☆☆☆

風次郎の世界旅
 ベトナム・カンボジアの印象
(7)

music by TAM Music Factory

 
シェムリアップ空港ターミナルビル
          

     7.シェムリアップ(カンボジア)へ 

                この旅のもう一つのメインメニューは、カンボジアに渡りシェムリアップで二泊し
              てアンコール遺跡を訪ねることであった。
               私たちは二日目の夕方ホーチミンのアタンソンニャット国際空港を発ち、シェムリ
              アップへ向かった。16時30分はまだ十分下界の様子が見える明るさがあって、1
              時間のフライトであったが、国境のジャングル地帯を越えていくのが窓から眺められ
              た。上空からの半島中央部をラオス、カンボジア、ヴェトナムと流れるメコン川の蛇
              行の敷かれた緑の世界だった。東西の薄雲の彼方に山脈がなびき静かにひろがっ
              ていた。
 
               カンボジア領域に入るとメコン川を見下ろしつつ、トレンサップ湖を南から北へ縦
              断して越えシェムリアップの空港へ真っ直ぐ飛び、陽の落ちたばかりの空港に着陸し
              た。
               シェムリアップ空港は滑走路が一本と規模は小さく、トンガリ屋根のこの国伝統的
              な家屋を模したターミナルの建物があるだけのさっぱりしたローカルそのもので、機
              から建物内のゲートへは歩いて行くといった気軽さである。
               椰子の木が並び、ガジュマルの大きな木にいっぱいの花が咲いている通路を行くと、
              丁寧に手を合わせて迎える空港の女子職員がおり、彼女らの民族衣装に眼を奪われ
              ながら和やかな雰囲気のなかでスムーズに入国手続きを終えた。
               私にはカンボジアの人々の顔かたちがとてもく愛らしく感じられた。皮膚が少し濃
              い目のところに目鼻立ちがハッキリとしていて頬など「仏」を思わせる感じがした。
               後に街や観光地で会った赤ん坊や小さな子供たちの可愛さは世界中他には無い
              のではないだろうと思ったほどである。

                  ○

               カンボジアに人が住み始めたのは北西部のラアン・スピアンの洞窟でB・C4200
              頃とのことである。9世紀前半までインド系の民族により、交易による海のシルク
              ロードなどと呼ばれる文化がメコン流域に盛り上がり「真臘」民族として統一の動き
              があった。
               アンコール朝を創設したのはジャヤヴァルマン2世(ジャワ遠征から帰国後)であ
              るが、アンコールの地を首都と定めたのはヤショーヴァルマン1世である。また、空
              前の繁栄の下に現在広大な遺跡として残る大寺院などの建築物を完成させたのは
               ジャヤヴァルマン7世であった。クメールの宗教政治絶頂の頃である。
               後、15世紀になり、シャムのアユタヤ朝によって王都アンコールは陥落させられ
              る。カンボジアはその後転々と王都を移しつつ18世紀後半には国家滅亡の危機も経
              ることとなった。
               他民族による支配も免れぬ時代を経て、近世はフランス植民地時代を脱し、199
              3年以来シアヌーク国王を国家元首とし、プノプノンペンを首都とする「カンボジア
              王国」がなされている。総人口1300〜400万人の大半(90%)がクメール人
              (カンボジア人)、稲作中心の農業で生きるという小さな国である。政情が安定して
              いるとは言い難く極めて貧しい。
               人々の表情に見入ると、こんなに愛らしい表情の人々が、どおして貧しいのだろう
              と思ってしまう。
               私たちが訪ねたのはアンコールの遺跡群だけでカンボジアの雰囲気を感じ取るには
              物足りないものでは有ったが、人々の心にどこか優しさを感じたのは、貧しさゆえな
              のか、当方の単なる同情だけではなかったように思う。

               シェムリアップへ到着の夜は市内のレストランでクメール料理を戴いた。
               ベトナム料理に比べたら香料の使用も少ないと聞いたので安心だった。カレーのよ
              うなもの、スープ、さつま揚げに似た歯ごたえのあるオムレツのようなもの、牛タン、
              それにバィン・ホーイというそーめんのような米の麺を豚肉や野菜と一緒に食べる
              料理を楽しんだ。海老はここの食膳にも出ていて安心して食べた。たっぷりココナッ
              ツミルクに浸った甘味のデザートも美味しかった。
               日本人がこちらに来て経営している店とのことで、階下はみやげ物店になっており、
              ボランティア団体に加盟しているのか慈善事業のメンバーがテーブルを出して説明
              の冊子を配り協力を呼びかける風景があった。恵まれない子供たちが多いのであろう、
               それは滞在中観光地でも痛く感ずるところであった。
               翌早朝、アンコール遺跡へ向かうホテルの前の通りを歩くと、ソフィテルなど豪華ホ
              テルの並ぶ間に小児病院があった。5時30というまだ薄暗い病院の門前で診察の順
              番を待つ子供連れの親たちが行列を作っていた。同じような風景は、以前北京やクアル
              ランプールでも見たし、我が国内でも当たり前のように見る。どこの国も行き届いて
              いないという事だろうか。
               早朝から屋台を並べている食糧品のマーケットに人が集まっていた。こちらも草履
              を履いたり、パンを頬張ったり庶民の集まりらしい親しめる雰囲気だったので紛れ込
              んでみた。
               バイクを運転して来た若者に英語で「Good Morning!」と声をかけると「Good
              Morning」と答えてくれた。英語がわかるな!、と思ったので「日本から来たんだよ」
              と言うと「おはよう!」と日本語で挨拶してくれた。「thank you」、「おはよう、は
              君の国ではなんというの?」と聞くと「チョムリアップ・スオ(こんにちわ)」を教
              えてくれた。私が何回か繰り返して覚えようとすると、いいぞ!いいぞ!と仲間と一
              緒にはやし立てていた。ほんの少しの会話でも楽しさは10倍、親しさは20倍に思
              う。別れ際、手を振って「さよなら」と言うと現地語で「リア・ハウイ」と叫んでく
              れた。              
                                                        (風次郎)
            


シェムリアップ空港(2)

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