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良い天気で2日目の朝が明けた。4時半に目が覚めたが、昨日の記録やら、観光案内の点
検、インターネットの通信などを終えて5時半ごろからホテルの近くの散歩に出た。まだ空
が白んできたところで、凱旋門がライトアップされていて綺麗だった。道路もクラシックデ
ザインの街灯が並び広いモスコフスキ―の往復別路線を車が飛ばしていた。
少し寒さを感ずるくらいで街路の温度計は―4度を示すほど、手袋が重宝した。
7時からのホテルの朝食は今どこでも定番のバイキングであったが、パンは美味しくいつ
もはパン1枚であるが、クロワッサン風のほかにもう一個の堅めのものをいただいた。コッ
クが出てきて焼いてくれた目玉焼きが有難かった。何種類も並べられたドライフルーツも嬉
しかった。ジュースやミルクが豊富だったが、生野菜が無かった。
ツアーのバスは10時少し前にホテルを出発した。
サンクトペテルブルクの観光名所の多くがユネスコの世界遺産に登録されているが、今日
私達が向かうのはサンクトペテルブルク歴史地区にあるエルミタージュ美術館である。ツア
ーは1日たっぷりと専門のガイドが案内して行われることになっている。私にはいよいよ!
との感があった。憧れの世界四大美術館の一つである。
バスはモスコー大通り(モスコフスキー通り)を真っ直ぐ北に向かう。センナヤ広場からネ
ヴァ川近くの中心部に入ると幾つかのホテルが目に付く街路を通って行った。そして正面突
き当りに白い三角屋根を付けた横長の建物が旧海軍省であるとガイドの説明があった。右折
して少し先に行き前が開けると、そこは宮殿広場で目前にエルミタージュ美術館の全容が白
と青のツートンカラーで如何にも壮麗に広がっていた。
バスの中にはため息のような歓声があがった。横長で装飾を凝らした建物は、晴れた空の
下に朝陽を受けて輝くようであった。
エルミタージュ美術館は当初ピョートル大帝の冬の宮殿として1762年建築家ラストレ
ルリによって壮麗なバロック建築で完成したものである。エカチェリーナ2世の代になって、
1775年に建てた自身専用の美術品展示室が美術館の起源であるが一般公開はされておらず、
1863年に初代館長となったゲデオーノフによって市民も観覧が可能となったのである。
1918年には冬宮に存在した全ての研究、管理組織を建物共々、「エルミタージュ美術館」
として統合することが決定され、この統合作業は第二次世界大戦後まで続いたのである。
美術館は小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場、
冬宮の5つの建物が一体となって構成されており、ロマノフ朝時代の王宮である冬宮が現在
本館となっている。去年の12月から小エルミタージュにあった19世紀から20世紀の絵
画などは宮殿広場を挟んだ向かい側の新館(建物は旧参謀本部)に移動しており(別料金)
美術館の建物構成としては一つ増えたことになる。
目の当りに見るその全景は、いかにも美しい。
そもそも1764年にエカチェリーナ2世がドイツから美術品を買い取ったのが、エルミター
ジュ・コレクションのはじまりであるが、1917年のロシア革命後は貴族から没収されたコレ
クションの集積所ともされた。
エルミタージュ美術館のロシア語正式名称はГ国立エルミタージュ」とのことである。「
エルミタージュ」とはフランス語で Hermitage、(隠遁者/世捨て人)の部屋という意味に
もちょっと驚いたが、これは為政の煩瑣な日々のなかに、寛ぎを求めた皇王が呼称したこと
が切っ掛けの由、納得である。
私たちは宮殿広場側の正面、団体入口から入場した。
元はと言えば宮殿であり、建物の様式に取り入れられた装飾の豪華さは他に類を見ないと
言われる程であるから、目を見張る場面ばかりである。先ずは宮殿が歴史的に無数の外国使
節を迎えた正面玄関である「大使の階段」を上る。大きな白い大理石の天使が見下ろす赤い
絨毯の階段を登りつつ、花崗岩の円柱、鏡を多用して凝らした窓など、大きさと際立った華
やかさには魅了された。
ガイドの女性エレーナさんの案内で宮殿内の各部屋を観た。
紋章の間の大きなブロンズ製のシャンデリア、ピョートル大帝の間(小玉座)、聖ゲオル
ギーの間(大玉座)と進んだ。天井の装飾から、壁や床板に描かれた図案まで美術の領域が
その時代を極めたものであったとの解説が延々と続いた。1812年祖国戦争の画廊と銘打
った部屋には、ナポレオン戦争に参加した300人(戦死者は空きスペース)の将軍たちの
肖像画が掲げられていた。独立に至る苦難への敬意は何れの国でも大事な歴史認識なのであ
るように思う。
エカチェリーナ女帝の権勢はあまりにも有名であり、また彼女の愛した夥しい男性との関
係も物語りに事欠かないようである。最も近しく、親密であったと言われるポチョムキン(
ポーランド系白ロシア生まれの軍人・公爵)が贈った18世紀英国製のカラクリ時計「孔雀
の時計」がパヴィリオンの間に置かれていた。今尚時を刻み、一日に1回は尾の羽を広げて
当時を偲ばせてくれるという。
エレーナさんの解説は懇切で、絵画から宮殿の装備品、蒐集、或いは捧げられた小間物に
至るまで上手な日本語で分かり易く堪能した。
絵画はダ・ヴィンチをはじめラファエロ、ティツィアーノ、ベラスケス、ルーベンス、レ
ンブラント、ゴヤなど馴染の画家の有名作品が揃っており、「ああ、これもここにある作品
だったのか」とその蒐集スケールに驚くばかりである。殊に私は敬愛するラファエロの初期
の作品「コネスタビレの聖母」が煌びやかな三層の額に入れられ、さらに大きなガラスケー
スに守られて展示されているのを印象深く観た。
これは、アレクサンドル2世がコネスタビレ家から購入したとされる逸品である。
聖母はダヴィンチの(リッタの聖母)、(ベヌアの聖母)と揃っており、アレクサンドル
2世の聖母作品への執着を見るような気がした。同様、ここには「ダナエ」もティツァーノ、
レンブラント(かつて観客に塩酸をかけられ、話題になった作品)が揃っており、興味深か
った。中には13世紀に初めて描かれたと言われるSIMONE MARTINIによると言う古い
絵画もあった。
絵は勿論であるが、ラファエロの手によるヴァチカンのフレスコ画がラファエロの回廊に
壁一面に模写されており目を見張った。
今回最も印象に残ったのはゴヤの「アントニオ・サラテの肖像」である。36歳で亡くなった
無名の女優の舞台衣装を纏ったらしい、清楚な優しい表情の画であるが、スペインの画家ゴ
ヤの寄贈品であることにも魅かれた。
長丁場で名画に心を捕われ、圧倒された3時間であったから、とても草臥れてしまった。
1階にはまだ後ろ髪魅かれる古代ギリシャ・ローマの文化遺産が数多く展示されていたの
であるが割愛せざるを得なかった。
午後1時を廻っていて昼食時だったが、館内にはカフェが1カ所しかなかったので皆そこ
のサンドウィッチで昼食にした。混雑していたし、寛ぎになるほどのスペースも無く時間を
惜しむようにして次の目的に向かうことにした。
それは新館に移った19〜20世紀のヨーロッパ絵画を観るという大きな楽しみの目的が
残されていたからである。
(風次郎)
エルミタージュ、「大使の階段」とラファエロの初期の作品「コネスタビレの聖母」
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