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風次郎の世界旅
 西欧の春の旅
(8)

music by TAM Music Factory

                
              ため息の出る程美しいマルクト広場                  ブルージュ駅を出るIC     

     8.ブリュージュ−1− 鐘楼を見上げるホテル     

                                まだ陽のあるうちにブルージュに着いた。到着前に一雨あって街は濡れていた。
                               私たちの泊まるホテルはMartin's Brugge. 丁度マルクト広場から道路を隔てた隣、鐘楼の建
                              物の真下のような場所にあった。小じんまりしたホテルだったが感じが良くすぐに気に入った。
                               部屋を当てがわれると私たちはすぐに外に出た。鐘楼の建物は真ん中を通り抜けれたので、ホ
                              テルからはマルクト広場に直結だった。見上げる鐘楼は88m。市内では何処からも見えて目印
                              になる。
                               広場の中心に立つのはブルージュの英雄ヤン・ブレーデルとピーテル・デ・コーニングの銅像。
                               この二人は1302年のフランスからの独立戦争における熱烈な戦士である。それを先ず眺め、
                              ここでもまた見事な彫刻を並べたような周囲の建物の美しさに溜息を漏らす。

                               ブリュージュは英語読み。地元の呼称「ブルッヘ」ないし「ブリュッヘ」が用いられることが
                              多いが、観光業などの分野では「ブルージュ」や「ブリュージュ」も多く用いられているという。
                               名称の由来は「橋」であり、市内に張り巡らされた運河に無数にある橋に因んでいるとのことで
                              ある。
                               9世紀、初代フランドル伯のボードゥアン1世によって建てられた城塞が街の起源とされが、
                              3代アルヌルフ1世の時代に、教会が建てられ、城塞も強化された。古い街である。
                               何と、12世紀に大津波が、海から10km以上も離れたこの街を襲ったことは奇遇であった。
                               その時に残された大きな溝に運河を作り、フランドル伯フィリップ・ダルザスのもとでズウィ
                              ン湾とブルッヘを結ぶ水路が整備され、町中に水路を張り巡らせ、船での交易に便利な港町が造
                              られたのである。
                               それ以来、北海に出る玄関口として格好な場所となり、イギリスや北欧と内陸を結ぶ交易は、
                              13世紀にハンザ同盟の在外商館がおかれたほか、ジェノヴァ商人が大西洋沿岸を経由してズウ
                              ィン湾にまで訪れるようになり、金融・貿易の一大拠点として繁栄したのであった。
                               裕福になった市民は、鐘楼をその象徴として、町の真ん中に建てた。教会が社会を支配してい
                              た時代、時を告げる鐘楼は、教会や王の権威や権力が強いところでは市民が建てることはできな
                              かったが、ブルッヘの市民は自分たちで市場の開始の時刻を告げる鐘楼を建てることで、その自
                              立を表したのであった。今でこそ、それは資本主義社会の最初の拠点であるとされる所以である。

                               しかし、15世紀以降、運河やズウィン湾に土砂が堆積して大型船舶の航行に支障を来たすよ
                              うになり、衰退していった。19世紀に運河が再生され、美しい水の都として再び人々を魅了す
                              るようになり、中世の面影を残した町並みが現在まで残されることとなったのである。
                               第一次世界大戦ではドイツに制圧され、水路で繋がっていた幾つかの港はイギリス軍の攻撃目
                              標となるが、ブルッヘが直接攻撃される事は無かったことが、今日その美しさを留め置かれて幸
                              いであった。世界遺産にも定められたその美しい街並みは多くの観光客を集めており、観光産業
                              も発展している。

                               美しい町並みに相応しい伝統的なレース産業の街である。沢山の店が灯りをつけて薄暮の通り
                              に行き交う観光客を引き寄せていた。夕食前のひと時はなもグループの人たちと物色に暇が無い
                              ようだった。

                               夕食はマルクト広場からちょっと入ったSint-Amandsstraatにある「長城酒楼」という中華料
                              理店に案内された。ありきたりの料理だったがベルギーのビールが旨かった。 

