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最後の日は見事に晴れ上がった。モスクワの中心赤の広場を訪れ、帰国の途に就くのだ。
朝食をゆっくりすませ、荷物の点検を心持気を引き締めて行い、バスに乗った。
バスはクレムリンを北側から見あげるマネージ広場の近くに止まり、私たちはヴァスクレンスキー門から
入った。2塔の下に入り口があり中央が礼拝所である。この門もスターリンがパレードの邪魔になるといっ
て壊したものを、ソ連崩壊後再建したものだとのこと。よく壊し、よく再建する国ではあると思う。
門の前にはロシアの道路基点を記した円い標識があり、そこに立って願い事をすると願いが叶うとか――、
世界のあちこちにある話がここにもあり、メンバーの殊に女性は競って立ち止まっていた。只、本当の起点
はレーニン廟の下だという人もいた。
国立歴史博物館の脇を登って行くと、あまり空が綺麗に晴れたせいか正面から受ける陽の光が眩しく、風
はとても冷たく感じた。開けた目前は右手にレーニン廟があり、煉瓦敷きのようなゴツゴツした石畳の広場
であった。そして一昨日見てきた大統領官邸と元老院カザコフ館のドームが城壁の向こうに見えた。
こここそクレムリンの丘正面の広場「赤の広場」であった。
ソ連時代ここではメーデーと革命記念日のパレードが行われ「赤」はそうした社会主義の象徴をイメージ
される傾向がある。私も同様であったが、しかし、古代スラブ語では「赤」は「美しい」という意味だった
と、この旅の準備で知った。
実は、当初は「赤の広場」という名称ではなかったそうだ。「赤の広場(ロシア語=クラスナヤ広場)」
と名付けられたのは、広場が整備された17世紀後半で、それまでは露天商の並ぶ広場であったようである。
ピョートル1世以降、ロシア帝国の首都はサンクトペテルブルクであったが、ロシア革命後に成立したソ
連の首都がモスクワに定められると、クレムリンには最高指導者が居住したため、赤の広場の重要性は更に
増したのである。
確かに広く象徴的な建物に囲まれた美しい広場である。
近く「ドイツ戦勝70周年記念パレード」が行われるとのことで、その準備が進み、城壁の前中央にある
レーニン廟は柵に囲まれていて入場閉鎖、作業の為のバリゲードが幾つか置かれていた。
レーニン廟
1924年にレーニンが死去した際、全国から弔問に訪れる人民のため、その遺体に保存処理(エンバーミン
グ)が施され、赤の広場に木造の遺体安置所が短期間(約3日間)で建設されたそうである。それが1930年
により恒常的な施設として、現在の花崗岩造りの廟が建設された。さらに、1953年にヨシフ・スターリンが
死去すると、その遺体も保存処理が施されレーニンと並んで安置されていたが、1961年の「第二次スターリ
ン批判」にともなって撤去され、クレムリンの壁とレーニン廟の間にある英雄墓域に埋葬されている。スタ
ーリン以後のソ連最高指導者のうち、在職のまま死去したブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコの3名
もこの墓域に埋葬されているという。
ソビエト連邦解体後、何度も廟の撤去案が持ち上がっているが、その都度多くの反対に合い、撤去されな
いまま現在にいたっているのが実情と伝わっている。
聖ワシリー寺院
私達は広場の東端にある聖ワシリー寺院(ポクロフスキー聖堂)に近づいて観光した。
1560年、イワン4世(雷帝)が、モンゴルへの戦勝を記念して建立した。雷帝に大きな影響を与えた
のがワシリー修道士であり、西域僧が中国に仏教を伝えた時、寺を建てて住まわせたことから、以後、宿泊
所に因んで僧の住処を「寺」と呼ぶようになった由来を繋いでいる。
しかし、仏教寺ではない。高さ46mの塔をはじめ玉葱型の9つの屋根を持つ独特のカラフルな教会建築
であった。
寺院の前にはモスクワをポーランド軍から解放した英雄ミーニン(ノヴゴロドの商人)とポジャルスキー
(スーズダリ大公)の青銅像が立っていた。
赤の広場から眺めるクレムリンも大きく堂々とし、見渡せば入ってきた側の国立歴史博物館もカザンの聖
母聖堂も美しかった。これから皆で入って過ごす広場に面したグム百貨店はまるで宮殿のように豪華な建物
に見えた。
グム百貨店
モスクワ最大の国立百貨店で、1921年にレーニンによって開設された。現在の建物は、1893年に
建てられた工場を、1953年に大改造したものであるとか。私には工場の面影は想像もできなかったが、
吹き抜けで巨大な横長はその名残か?
有名外資系ブランド店やお土産屋が並び、かなり観光客もはいっていたが、ここには背広姿ながら監視員
がそれらしく巡視していた。
3階はフードコートになっていた。腹も良かったので佐藤さんたちとベンチでアイスクリームを食べなが
ら寛いだ。
全てのスケジュールが終わってモスクワでのホッとしたひと時であった。
(風次郎)
グム百貨店:赤の広場に面してパレードの準備が進行中
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