ハーレムを歩く
                  BGM by Music Cafe


セントラルパークとハーレムの間にあるD.エリントン像(日付はカメラのセットミス)

   メトロポリタンミュージアムを出たのは2時30分であった。午後の陽射しは輝いていて、
  これから入場しようと言う若者達の姿が、まだ、入り口の階段に大勢見えた。
   外は日が当たっているとは言え、さすがに冬の冷たい空気が漂っていた。しかし陽射
  しの輝きは、背の高いビルの上に広がる青空とともに、明るい爽やかさでいっぱいの感
  じであった。となりの広いセントラルパークの白い雪が、日の光を反射して明るさが増し
  ているのであろうか。
   外を歩くのには、好天だと気分も軽やかになってくる。
   風次郎は、朝グランドセントラルに降りて、マンハッタンの空を見上げた時から、メトロ
  ポリタンを日のあるうちに出て、ハー  レムを歩くことを考えていた。もちろん、夜のジ
  ャズの街ハーレム体験をしたいのであったが、それは一人では無理だろうから、せめて
  昼間の街を歩いて、いつかまた誰かに夜の街を案内してもらうことを考えようと思ったの
  だ。
   ハーレムに住み、メールマガジンで「ハーレムだより」を送ってくれているエッセイスト、
  堂本かおる氏のHPから、125マー  チンルーサーキングst.の概略図をアウトして持っ
  ていた。
   今日はその図を頼りに、125st.をくまなく歩いて見ようと思っていたのだ。
   メトロポリタンの前から5thアベニュウを、セントラルパークに沿って北に向かって歩い
  ていった。
   メトロポリタン博物館は、南北に長いセントラルパークのほぼ中央に位置するから、こ
  こから端まではまだ2kmはあることになる。歩いてみると、道が思ったよりうねっている
  のには驚いた。
   メトロポリタンの西側の窓からもセントラルパークはよく見えた。5thアベニュウからだと
  丁度裏に当たるのだが、そこは公園の中央に登っていく坂道になっており、そう高くない
  木々に覆われた雪の小径を人が歩いているのが見えた。公園も、山があったり、湖があ
  ったり、かなり起伏に富んでいるのである。
   道路の脇は、背の高い鉄の柵が巡らされ、手を加えた公園とは言うものの、その昔か
  らの樹は舗道に覆い被さるものも多い。
   日中の気温が、やっと0℃を上まわる位、と言われていたが、陽射しを浴びた道路脇の
  雪は午後になって融け始め、舗道に流れて所々を濡らしていた。風も比較的穏やかで、
  もはや西に傾き始めた冬の太陽に照らされる5thアベニュウの向こうに並ぶ建物達は正
  面が映えていた。
   パンフレッドでよく見る、グッケンハイム美術館や、市立美術館等にも気が引かれたが、
  立ち寄るのは割愛し、どんどん北え向かって歩くこと20分、セントラルパークの終わりの
  コーナーの向こうに、ハーレムのくすんだコンクリートの建物が並んで見えてきた。そして
  その境目の黒い銅のモニュメントは、デューク.エリントンの像であった。
   マントを着て、ピアノの脇に立った不滅のジャズの王様は、5thアベニュウがハーレムに
  移る接点の広場に立っているのであった。
   セントラルパークの森を越えてくる午後の陽射しが、丁度風次郎の向かい合う像の左前
  方から射し込んで、黒い像をくっきりとさせていた。
   しばらく立ち向かったまま、何か相応しい曲を思い浮かべようとしたが、耳を澄ましてもそ
  れらしい曲は聞こえてこなかった。耳を澄ますと、車の音が改めて大きく響き、時折発せら
  れる警笛や、マフラーの効かないモーターバイクの炸裂音のエンベロープが聞こえるばか
  りで、落ち着きはしなかった。
   それは、不安が心の中にあったからだと思う。

