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風次郎の世界旅
 西欧の春の旅
(5)

music by TAM Music Factory

              
                グランプラスの早朝・市役所建物の彫刻     

     5.ブリュユッセル(4) 雨に濡れた早朝の街(再びグラン・プラス)      

                                昨夜からの雨は止んでいたがやがて迎える朝を待つ街を濡らしたままであった。
                               ホテルを出た私は、ロジェ広場を横切りシティー2の下からヌーヴ通りへ入っていった。
                               広い通りではない。人気の無い朝の繁華街は静まり返っていた。
                               煌びやかな夜を過した名残のような明かりが、雨に濡れた建物から舗道に寄せる残照のよ
                              うに影を投げて、まるで昨夜、豪華な時を経てきた街の証を語るように目の前に留まっては
                              続いている。
                               狭い通りにヌッと現れたのは照明のないノートルダム・デュ・フェニステール教会であっ
                              た。こんな時、そんな現れ方は時を忘れさせられる。
                               薄明かりの中のゴチックこそ厳かというほかは無い。その角の先には長方形の手摺で囲ま
                              れたマルチール広場があり、ベルギー独立時の犠牲者を祀った記念碑が地下の資料館からの
                              明かりで浮かび上がっている。 
                               眼を繁華街の方の向けて歩き出す。
                               ルネッサンス調の立像彫刻を並べたブティックのギャラリー抜け、昨日何回も通ったブル
                              ッケール広場に出た。やはりUGC de Brouckereno の建物装飾(アールデコ)をもう一度眺
                              めておきたかった。

                               ヨーロッパの街の中に浸って歩くと、どうしても教会や王族の建物に惹かれてしまう。石、
                              そして金属的な鋭さと言おうか、ゴチックや豪華さと豊かさでアピールするロココ調のも
                              のが多いように思う。がゆえに、ナイーブに民衆の芸術を語ろうとする創作的な造形を眼に
                              すると、楽しさとは別に、共に安堵の歴史を感ずると言った気持ちになるのだろう。上流階
                              級だけだったとは言わせない民集の中から参加的に生まれた、遊べる社会への憧れを見出す
                              ことができるのである。
                               19世紀末は、産業革命以後の、開かれた世界へ乗り出していくヨーロッパ民族が、次第
                              に心の豊かさを求めて芸術に目覚めたときでもあったのかと思う。
                               1890年代、多くの芸術のジャンルで過去の様式にとらわれない新しい芸術(アールヌ
                              ーボー)運動が盛んになった。建物建築にも産業革命がもたらした大量の鉄と大きなガラス
                              を使い、伝統的な職人技が産み出したのは「流れるような草木模様」を大胆に組み合わせた
                              空間の創造であった。鉄枠にはめられた大きなガラスを通して注がれる光と、甘美な曲線を
                              魅せる創作である。照明器具、手摺や窓枠の隅々にまで、こまやかに手の入った生活空間が
                              創造されたのであった。
                               その人間の日常と芸術が結びついた奇跡の20年(アールヌーボー)が第1次世界大戦と
                              共に姿を消し、1930年までの短い時の花を咲かせたのが次の創造、アールデコ(装飾芸
                              術)である。
                               アールデコの特徴はヌーボーの自然をモチーフにした有機的で自由な曲線から、円弧と直
                              線の組み合わせによる幾何学的模様への変化であった。過剰な飾りの無いデザインは、新し
                              い都市文明の感覚とマッチして流行したといわれる。
                               特に大きなものとしてニューヨークのクライスラー摩天楼ビルなど有名だし、昨年来訪ね
                              たオーストリアやドイツでも幾つか観て来たものを思い出しながら歩いた。その頃、とき華
                              やかなりしベルギーでもブリュッセルのロワイヤル広場付近やヘイゼル宮など、ヌーボーと
                              共に残されている遺産は多い。
                               アールデコは1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会で花開いたのであった。博
                              覧会の正式名称は「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale
                              des Arts Decoratifs et Industriels modernes)、略称をアールデコ博といい、この略称
                              にちなんでの一般的呼称である。また「1925年様式」と呼ばれることもある。
                               富裕層向けの一点制作のものが中心となったアールヌーヴォーのデザインに対し、アール
                              デコのデザインは一点ものも多かったものの、大量生産とデザインの調和をも取ろうとした
                              こともあって、その影響を受けた分野は多岐にわたり、広まったのである。
                               アールデコは、規格化された形態を重視する機能的モダニズムの論理に合わないことから、
                              流行が去ると過去の悪趣味な装飾と捉えられ、従来の美術史、デザイン史では全く評価さ
                              れることもなかったが、後の1966年、パリで開催された「25年代展」以降、モダンデ
                              ザイン批判やポスト・モダニズムの流れの中で再評価されたのである。現代感覚にも極めて
                              マッチしているのは納得のいくことである。

