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風次郎の世界旅
 ロシアの旅
(14)

music by MUSIC CAFE

           
         ウスペンスキー大聖堂        イコンとフレスコ画の堂内   

           14. セルギエフ・ポサードへ

                                 ホリデイ・イン・ソコーリニキでゆっくり朝食をとって、9時にバスに乗った。古都「黄金の輪」の一
                               つモスクワから一番近く、ヤロスラヴリ街道を北へ約70キロ、セルギエフ・ポサードを訪ねる。
                                セルギエフ・ポサードは1991年にザゴールスクから旧称であったセルギエフ・ポサードに名前が戻
                               された処、宗教都市である。2時間ほどのバス旅であった。

                                トロイエツ・セルギエフ大修道院
                                町の中心にあるトロイツェ・セルギエフ大修道院=至聖三者聖セルギイ大修道院(しせいさんしゃせい
                               セルギイだいしゅうどういん)=聖セルギエフ三位一体修道院に入場参観した。
                                ここはロシア正教会において最も重要な修道院のひとつであり、その精神的な支柱ともいうべき位置に
                               あるとのことである。
                                ロシア語で言う至聖三者(トロイツェ=Троице)とは正教会用語で、他キリスト教教派でいう三
                               位一体に当たる由、その諸建築はロシア教会建築の優品として知られ、世界遺産として登録されている。
                                1345年、イワン・モスクワ公の勢力を背後に、ラドネジの聖セルギイにより至聖三者(三位一体)を記
                               憶した聖堂が建てられ、修道院の起源となった。
                                建立直後から聖セルギイの指導下で修道院は発展し続け、拡大を続けた大修道院であったが、ロシア革
                               命によってボリシェヴィキ政権(ソ連政府)が神品 (正教会の聖職)・修道士・修道女の虐殺を含む宗教
                               弾圧政策が敷かれ、大修道院も壊滅的打撃を受けることになる。
                                修道院は1920年から1945年までの間、閉鎖され、多くの文化財が散逸した。
                                ソ連時代後半には若干態度を軟化させたソ連政府の下で、修道生活が細々と行われるようになり、後に
                               ソ連崩壊後、大修道院は本格的に復興されたのである。
                                現在、セルギイ大修道院の修道院長は、モスクワおよび全ロシアの総主教が務めるが、実務はセルギエ
                               フ・ポサード駐在の院長代理が務めている。

                                世界遺産である建物群は16世紀に造られた城壁に囲まれている。
                                私たちは入場口から入り、中央に立つ玉葱型の青に白い斑点を付けた4つのドームの中央に金色の大き
                               なドームをもつ「ウスペンスキー大聖堂」に向かった。
                                修道院内最大の大聖堂である生神女就寝大聖堂「ウスペンスキー大聖堂」の内部は、多くのイコンとフ
                               レスコ画で壁が覆われたような、荘厳な雰囲気であった。
                                創設者である聖セルギイの墓所の上に建てられた至聖三者大聖堂「トロイツキー聖堂」にも入った。聖
                               セルギイのほか、聖マクシム・グレク、アラスカの聖インノケンティなど著名な聖人の棺(不朽体)が多
                               く安置されるこの聖堂では多くの信者たちが棺に手を合わせていた。
                                この修道院には著名なイコンが沢山あるとのことであるが、もっとも有名な15世紀に描かれた、アンド
                               レイ・ルブリョフによる『至聖三者』は、当初この至聖三者大聖堂に納められていた原作を現在、トレチ
                               ャコフ美術館に移蔵した由である。
                                他にも教会、宮殿など幾つかの建物を巡った。
                                修道院内には、モスクワ府主教であったマカリイ1世、モスクワ総主教であったアレクシイ1世といった
                               著名な人物の多くの墓もあるとのことである。また、神学校も設置され、19世紀には神学大学に改組され
                               ている。
                                18世紀に建てられたという高さ88メートルを誇る白と青のバロック式5層の「鐘楼」がどこからも
                               聳えるような姿で眺められた。
 
                                構内の土産店で、親しい仲間になった佐藤さんが当にロシアの風景を描いた絵に見入っていた。六号ほ
                               どの油絵で静かに雪の降る中に立つ木々の自然を描写した絵であった。ロシアらしい良い画だと思って私
                               も見入った。彼はそれを記念にと、歓んで買って持ち帰った。いつかまたお目に掛かれるかもしれない。
 
                                帰路に着く前、修道院の中にあるレストラン「トッラピッツナヤプラタ」で昼食になった。信者や修道
                               士などの方々も食事をされるところの由である。修道女の身なりをした人が給仕を司っていた。
                                メニューは ヌードルスープ
                                  ロールキャベツ
                                  ケーキのデザート
                                  コーヒー
                                と簡素であったが、ロールキャベツが格別美味かった。