   ハーレムは気をつけた方がいい、と訊ねた人は皆そう言った。
   市内に住んで7ヶ月 になる風次郎の長男も“やめといたら”と言うので、“行って見たの
  か?”と聞くと、車で通る時、“黒人ばかりでやはり不気味に感ずる”と言うことであった。
   風次郎は“そんなことでもないだろう”と自分に言い聞かせつつも、ハーレムにはどうし
  ても避けられない怖さみたいなものを感ずるのであった。
   しかし、前に来た時、ガイドの案内で車中から見たこのニューヨークジャズ発祥の地を、
  どうしても自分の足で確かめてみたかったのだ。
   今回がそのチャンスである。
   ハーレムは、本当は125stから北側を言うのだ、と何処かで聞いたことがあったが、中
  心の125stを歩くだけで良いとも思った。

   明るい午後だった。
   125st.の手前を左に折れて、居住区の通りを進んでみた。
   けっして手入れが行き届いたとは言えない建物群が並び、歩いている人は少なかった。
   処々で4〜5人が集まって、何やらガヤガヤと話しているが、その類は男のグループだっ
  た。暇を持て余し、奇声を上げている風態を見ると、ブラックのムードには余計恐怖感を与
  えられてしまう。無関心を装って歩いたが、本当は関心が高まる一方だった。
   先方も、“白いとは言えない変なヤツが紛れ込んできた。”ぐらいに見ているだろうと思っ
  た。
   広い通りの彼方、道路の端に、とても大勢の人だかりがあった。よく見ると、大人だけで
  なく、子供たちも大勢いるので、興味を持って近づいて行った。
   それは、道路脇の建物が小学校で、その退校時間に親が迎えに来ている風景であった。
  母親らしき人達が多く、女性特有の愛情の表現を惜しまず、子供達と連れ立っている姿に、
  安心感を抱かせるものがあった。
   風次郎はホッとする気持ちになった。
   “やはり子供の安全は、ハーレムでも親の手にちゃんと委ねられているのか。”
   一般の生活は何処の世界も変わらぬ様子を見て、心の治まりを感じた。
   迎えに来ている中には男親も混じっていた。学校を飛び出してきて、さっそく父親の腕に
  ぶら下がってはしゃぐ子供もおり、微笑ましかった。
   子供達はそれぞれ嬉々として三々五々、親達もお互いに顔見知り同志で歩き出す姿は
  好ましかった。
   マルコムXアベニューへ出た。
   125マーチンルーサーキングst.との交差点へ行く間に、大きな教会があった。その先に
  は、別の少し小さな教会もあった。
   教会はどこも入り口の扉が開けられるようになっている。石段を上って、入ってみようか
  と思ったが、又不安になり、建物の中に入るのは躊躇してしまった。もともとキリスト教に
  関するたしなみもないのだ。

