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滞在3日目の朝が明けた。
ホテルの前は5時過ぎの暗いモスコフスキーを行き交う車の灯りだけが流れるように動い
ていた。
私は右手(南側)にある凱旋門に向かって歩いた。
凱旋門の周囲は道路幅が広げられ、車道も左右に迂回するようになっている。近寄ってい
くと、手前側には芝生と花壇が設けられていたが、まだ花壇には花は植えられていなかった。
アッパ―に構えられたライトが白く円い柱を照らし、屋上部の兵士達と、記念メッセージ
を記したモニュメント額がただ静かに輝いているのだった。
一昨日、空港からモスコフスキー通りを走り、真っ直ぐ先にみえたのはこの門であり、間
近のホテルに投宿することとなって、ロシア入りの私たちには旧都の印象深いものに思えた。
到着の時、ホテルから眺めつつ誰かが、「この凱旋門は、ロマノフがトルコとの戦争に勝
ったその5年もの後に『戦争の馬鹿馬鹿しさを訴える為に建てた』ものだ」と解説をしてい
たのも印象的だった。
丁度凱旋門の脇が地下鉄の駅になっているので、早い時間に勤務に出るのであろうか、厚
い外套に身をくるんだ人たちが、階段を下って行くのを見た。
初体験の街で朝の散歩の時を過ごすのは、地図を頼りに目的の場所まで一気に行くか、そ
うでなければホテルを出て分かり易い大通りを只管真っ直ぐに30分歩き、同じ道を引き返
すのが私のやり方である。これだと道に迷うことはまずない。
地下鉄の駅の先に進むと、300台は置ける広い駐車場を備えたマーケットがあった。殺
風景だったがカギの手の建物左手部分はマクドナルドで窓の中に2〜3の客の姿が見えた。
24時間営業は世界的な取り組みなのか、マクドナルドなど無かろうと考えていた私のロ
シア感覚とは異なっていたが、そんな見慣れた風景には安心感を齎らされた。建物の他の半
分は、家具店とスーパーで、まだ入り口のドアーは施錠されていた。
モスコー大通りに面した道沿いには大きなビルが並んでいたが、新しさを感じさせる建物
は少なく、大きな高いビルでもおそらく数十年を感じさせるものが多いと感じた。そして市
内を遠ざかるにつれて、その大きなビルの後方にはアパート群が見えるようであった。
そういった居住区を含め、街区は概して整然と道路が敷かれ、道路には恰好な樹木が植え
られていた。
日中ガイドに訪ねると、街路樹に使われているのは、ポプラ、ヤナギ、処によっては秋に赤い
実が成るナナカマドの並木も少なくない由である。それに白樺が芽吹き前ではあるがお馴染み
の如く北欧らしさを見せている。今は只殺伐とした風景だが、秋の街並みはまた格別な雰囲気
であろうかと思いつつ歩いた。
朝食を終えて、9時にホテル前のバスに乗った。
今日のメインスケジュールは、「エカテリーナ宮殿」行きである。
約1時間(25km)南へ走りプーシキンの皇帝の村、ツァールスコエ・セローへ向かっ
た。
訪ねるエカテリーナ宮殿はピョートル大帝が妃、エカテリーナT世の為に造らせたと
言われているが、エカテリーナ宮殿という名称は、農民の身分からピョートル大帝の2番目
の妻になったロシア初の女帝エカテリーナ1世(ロシア正教に改宗前はマルファ・スカヴロ
ンスカヤ,1684−1727)にちなんでいる。ツァールスコエ・セローはその後2世紀にわたっ
て皇族の夏の住まいとして使用される豪華な宮殿群の村となったのである。
周囲には緑豊かな庭園が広がり、四季折々の美しい風景の名所といわれる。
第2次世界大戦でここを占領したドイツ軍による破壊、略奪の被害に遭ったもののその後
修復され、「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物」として1990年に世界遺産に
登録されている。
