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市内を出たバスはモスクワでも日常化していると聞いた渋滞が嘘のような空いた道路をスムーズに南下し、
1時間でドモジェドボ空港に着いた。私達の便は17時発であったがまだ14時前で充分な余裕があった。
ロビーに入って添乗員の増山さんと一緒に皆でお世話になった現地ガイドのワシムさんにお別れを言った。
なかなかフランクで、ウィットも巧みに日本語の上手な方で良かった。
JALのカウンター開きを待って、順次出国の手続きに入ったが、JALの受け付けはともかく、2回の
セキュリティーチェックと出国審査に要する時間の長さには疲れてしまった。それでも15時過ぎには全員
が出発ロビーで席を並べている感じだった。フロアの店を物色したり、お茶を飲んだりして搭乗を待った。
○ ○ ○
JAL0442便は予定通りモスクワドモジェドボ空港を飛び立った。大型のボーイング878機は比較
的空いていたので私達はエコノミー席であったが、早めに足の延ばせる席への変更をアテンダンスに申し出
ておいた。食事の出る前にOKがでて助かった。
食事は鶏肉のオイスターソース炒めをいただいたが、合わせてロシアの小ボトルワインを飲んだ。日本の
飛行機に日本人のスタッフ、それに帰路という安心感、高空を飛びながら酩酊しつつ旅を振り返って過ごし
た。
ロシアもいよいよこれから春本番を迎えるであろう。
早朝に散歩したソコーリニキ公園の明日はどうだろうか?日毎に緑を濃くし、木々の芽吹きの下で色とり
どりの花が咲き、音楽会も開かれてフェスティバルに訪れる人々を歓ばせることであろう。
たった1週間のそれも2大都市だけの旅ではあったが、また一つの貴重な思い出を我がものにした、と心
は満足であった。私自身「ソ連」への認識が片寄って、時代の変遷を受け止めていないことが沢山あったこ
とは事実であったし、ロシアを知る良い勉強の機会になった。
ヨーロッパ観光は、どうしても城巡り、教会巡りが中心になる。今回もそれを免れることは無かったが、
ロシア正教に対する理解を深めた点は大きな収穫であった。
ロシア正教は、先ずは華やかでカラフルな外観、タマネギドーム屋根は何と言っても特徴的である。そし
て十字架にも3つの横棒が入っていることを今回知った。外観が華やかな反面、教会内部には椅子が無く、
礼拝は立ったまま行い、讃美歌も歌声のみで楽器の伴奏は無いのである。外の煌びやかさとは違い、総じて
荘厳そのものと感じたのは私だけではなかったと思う。トロイエツ・セルギエフ大修道院では入場記念に讃
美歌合唱のCDをいただいた。礼拝開始時の鐘の音が入り、司教の祈りも録音された素晴らしいアルバムで
ある。貴重な記念品になった。
そもそもキリスト教に於いては、15世紀、ビザンチンがローマに再統合することに合意したのであるが、
モスクワ大司教座はこれを裏切りとして認めず、ロシア正教が成立したのであった。深くは民族意識の中に
もプロテスタントとしての意識が存在すると言われる所以であろうか?
ゲルマン(ノルマン)のみならず、モンゴル、トルコとの交戦も重なり、その結果の交流がヨーロッパ文
化の移入を余儀ないものとして、宗教の支えと共に残された証だと思う。
私はサンクト・ペテルブルクのエルミタージュ美術館に期待を込めてこの旅に参加したのであるが、それ
は思い通り圧巻であった。
その歴史に覇権を競う王族達の葛藤はさておき、ロマノフ朝に花を齎している大遺産である。
この国の美術史は、19世紀末からの移動派と呼ばれた前衛芸術家たちによって花開くかに見えたのであ
ったが、惜しいかなアバンギャルド(ロシア構成主義)、前衛絵画の芽生えを見たにとどまった。時の流れ
は、社会主義リアリズムによる制圧がソ連崩壊まで続くことを許したということになる。
少しく、我々も知っているあのシャガールやカンデンスキーは、この時代を生きたのであった。ペテルブ
ルグの舞台装置家であったシャガールは、1911年、25歳でパリへ出た体得を持って14年に帰国する
が、結局又パリへと故郷を後にしている。
ただ、ロマノフの大遺産として、バレーを中心とする舞台芸術こそ世界を圧倒する評価を、今にして尚得
続けている。エルミタージュ劇場の舞台はこの旅で第一に掲げる素晴らしい想い出である。
当然に世界1を誇るマリインスキー劇場は出来る事ならもう一度来て鑑賞したいと思う。
ロシアの人々も距離を縮めて心を通わせてみると、優しく時に茶目っ気な人が多いことも分かった。
コサックの遺産や外観派手で、内実荘厳な信仰の生活への絡みも興味あることとなった。
畢竟、彼の国も自由主義陣営に戻って良かった。まだ安定軌道に乗ったと言えない為か、根底にある民族
の対立問題なのか、昨今の他先進国との摩擦が気になるものの、切に互いの平和を祈るのみである。
旅の疲れを癒す眠りに入ったままシベリアを越えて大陸を離れ、気が付いた時は日本の上空であった。
成田は朝日の昇る時間の着陸であった。
日本の平凡な生活に戻れることの倖せを思った。
(風次郎)
この旅の圧巻であったエルミタージュ宮殿のエカテリーナ王座
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