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風次郎の世界旅
 ロシアの旅
(9)

music by MUSIC CAFE

         
              モスクワ・シュレメチボ空港    

          9.モスクワへの移動 

                 3泊を終え旅程4日目の朝である。
                 無事に期待通りのサンクトペテルブルク観光を終え、いよいよ今日から首都モスクワの観光に向か
                う。
                 5時にモーニングコールがあったが、私たちはあらかじめ戴いていたサンドイッチのお弁当を部屋
                で戴くために既に起きていた。部屋で備え付けのポットからお湯を注ぎ、2人でコーヒーを飲んだ。 
                 次第に明るさを増す窓から晴れて青空が広がりつつある様子が分かった。早朝出発と構えていたが、
                割合にゆったりと6時の出発時間を迎える事が出来た。
                 外は今日も冷え込み、道路の温度表示はマイナス4度cになっている。サンクトペテルブルクを堪
                能したメンバーたちの顔は明るく、皆元気そうだった。
                 プルーコボ空港には30分で着いた。今回の国内便はアエロフロートで、カウンターと搭乗口の2
                度のセキュリティーチェックも、そう複雑に思えず、慣れた感でスムーズに搭乗待合まで進む事が出
                来た。機は6人掛けの中型で、私たちの席は左側、背中は壁の最後尾であった。
                 8時15分予定通り離陸するとすぐに朝食のサンドイッチが配られたので、ここでもオレンジジュ
                ースと共に美味しく戴いた。どうしてか、食事の前に渡された日本の柿の種に似た感じの味がする乾
                き物が口に合ったように記憶している。喉が渇いていたのだろうか?
                 機は揺れも無くスムースに飛んで、9時30分モスクワ・シュレメチボ空港に降りた。シュレメチ
                ボ空港はこの旅のスタートでロシアへ入国したドボジェドボ空港と市街地を隔てた正反対の北側にあ
                り、ここも長年にわたっての整備改装が終了したばかりである。思っていたより綺麗な印象の空港で
                あった。遠い滑走路のエプロンからバスで空港ビルへ移動したが、国内線シベリア航空へ乗り継ぎを
                した時の体験も役立って荷物もスムーズに受け取れ、皆で集合してバスに乗った。
                 晴れた青空のもと早速モスクワの観光が開始さた。スムーズに旅程が進んで余裕があるからと、添
                乗員の増山さんは「市内の全貌を眺めましょう」と現地ガイドやバスの運転手と打ち合わせを進めて
                くれた。現地ガイドの男性ワシムさんとドライバーのセルギーさんが紹介された。                

                 ソ連崩壊(1991年12月)から二十数年、ロシアは変わった。モスクワ( Москва =マスクヴ
                ァー)は今、ロシア連邦の首都である。そして連邦市として、市単独でロシア連邦を構成する83の連
                邦構成主体のひとつであり、尚モスクワ州の州都でもある。
                 人口は約1150万、ヨーロッパで最も多く、世界都市でもある。
                かつて、日本人にとって「モスクワ」は遠い存在であったのだ。「いま、そこに自分がいるという
                ことは、少なくも世界が人類の求める平和に近づく歴史の中にあることを認めていいのだ」と、私は
                思わずにいられなかった。戦火の中に生きた人々を思えば、その幸せに感謝しなければならないであ
                ろうと――。

                                                                 △    △    △

                 ガイドブックを開いた。市の中心をオカ川の支流モスクワ川が蛇行しながら流れ、亜寒帯湿潤気候
                で、年間降水量は 705mm、6〜8月にかけての夏季に最も降水量が多い。5〜8月にかけては晴天も多
                く、日照時間も長い。冬季には降水量は少なくなるものの曇天が続き日照時間は非常に少なくなる。
                だが、近年の冬季は温暖化によって、平均気温で2度くらい上昇しているようだ。このところ記録的な
                猛暑や森林・泥炭火災のスモッグの影響で健康被害が社会問題化しているとのこと、何処の事情も
                変わらないということだろう。ドイツ・オーストラリア・カナダなどがモスクワにある大使館の外交官や家
                族を一時退去させるなどの影響が出ていると聞いた。
                 窓外は薄日が差し、天候はまずまずである。

