『風次郎の世界旅』 トップページへ
その旅の帰路へ
ハーレムを歩くへ
スカースディールの週末へ
ニュウヨークで田園を聞くへ
より良き思い出のために
風次郎の『TOKYOJOYLIFE』へ