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風次郎の世界旅
 西欧の春の旅
(9)

music by TAM Music Factory

                
            ブルグ広場の市役所                  運河沿いのカフェ     

     9.ブルージュ−3−市内を歩く     

                                ブルージュは市内がそのまま世界遺産である。中世が甦ったままのような狭い道路、レンガや石の
                              道、壁、教会の尖塔、静かな落ち着いた雰囲気の春の朝だった。
                               雨は上がった。
                               朝食を済ませて、みんなでホテルから鐘楼の下の門を抜けマルクと広場に向かった。広場の中央に
                              は人々が手を繋いで囲む彫刻の台座の上に、二人の独立戦争の戦士が旗を掲げるブロンズ像が立って
                              いた。ヤン・ブレイデルとピータ・ドゥ・コニンクであった。
                               ブリュッセルのマルクト広場と並び、ヨーロッパでは最も美しいと誇る広場の清々しい朝だった。
                               堂々たる鐘楼が正面に立ち、対面の色彩豊かなルネッサンス様式の建物群を見下ろしているかのよ
                              うである。広場東側には白い州庁舎とレンガの郵便局がありこれらはゴチックであった。
                               10世紀から使われてきたこの広場では、集会や祭り、処刑までも行われたと言う。鐘楼の鐘は1
                              5分毎に今も鳴っている。

                               郵便局の脇がブレイデル通り、この先に古典様式の穏やかな構えの裁判所の建物が見えた。通りを
                              少し入るとブルグ(要塞)広場であった。9世紀にここに要塞が造られ、ブルージュが発祥したので
                              ある。 
                               ブルグ広場の市庁舎は1376年に建てられたゴチックであるが、フランドル地方では最も旧いと
                              言われている。1464年に初めて国会が開かれたこの建物内の会議室は、当時のまま金箔で装飾さ
                              れているそうであるが、入場は許されなかった。正面外壁の三層一面にいろいろな市民の姿が彫刻で
                              並び見事な装飾に飾られた建物であった。
                               その隣には聖血礼拝堂というくすんだローマ様式の建物があり、神聖ローマ、キリスト教全盛の名
                              残、十字軍の志士としてフランドル伯のタルザスがエルサレムより持ち帰ったキリストの聖なる血が
                              収められていると言う。

                               市役所の下の小道プリント・エーゼル通りを抜けて運河を渡ると、古くから伝わると魚市場があっ
                              た。ちょうど朝の市を終えて2〜3人の人が片付け作業をしていた。100坪ほどの敷地に屋台を並
                              べたような簡素な場所、ここは市民生活の素朴さそのものの風景であった。

                               私たちは運河に沿って歩いた。
                               運河沿いにはレンガの壁に色を施し、窓には花を飾った美しいレストランやカフェが軒を並べてい
                              た。ブルージュの街が愛される由縁の風景と言えるのであろう、と思いながら歩いた。
                              芽吹きを始めようとする木々が運河沿いの旧い手摺にもたれるように並び、先には時代を経てきた
                              石の橋があって、その影を静かな流れに宿しているのだった。
                               近くの一番高い尖塔のある聖母教会と並んで、15世紀の貴族グリュティースの屋敷だった(今は
                              博物館)という建物があった。家紋を中央に掲げ、2重のアーチに装飾の彫刻を施した門が見事だっ
                              た。
                               レンガをふんだんに使った市街の建物は、それぞれがいずれも中高を競うほどの尖塔を施し、どれ
                              をとってもその壁に行きわたったの彫刻を誇るもののように思えた。
                               聖母教会はこの街の最大の建物である。旧いだけに13世紀から15世紀に至るさまざまな建築様
                              式が外側からも垣間見ることが出来る。思った以上に大きな建物で、あらためて塔を持つ教会の気品
                              を感ずるのだった。有名なミケランジェロの「聖母子像」とともに祭壇の神聖さを印象深く思った。

                               聖母教会の角を曲がり、早朝の時と同じ道をペギン会修道院へ向かった。
                               ペギン会修道院はフランドルの伯爵夫人マーガレットによって1245年に設立されたものである。
                               ペギン会修道院自体は1928年に絶えているが、現在はベネディクト派の修道女たちが15世紀
                              そのままの修道服を装って暮らしていると言う。
                               周囲の水辺には白鳥が寛いで群れ、林の中の緑には水仙の花がいっぱい咲いていて長閑な風景であ
                              った。その情景はそのまま水辺の続く愛の湖公園へと伸びて続いていた。いまこそ一帯は絵のような
                              風景そのものであるが、中世ブルージュの内港だった所を運河修復と水門で仕切って造られた湖との
                              ことである。

                                                               ○

                               ブリュージュの散策は旅情には欠かせない印象、と思いつつ、私たちはバスの人となって街を離れ
                              て行くのであった。
                               首都ブリュッセルから4日間の短い時間であったが美しいベルギーの街並みに、感じたものは多か
                              った。そして美しさに覆われた歴史遺産に刻まれたこの国の悲しみも、少しではあろうが感じ取るこ
                              とが出来たように思った。

                               旧くは中央ヨーロッパにルーツを発する民族が、新石器時代から住んでいたという。その後ベルガ
                              エ族のケルト人の移住を混えた上に、ローマの属州となったことからローマの帝政下ではゲルマニア
                              として境界の攻防線にあり、フランク族との交流も生ずることとなったのである。
                               やがてこの地はフランク王国に於けるラテン、ゲルマンの紛争の場として――、神聖ローマ帝国で
                              はカール大帝の時代、フランク王国に対するノルマン民族の脅威と対する防壁として――、さらには
                              ハプスブルグ支配の時代に至っても、この接点としての地域の宿命から逃れる事が出来なかったので
                              あった。また近代においても揉まれる宿命の地として歴史は物語られている。
                               しかる後の、1839年のロンドン条約(オランダ・ベルギー間平和条約)であった。それがいか
                              に偉大なものを齎したかは、他所の者に到底察する余地を与えないのであろう。
                               今、1100万の民は連邦立憲君主制をもって永世独立の宣言を行い、目下EUの首都たる誇りに
                              燃えたヴィジョンの前途を着々と見極めていると言っていいのだろう。 
 
                               窓の外は爽やかな春の風景であった。


        
                 鐘楼のあるペギン会修道院の礼拝堂          聖母教会の庭園・水道の上にも聖母子像

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