                 この街は1147年にキエフ大公国のユーリー・ドルゴルーキー(手長公)が会合を行った場所として
                の記録が残り、1156年に砦が築かれて以降、徐々に小都市化したが、1237年から1238年にかけてモン
                ゴル帝国軍に攻められ灰燼と帰してしまった歴史を持つ。モンゴル系文化の片蹟を見るのはそれから
                の流れであろうか。
                 1271年、ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキーの子であるダニール・アレクサンドロヴィ
                チが遺領としてモスクワを獲得し、モスクワ公国が成立した。
                 モスクワ公国はやがてイワン1世の代にキプチャク・ハン国の徴税人となったことから力をつけ、モ
                スクワ大公国となった。1382年にはキプチャク・ハン国に占領されるなどしたが、大公国は順調に力
                をつけていき、1480年にはイワン3世(大帝)が大公国をハン国から完全に独立させ、モスクワはロ
                シア最大勢力の都となったのであった。彼はウスペンスキー大聖堂やブラゴヴェシチェンスキー大聖
                堂、アルハンゲリスキー大聖堂を建設・再建し、クレムリンを壮麗なものとした。クレムリン宮殿の
                前に赤の広場が建設されたのもこの時代である。
                 1561年にはイワン4世(雷帝)によって聖ワシリイ大聖堂が建設された。1590年頃にはクレムリン
                とその北東の繁華街キタイ・ゴロドの外側に城壁が築かれ、さらにその外側には土塁が築かれて、モ
                スクワの町は大幅に拡張された。新しい城壁の内側はベールイ・ゴロド(白い町)、土塁と城壁の間
                はゼムリャノイ・ゴロド(土の町)と呼ばれた。
                 その後、16世紀末には動乱時代となり、ポーランド・リトアニア共和国軍によりモスクワを占領さ
                れたが、国民軍が組織され1612年に奪回、翌1613年にはミハイル・ロマノフがツァーリに選出されて
                ロマノフ朝が成立したのである。

                 ロマノフの時代に入り、1712年にピョートル1世がロシア北西端のネヴァ川河口にサンクトペテル
                ブルクを建設し、首都は移転された。しかしそれ以後も歴代のロシア皇帝はモスクワにて戴冠式を行
                うことを常としたのであった。従って古い貴族階級は遷都以後もモスクワに居住するものが多く、西
                欧の思想を取り入れる窓口となったサンクトペテルブルクに対し、モスクワは古いスラブ主義の思想
                の中心地となっていく。
                 街の建設も着々と進められた。
                 1755年にロシア最初の大学であるモスクワ大学が開校したころ、ベールイ・ゴロドの城壁が撤去さ
                れ、その跡地にプリヴァール環状道路が建設される。又、1812年にはナポレオンのモスクワ侵攻を受
                け街は灰燼に帰したが、すぐに復興されている。さらにゼムリャノイ・ゴロドの土塁も撤去され、跡
                地にサドヴォエ環状道路、1851年にはサンクトペテルブルクとの間に鉄道開通他、次々各地と鉄道を
                繋がれていく。
                 モスクワはロシア中央部の商工業の中心としての地位は揺るぐことなく、農奴解放による労働力の
                流入、軽工業の発展もあいまって、19世紀末には人口は100万人を突破している。

                 ソビエトによる1918年の首都機能移転により、再びソビエト連邦とロシア・ソビエト社会主義共和
                国の首都となった。大戦時にはドイツ軍の進出を受けたが、軍民一丸の抵抗により陥落を免れ、少し
                前の時代までは冷戦による対立関係があったアメリカのワシントンと共に、モスクワは超大国の首都
                として世界を二分していたのであった。
 
                 今、モスクワはソ連崩壊後のロシア連邦においても引き続き首都であり、現在人口1000万を超える
                ロシアの政治経済の中心である。
                 空港を発ったバスはすぐにモスクワとサンクトペテルブルクを結ぶ幹線「レニングラード大通り」
                へ入った。

                                                                      (風次郎)

             
              ロシアの教育の殿堂モスクワ大学   


 

* 10.モスクワ観光―1―
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