   マーチンルーサーキングst.に着いた。
   概略図を手にして、先ず西へ、左側の街路を歩いて行くことにした。
   道路は人がいっぱいで、真っ直ぐは進めなかったが、それぞれの店を確かめながら、進
  んで行くにはかえって好都合だった。 風次郎以外は全てがブラックのような気がした。
   ミュージックショップに顔を突っ込んでみた。入り口では、ブラックの若者達が、店員とも店
  員の友達とも区別のつかぬキルティングのジャンパー姿でたむろしていた。通行人でごった
  返しているのに、その歩道にテーブルを出し、間口たった7〜8mの店先に、4〜5個所のオ
  ーディオ演奏台をつくってジャンジャン音を鳴らしているのである。もちろんジャズロックであ
  った。
   聴きながら、身振り手振りで音に乗っかった風は、やはりブラックの音感はからだにストレ
  ートなのであろうことを思わせる。仲間は、互いに奇声を発したりしているので、馴れない者
  は奇異や驚きを感ずるのは当たり前だ。
   その先に、スタジオミュージアム・イン・ハーレムがあった。
   仰々しい建物にあらず、普通のビルのように、きわめてフリーな雰囲気で入れた。
   黒人がこの地に住み始め、古い奴隷制度の時代から、今日まで、どのように、この社会で
  生きてきたかのパネル展示が有名である。前衛の多くのブラックアーティストは、ここを舞台
  に育った。おとなしいものは少ないと思った。
   この国は、リンカーンが奴隷解放に手をつけて以来、人種差別のない民主政治と自由主
  義を標榜し続けているが、未だ完全ではないのだ。幾多の有色人の涙が、又民主化に強
  い意志を示す白人が、社会の障害を乗り越えようと、戦い続けているのである。ブラックは
  その中で、常に弱い立場に置かれ、この「通り」の名前にもなった、キング牧師の行動もつ
  い最近の事である。
   歴代大統領が、民政にその力を注ぎ続ける事の重大性は、そのブラックが国民の10パ
  ーセントを越えてきた今、まだまだ疎かに出来ないと思う。世界にその民主主義の正当性
  を訴えるアメリカが、経済の優越に並べて、実行しなければならない課題は、いかに大統
  領が熾烈な選挙を戦い、誰がなろうとも、取り組むべき第一の課題の筈である。
   風次郎が、ハーレムに入って見たかったひとつの現実は、ここに住み、或いは群がる人
  々の中に、好まざる時間の浪費を行っている人々が多ければ多いだけ、国が富んでいな
  い証左と想像したからである。
   もちろん、そんな関心の中心は、ブラックの人々が、そういった環境の中に作り出した、心
  の広がりの世界を、ジャズやチャタリングや、他の諸々の文化にどんな流れを作っているの
  か、直に感じたい事にもあり、他愛ないのだが、ハーレムの現実はニューヨークを訪れると、
  常に触れざるを得ない、避け難い感傷に及ぶのである。

   いくつかの店は、Drugstoreであったり、Bodygoods shopであったりした。そう言った店に
  は、独特の物は見当たらず、ミッドタウンの5thアベニューや、パークアベニューウェストの
  店と変わらないのに拍子抜けした。むしろ少々脇道の食料品店、日本でいうと昔からの八
  百屋の店先とか、駄菓子屋風なところに、不思議な変わった食べ物が置いてあったりして、
  興味を引かれた。
   最初、体が大きくて、黒くてパワフルなブラックが、声高に乱暴な会話を交わす中に入って
  行くのに恐怖感を抱いたが、次第に違和感なく近づけるようになっていった。
   8thアベニューの交差点で反対側に渡り、東へ戻る事にした。角から3軒目が有名なジャズ
  クラブ「ショウマンズ クラブ」だった。
   狭い入り口のドアは静かに閉まったままだったが、右脇にあるチケット売り場は、ガラス越
  しに中が覗けた。といっても、簡素な売場事務所で、壁にメモが貼り付けてあったり、何に使
  うのかわからないガラクタが置いてあったりした。ガラスの前にビラの束が下がっていて、今
  日明日の出演タレントが書いてあった。いずれにしても夜8時半でないとショウタイムにはな
  らない。店を見るだけの楽しみに終わらせて、歩き続けた。
   マルコムXとの交差点を通過して、「アポロシアター」に寄った。
   ここは地元の一般参加型のステージも繰り広げられるユニークなジャズクラブと聞いていた。
   何となくシアターと言えば言えるエントランスであるが、日本で言うと田舎の映画館の入り口
  のような雰囲気であった。シャッターを上げて二人の男が補修工事をしていた。そのシャッター
  の隣の壁に、ポスターケースがあり、出演中のタレントの写真が乱雑に貼られていた。
   「6時になれば入場できます」と、チケット売場のガラスに張り紙がしてあった。今は4時を廻っ
  たところなので、6時なら一寸覗いてみるかなと、気が乗りかけたが、やはり一人では無理かな
  と諦めた。ここでなら、本場のジャズがきけるのかと、後ろ髪を引かれる思いだった。
   再びコーヒースタンドや小さなレストラン、日用品の店がいくつも眼についた。気軽に会話を楽
  しむ力が自分に備わっていないのが残念だったが、ギクシャク会話でも、気分はブラックの人達
  と近しくなれたようで、新鮮な体験を得ることができて嬉しかった。
   125stから、マルコムXアベニューを真っ直ぐセントラルパークに向かって戻ることにした。
   陽の当たっている雑踏を興味津々と歩いているうちは気にならなかったが、陽が落ちて、しか
  も雑踏を離れた広い通りは、急に寒さを蘇らせた。
   酒瓶を片手にして言い合いしながら、薄汚れた男達がすれ違っていった。コンクリートの古い
  建物の入り口には、風をよけて角にうずくまる人が居たりした。
   その方がやっぱりハーレムだと思わせる風景として適当なのかな、と感ずる自分が、又そこ
  にいた。思い出の修正を言い聞かせたりしながら110st.を渡った。ふとハーレムを逃れていく
  自分を見るような、矛盾が錯綜した。