                               眼の届く一つ一つの建物の軒飾りなどまで親しみを持ちながら、静かに光る濡れた町の散
                              歩は幸せ一杯の感があった。数年前やはり朝の早い時間に、ウイーンの中心地から少し離れ
                              た運河沿いの街で、ユーゲントシュティール様式を眺めて歩いた時のことなどを思い出しな
                              がら歩いた。
                               証券取引所の脇を左に入るとグラン・プラスである。
                               広場の照明に照らされた建物は濡れて輝きを放っているようにさえ見えた。
                               地下にはバーもあるというブラバン公爵の館から出てきた若者のグループが気勢を上げて
                              広場を横切り去って行き、静けさが再び甦ったように広がった。
                               四周の建物が総体的に縦長の窓に仕切られ、その一つ一つの区切りに施された装飾が照明
                              に映えて輝いている。昨日何回もため息を漏らしたくなるほどの感激を受けたままの壮麗さ
                              は頭中を離れなかった。
                               私は市庁舎の塔の真下にある入り口から後退りで少しづつ離れて、しっかりと塔を見上げ
                              た。そして王の館の外階段のステップを踏み、手すりに手を置いて広場全体の印象を思い出
                              に仕舞い込んだ。

                               ひとつの思いが走った。
                               今は―、静か過ぎるほど平和なこの広場も、華やかな歴史ばかりに彩られていたわけでは
                              ない。1523年にプロテスタントの最初の殉教者、ヘンドリク・フォエス(Hendrik Voes)
                              とヤン・ファン・エッセン(Jan van Essen)がこの地で火刑に処されたという混迷の時代も
                              あったことを、何かで知ったが、いったい今、輝いているものは何だろうかと――。

                               1830年にオランダから独立して以降、フラマンとワロンの両民族は、言語戦争と呼ばれ
                              る対立を繰り返しながらも、現在の豊かで安定したベルギーを築き上げてきた。フランス、
                              ドイツ、オランダ、ルクセンブルクと国境を接し、ドーバー海峡によってイギリスと通じてい
                              るベルギーは「ヨーロッパの心臓」と呼ばれるヨーロッパきっての国際都市群である。これは
                              地理的な条件もあるが、何よりベルギーがゲルマンとラテンというヨーロッパの2大民族の融
                              合した国であることが、大きな要因となっている。
                               両民族の文化がたくみに調和したこの小さな国ベルギーは、ヨーロッパの人々が長い歴史の
                              中で大切に造り上げてきたものが何であるかをしっかりと私たちに示そうとしているのであろ
                              う。そして外国に侵略された歴史が長いだけに、外国人に親切な反面、自分たちの生活や伝統
                              を頑として変えない一面を持っているという。
                               ヨーロッパを知りたかったらベルギーを見るのが最も近道だと言われて分かるような気がす
                              るのである。

                                                                                  風次郎
 

      
   懐かしくひき付けられる石畳の通り

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