朝からまるで冬の寒空を思わせる雲一面であったが、到着してバスの外に出ると思ったほ
どでなく安堵した。
エカテリーナ宮殿のあるプーシキン市は、偉大なロシアの詩人、アレクサンドル・プーシ
キンにちなんでつけられたものである。宮殿に至る通路の脇に設けられた公園にはベンチに
寛ぐプーシキンの像があった。
ピョートル大帝の後、第2代ロシア皇帝エカテリーナ1世に由来するエカテリーナ宮殿は、
エカテリーナがドイツの建築家Johann-Friedrich Braunsteinを雇って夏の避暑用の離宮と
して1717年に作らせたのが最初のもので、その後、第4代ロシア皇帝アンナがロシア人建築
家に命じ増築させたものである。さらに第6代ロシア皇帝となったエリザベータは母のエカ
テリーナ宮殿は時代遅れで不便であるとして、既に冬宮殿建設に関わっていた宮廷付き建築
家バルトロメオ・ラストレッリに命じ、抜本的に壮麗・壮大なロココ調建築の取り入れた。
建設は1752年5月から4年の歳月をついやし、 1756年に全長325メートルの現行規模の宮殿
が完成したのであった。
外観は昨日入場してきた冬の宮殿と同じ感じの、落ち着きのある薄いブルーを基調の外壁
に白い円柱のコントラストが映え、窓には精緻な彫刻が施されており印象的であった。
宮殿は、贅を尽くした55のバロック調の部屋から成り、内外装には、純度の高い金が多く
使われたと言われている。
入場は履物にしっかりとカバーをすることが要求され、職員の気を使った監視が行き届い
ていた。私のカバーがすこし乱れていて、注意を受けた程である。
中に入ると、こちらは冬の宮殿以上に至るところ金の装飾が施してある印象で、さらに眩
さを思わせるのであった。宮殿の大広間は、通称「鏡の間」とも呼ばれており13対の窓と鏡
で輝くばかりに明るい。そして鏡の分広く感ずる。この部屋の中では、観覧客たちは鏡を背
景に集団写真を撮っていた。
1997年公開のソフィー・マルソー主演の『アンナ・カレーニナ』の舞踏の場面は、この部
屋で撮影されたとのことである。またこの宮殿は日本とロシアの交渉史の舞台としても有名
である。大黒屋光太夫は映画にもなった井上靖の『おろしや国酔夢譚』にも登場する人物。
伊勢白子(しらこ)の船頭だった光太夫は駿河湾沖で遭難し、8ヶ月の漂流ののち、ロシア
人に救出される。光太夫らは孤島で4年も暮らし、その後紆余曲折を経て、時の女帝エカテ
リーナ2世に謁見を許される。光太夫らの苦労話を聞いた女帝は「おお、なんとかわいそう
なことよ」と言葉をかけたその舞台が、ここエカテリーナ宮殿。1791年、光太夫は帰国の許
可を得たのであった。
「夏の宮殿」に相応しく広大な池が設けられたエカテリーナ公園と呼ばれる大庭園が宮殿
の南に広がっていた。また邸内には100を超える噴水があるという。
夏の季節はこの噴水の景観を目当てに大勢の観光客が訪れ、庭園は宮殿と共に大混雑する
ということである。季節はずれのお陰でゆったりと散策を楽しめたものの、私たちはこの噴
水の美観を得ることはできなかった。
○ ○ ○
宮殿の近くにあるプーシキン市内の住宅地にのレストラン「 RUSSIAN TEA 」で昼食であっ
た。
私たちは親しくなった佐藤夫妻と4人で席を取り、少しのビール、ワインなどを戴きながら、
感想を交わすなど、楽しく談笑した。
今回のメニューは、
パン(黒パン・白パン)バターで食べる
ピロキシ(キャベツ)
ボルシチ
白身魚のフィレ
アイスクリーム
コーヒーor紅茶
外が少し冷えていたせいか、私は暖かいボルシチがとても美味しかった。
食後、レストランの売店で、私は歴代ロシア大統領のマトリョウシカを買った。
(風次郎)
エカテリーナ宮殿・鏡の間 エカテリーナ公園の水辺
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