   セントラルパークの最も北側にあたる場所は、小高い山になっている。北側の入り口はマル
  コムXアベニューの突き当たり、少し西側にあって、園内の道は左右に枝分かれしている。
   街路の雪は、建物などの北側に残る外は余り目立たない程に消えていたが、公園は入り口
  を入ったとたんに雪の原であった。右側の坂道を上っていくと、土手の上が大きな岩場になっ
  ており、岩の壁面には融けた雪が垂れて氷柱がたくさん出来ていた。夕方になっても4〜50
  pの長さがあるということは、日中の気温がそれ程高く上がっていないことを顕わしているの
  か。公園の雪はなかなか減らないだろう。岩場の先は白い雪と冬枯れの林であった。

   坂道を上がっていくと、2匹の大きな犬を連れた老人が降りてくるのに出合った。風次郎は近
  寄って犬を撫でた。老人はニコニコして「おまえも犬を飼っているのか?」と聞いてきた。「小さい
  犬を飼っている。こんなに立派ではないよ。」と答えた。
   朝、南側のスケートリンク(ウールマンリンク)の方で犬を連れた人に会って以来、随分犬を連
  れた人と行き会う。その人達は皆マナーも身なりも良いように思う。時には雪原で放して、ボー
  ルを投げて遊んでいる光景もあった。こんな広い公園で遊べる犬は幸せ者だと思う。
   突然、“犬を連れた黒人には会わなかったな。”と思った。そればかりか、公園内では黒人に
  会っていないことが気になった。  つまらんことが気にかかるものだな、とも思った。
   大きな犬達とはbye bye して坂道を登った。
   坂の上の林はさらに盛り上がった奥の丘の方に続いて、行く手には休憩所のような建物が見
  えた。もともと散策路であろうから、小径はみな曲がりくねっていた。真っ直ぐ行こうとして道を外
  れ、木立の中にはいると、雪に靴が埋まった。雪の音はサクサクと爽やかなものだった。冷たい
  という感触は無かった。
   丘を登りきると、公園を東西に横切る車道が彼方に見えた。その先はまた森が繋がっている。
   夕暮れの雪の公園を訪れている人は少なかった。それでも全く人影が視界から消えることは
  なかった。眼を右に向けるとパークウェイウェストstの街並みに、灯りが灯されはじめ、夜のニュ
  ーヨークのへ衣装替えを思わせた。
   “今日も終わっていくな‐‐‐”
   ハーレムを歩いて新たに味わった想いの数々、興味と実感の違い、経験は何時も新鮮だな、
  と思った。
   夕暮れの白い雪の上で、整理されていくように思い出されてくるのだった。

 下り坂になった林を進み、パークウェイウェストstに出ることにした。
 灯りの向こうに、エリントンの曲、" Perdido"が聞こえて来そうな気がした。
 ”やっと聞こえてくるか!”
 ニューヨークの夜が始まる、と思った。
                                                   (01.01.26)



セントラルパーク、北の入口を入った坂道(写真の日付はセットミス)

*東京に戻って2月にはいると、元大統領のクリントン氏が、ハーレムのビルに事務所を構えるという 報道があった。私は、ついにやったか!と嬉しくなった。事情はともかく、ハーレムはこれでさらに一 段開かれるだろう。
                                                   (01.02.21)

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