         ブルージュ−2− 駅を見に行く

                               翌朝、雨が降っていたが、この美しい街での滞在時間を無駄にすることは出来ない。街中の散
                              策は日中の時間に盛り込まれているので、離れている駅の方へ向かうことにした。
                               5時にホテルのフロントを出て、地図を頼りに歩く。
                              ホテルの前はOude Burg通り、左へ進めば正面に救世主大聖堂の塔が見えて分かりやすかった。
                              その大聖堂の手前、シモン・スティヴァンの広場を南へ下って行けばいいのだ。広場のベンチと
                              ブルージュが生んだ偉大な学者スティヴァンの像が濡れて街灯の明かりに光っていた。
                               誰も居ない広場は寂しい。
                               歩を進めると、ワンブロック先がこの街でもっとも大きな建物聖母教会である。ここには12
                              2mの塔がある。尖塔で鐘楼より遥かに高い。塔の町ブルージュのシンボルである。が、ここも
                              静まり返っている。通りに面した正面のドアさえまだ閉ざされて、暗い。それに4月半ばの雨は
                              冷たい。

                               「夏の最シーズンにはひときわ観光客で賑わうブルージュも、春秋に静けさを取り戻し、冬に
                              でも訪れるならば、その底知れぬ寂しさに、あるいは驚きの声を発してしまうかもしれない。」
                              と、旅なれた知り合いが言っていた。街の中を巡る道はそう広いとは言えないのに、レンガと石
                              の濡れて光るだけの街に佇めば、それはやはり寂しさから逃れる静寂ではないだろう。
                               運河に架かる小さな橋をひとつ越えて、ペギン会修道院の前に出た。
                               修道院の建物はそれぞれ街灯に照らされていたが、それらもまだ眠っていた。修道院とその先、
                              愛の泉公園の境目にある橋の上から駅の明かりが見えた。

                               駅の場所は、街を卵形に囲む運河の外にあった。
                               ベルギーは全てが国有鉄道である。ブルージュはブリュッセルからIC(インターシティー特
                              急)利用で約1時間、ゲントから20分、アントワープからゲント経由で1時間20分に位置す
                              る。
                               運河に沿って周回するように配置された主要道路の向こう側に、広々とした駅構内と近代的な
                              駅舎があった。この街が美しさと共に中世にタイムスリップしてしまうような感覚をもたらして
                              いただけに、私に意外性を感じさせた。駅は古い時代も街を訪れるアクセスポイントであったろ
                              うと思ったからである。かといって駅のルーツを辿る余裕も無かった。新しく開発されたところ
                              なのかも知れない。
                               傘を閉じて駅舎の中を抜け反対側へ出てみたが、広場が大きく確保されて街明かりは無かった。
                               中央の待合室の壁を色鮮やかな、風変わりな絵画で飾ったモダンな駅だった。
                               駅の中の売店はもう開いていたし、朝食を出すカフェに2〜3の客も居たから、英語で話しか
                              けてみたが通じなかった。私はフランス語もオランダ語も全くだめだし、英語だってまともとは
                              言えないから仕方ない。
                               ホームへ上がって、アムステルダム行きとブルッセル行きのICを見送ってから駅を離れた。

                               雨は小止みになった。
                               私は広い道路につけられた舗道を運河に沿って北に向かって行った。緩い登りの坂道だった。
                               「時間はたっぷりある」とは思っていたが、雨模様ではなかなか空が明るくならず、気配を呼
                              び寄せるのは街明かりと道を行く車のライトの動きのみであった。それでも15分も歩き続ける
                              と体は少し汗ばみ、興味に引かれた活力が削がれる事はなかった。ゲント方面からの街への入り
                              口である「ゲントの門」を見て、さらに北へ進み「十字の門」のところで橋を渡り、門潜って街
                              へ入った。
                               そこからLangestraat通りを下ると、運河との間には旧い病院の壁が続いていた。聖ヨハネ病
                              院であろうか。施療院の1室は市内に移され、フランドル絵画の典型といわれるドイツの画家ム
                              メリンクの美術館となっているが、ここでは壁に囲まれた小さな門が薄明かりを浴びているのみ
                              で、門外は旧い街の狭い一本道路を民家が取り巻くといった佇まいのようであった。

                               しばらく歩くと警察の建物があり、もうひとつ運河を渡ってやがて鐘楼の下マルクト広場に出
                              た。夜は明けて、又美しいブルージュの1日が始まるのであった。

        
   ブルージュ駅待合室の豪華な壁画(タイル)                 城壁を偲ぶゲントノの門

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