                                食後、城壁の外で白壁の前に立った聖セルギーの立像を見上げた。それから約50m歩くうちに、急に
                               空が暗くなりあっという間に雹混じりの雪が降ってきた。皆ビックリして、逃げるようにバスに乗り込ん
                               だ。
                                雹はすぐ止んだが、雪は地面が一面に白くなるほど振り続け、バスがセルギエフ・ポサードの町を離れ
                               る頃もまだ降り続いていた。
                                思いがけずロシアの冬景色を眺める事が出来た神妙なひと時であったと思う。思い出の一つになった。
                                車窓から眺める平坦地の畑や、遠くに広がるまだ葉を付けていない落葉樹の林を、静かに降り注ぐ雪が
                               白い世界に変えていく、優しく感じられる春の午后だった。
                                私はバスの後部の座席にもたれつつ、あと一日を残して終盤に迫ったロシアの旅を振り返り、今一度こ
                               の国の歴史を思うのであった。

                                                      ○            ○           ○

                                サンクト・ペテルブルクでは歴史の残した華やかな多くの遺産に触れてきたが、モスクワでは華々しさ
                               の少ない印象である。北国や東の外敵に備え、或いは耐えて切り開く物語の沢山織り込まれた、冷たい時
                               の流れを感ずることが多いなと思いつつ、ガイドブックの歴史のページを繰って行った。         

                                ――――ロシア最古の都、ロシアの都の母とまでいわれるのはモスクワの南西、今はウクライナの首都
                               キエフである。そこはもともとスラヴ人が建設した街でキエフ公国となって栄えていたのだ。
                                9世紀になって、ある僧が北方の地ノヴゴドロに派生新境地を求めて街を開き、国の歴史は展開する。
                               自治で公を選んでいた新開地ノヴゴドロでは、やがてノルマンに統治する公を望み、派遣されてきたリュ
                               ーリクが支配勢力を延ばしたと伝説されている。
                                そしてその子孫であるウラジーミルがキリスト教(ギリシャ正教=東方正教)を受容し、11世紀には
                               東ローマ皇帝の娘を妻として迎え入れ、コンスタンチノープル陥落後のギリシャ正教の正統を受け継ぐこ
                               とになったのであった。12世紀、モスクワを創建したロストフ・スーズダリはこの血統である。
                                しかし、13世紀にはモンゴルが侵入し、以降250年の間キエフは支配されることとなる。
                                この間、ノヴゴドロは免れていたが、ノヴゴドロ公アレクサンドル(ロマノフ朝のアレクサンドルとは
                               別人)の出現により、ネバ川でスエーデン軍を、チャド湖でドイツ軍を撃退しアレクサンドル・ネフスキ
                               ーを称しつつ、一方でウラジミール大公としてモンゴルに恭順しつつ国力を保持したのであった。
                                14世紀に入るとイワン・モスクワ公の勢力拡大期に入る。
                                ウラジミールから大主教府をモスクワに移し、イワン3世はモンゴル支配を脱してツァーリ(皇帝)を
                               自称、双頭の鷲を国章と定めモスクワのクレムリンを皇室とロシア正教の主府として大改修する。私達は
                               昨日その遺産を見届けてきたのであった。
                                この国の歴史も民族の争いと、そこに寄り添うべきとする正教との結びつきを辿らずしては語れまい。
                                イワン4世後、16〜7世紀にかけて動乱期に入りリューリク朝は断絶、ロマノフへと時代は受け継が
                               れることになったのである。
                                ロマノフの時代は舞台をサンクト・ペテルブルクに移しての、華々しい遺産を私たちは見てきた。

                                                  ○        ○         ○

                                雪はモスクワの市街地に近い環状道路のあたりまで来ると止んでいた。
                                バスは途中「ロシアンプレゼンツ」という土産物屋に寄って4時半ごろホテルに戻った。
                                その日はホテルのレストランでこの旅最後の晩餐会が行われることになっていたので、はなと私は、そ
                               れまで部屋でリラックスすることにした。部屋の窓外はすっきりと晴れて街の姿が見渡せ、セレギエフ・
                               ポサードから帰り道の雪は、「夢を見ていたかの気分だったね」と話しながら、部屋のコーヒーを沸かし
                               て飲んだ。
                                晩餐会は、皆最後の交歓で盛り上がった。私達も再々度佐藤夫妻や他の仲間と楽しかった思い出を交歓
                               し合った。
                                レストラン「モスクワ」ノメニューは、
                                  四季のベジタブルサラダ
                                  トマトノクリームスープ
                                  ビーフストロガノフ(ストロガノフ伯爵の為に作られたといわれる料理)
                                  デザート(ケーキ)   であった。                            
                                                                                    (風次郎)

               
                    雪のトロイエツ・セルギエフ大修道院   


 

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