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ホテルを8時に出発、アンコールの観光に向かう。今日も上々の天気だ。青空が嬉
しい。
シェムリアップ川に沿ってアンコールワット正面入口に向かう道路を進み、アンコ
ールワットを初めて眼にする。水辺の向こうに横長に続く回廊が見えた。
アンコールワットの観光は午後の予定なので、私たちは先へ進み、先ずアンコー
ル・トムへ向かって行った。アンコール・トムの南大門の通路前でバスを降りると、
広大な地域を巡る見学を象の背中で、と象使いたちが誘っていた。
象は人懐っこく観光客の与えるバナナなどをねだって愛嬌を振りまいて可愛かった。
私たちは歩いて南大門に向かった。石造の神々と阿修羅がナーガ(蛇)を引き合っ
ているという石像が並ぶ通路を進み、顔の長さだけでも3mあるという四面塔になっ
ている南大門を潜る。目前の巨大な石の寺院バイヨンがまるで聳えているように見え
た。
遡る6世紀以来、クメールの王は繁栄の時を、支配者であると同時に死後神となる
神王であったために、ヒンドゥー教、仏教の宇宙観を現世に実現する必要があり、神
殿造営を心がけたのだと伝えられている。
アンコール王都の全盛は12世紀から13世紀にかけてであるが、当時大農業王国
の都シェムリアップ地域には大小さまざまな寺院が建立されていた。そこに王によっ
て手がけられた聖都のシンボル的存在として建立された宗教施設がアンコール・ワッ
トであった。そしてそれから遅れて半世紀後、城壁で囲まれた王都が造られた。それ
がジャヤヴァルマン7世によるアンコール・トム(大きな都)である。
アンコール・トムは、高さ8mの城壁に囲まれた聖都、周囲12kmの城壁内には
十字に主要道路が配置され、その中央にバイヨン寺院が、そしてやや北に王宮が置か
れたのであった。
アンコール・ワットがスールヤヴァルマン二世によってヒンドゥー教ヴィシュヌ神
(ヒンドゥー教三神一体論では、三つの最高神=創造の神ブラフマー、繁栄の神ヴィ
シュヌ、破壊の神シヴァ、の三神)に捧げられたのに対し、時の創建者たる王、ジャヤ
ヴァルマン7世は大乗仏教(個人の解脱のみでなく広い世界に慈悲をもたらす宗教
観)に深く帰依していたが故、その宇宙観はさらに壮大であったのであろう。
古代インドの神々の住む聖域メール山を象徴化したバイヨンは、王による宇宙観の
具現化といった重要な使命を果たすことであったと言われている。
中央にある有名な穏やかな微笑をたたえた観世音菩薩のモチーフは、高所四面塔
にとどまらず、他にも観世音菩薩の顔、顔、顔、であった。これらはバイヨンのどの位置
にいても菩薩の熱い眼差しを感じとる事が出来るように、との配慮と言われる。
尖塔の直下の高所に中央祠堂、その四周を16基の尖塔を配した2層の中央テラス
が囲み、仏陀による人々の救済と言う宇宙観が現されているとのことである。2層の
回廊には全壁面にレリーフが施され、民族軍の戦いの図、生活の図、巡礼の図、象や
虎と人々のかかわりの図、伝説の蛇の図などさまざまな絵巻に接することができた。
中でも私は、第一回廊の人々の生活模様で漁、狩り、炊事、将棋や相撲、出産シー
ンまで赤裸々な表現に、去った時代の懐かしいような、ほのぼのとした思いに浸りなが
ら見入のだった。
バイヨンの北側に東西600m、南北300mの王宮が広がる。
王宮独自の城壁の中にピミアナカス「天上の宮殿」を意味する赤い石の壁を3層に組
上げてピラミッド型に造られた祠堂があり、男池、女池と称されるそれぞれの沐浴場が
設けられていた。
王宮の建物は木造であった為朽ちて今は上物はない。
王宮城壁の南側にはバプーオン(隠し子=伝説による呼び名)という祠堂もあった。
王宮の東側は、塔門に並行して外壁に延々と象の彫刻を施された象のテラス、ライ
王坐像の置かれたライ王のテラスと名付けられ、王族たちが閲兵を行ったスペースが
あり、正面には勝利の門とそこから入ってテラスに進む凱旋道路が真っ直ぐ続いてい
た。
どの構築物にも、また遺跡内に転がっているように散在する一つひとつの建物の破
片にも細やかな彫刻が施され、神を崇めつつ造り上げた往時が偲ばれるばかりであっ
た。
私たちはテラスから連子状の窓が付いた南北のクレアン、三層のプラサット・スウ
ル・プラット(綱渡りの塔と呼ばれる一二塔横並び)の間から凱旋道路の延びる広場
を通ってバイヨンの東門を眺め、聖池の畔を通って外へと辿っていった。
あまりにも壮大な石の都であった。
(風次郎)
仏塔で見かけた若い僧侶達 壁面は彫刻で埋められている
* 9.アンコール遺跡(2)
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