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クレムリン入城
クレムリンの赤い星
クレムリンには囲繞する20の尖塔がある。これらの塔のうち、トロイツカヤ塔、ホロヴィツカヤ塔、
ヴォドヴズヴォドナヤ塔、スパスカヤ塔、ニコリスカヤ塔の先端には、ウラル山脈から採掘されたル
ビーで作られた直径3メートルもある赤い星(クレムリンの赤い星)が掲げられている。1930年代に
設置されたもので、五角形の光るルビー色の星は帝政ロシアを象徴してきた双頭の鷲を赤い星に置き
換えたものとのことである。
入場口となっているクタフィア塔で入場審査を受けた。私は依然として共産党勢力下のソ連の意識
に捕われている傾向が抜けきれず、X線で手荷物検査を受けただけの入場審査は若干拍子抜けであっ
た。
この後の観光も、ガイドの説明表現もいま風な冗談を加えたフランクなものだったし、厳めしい制
服の警備員も目に付かず、観光客に対してはとてもフレンドリーな感じを受けた。観光資源として国
が意識しているだろうことはあろうが、グローバルは確かに世界を変えているのだと感じた。
クレムリン(露:Кремль英語やフランス語などではKremlin )は、歴史上もロシア連邦の首
都、旧ロシア帝国の宮殿であった処だ。今は、ロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれている。
入場すると坂になった橋を渡り、先ず四角の城門に赤い星ととんがり帽子のトロイツカヤ塔を潜っ
て城壁の中に入った。左手が兵器庫、右手に旧クレムリン大会宮殿のある緩い坂を歩いて行った。
国立クレムリン宮殿(旧クレムリン大会宮殿)
城内では最も新しい建物、1961年完成したガラスとアルミニュームとウラルの大理石で造られ
た銀色に輝く宮殿である。ファザードは、ガラス張りで鉄筋コンクリートの直線的な社会主義モダニ
ズム建築ということである。6000人を収容可能な議事堂で、かつてはソ連共産党大会や中央委員会総
会に用いられたが、今は国際会議やオペラ、バレエの劇場として用いられているようである。
モダンな感じで綺麗だが、1990年クレムリンが世界遺産に登録された際には、この宮殿のみ鉄筋コ
ンクリートとガラス張りの近代性ゆえに世界遺産としての指定がなされていない。
元老院(ロシア連邦大統領府)
左側には、ずらりと大砲を並べた兵器庫の前を過ぎた先に、旧元老院(ロシア連邦大統領府)(カ
ザコフ館)を見上げつつ歩いた。ソ連時代は書記長の執務室が入っていた処。また、ソビエト時代に
は閣僚会議館。設計者マトヴェイ・カザコフの名前を取ってカザコフ館とも呼ばれる。二等辺三角形
の3階建。赤の広場から、レーニン廟越しに見ると、カザコフ館のドームが見えるここに、レーニン
以来、歴代のソ連指導者の執務室が置かれたのである。
18世紀末に築かれたロシア・クラシック様式の典型と言われ、隣接する大統領官邸などの周囲の
建物と同じ黄色の外観で調和が取れ雰囲気ある建物であった。
聖堂広場
向かい側右手には玉葱状のドーム屋根が幾つもあり、聖堂広場であった。丁度丘の上の感じである。
ロシア正教の総主教の宮殿(十二使徒教会)である「パトリアーシェ宮殿」、イタリアの建築家フ
リアツィン、ペトロフ・マリー等によって16世紀に建てられた「イワン大帝の鐘楼」、皇帝の礼拝
所とされたリ「ザバラジェーニャ教会」、「ブラゴヴェシチェンスキー聖堂(生神女福音大聖堂)」、
5個の丸屋根を持ち、歴代のモスクワ公、後にロシア皇帝の遺体安置所となった「アルハンゲルスキ
ー聖堂」、これらに囲まれ、かつてロシア帝国の国教大聖堂とされ、ロシア皇帝が戴冠式に臨み、モ
スクワ総主教が葬儀に付された場所である「ウスペンスキー大聖堂」が群立している。
広場の手まえ側イワン大帝の鐘楼の下には、1586年にアンドレイ・チョホフによって鋳造され
た世界最大口径の大砲(一度も発砲されたことは無い)「皇帝の大砲」と、1735年イワン・マト
ーリン、ミハイル父子によって造られた200トンの世界最大の鐘(一部欠けている、また撞かれた
ことは無い)「鏡の皇帝」が鎮座していた。
これらには若者や子供たちの観光客が纏わりついて、楽しそうだった。
ウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)
私達はウスペンスキー大聖堂に入り礼拝参観をした。ロシア帝国の国教大聖堂として君臨し、皇帝
の戴冠式やモスクワ総主教の葬儀も行われてきたこの場所は、現在でもロシア連邦大統領就任式でロ
シア正教会による祝福が行われる処である。
14世紀タリアの建築家アリストートル・フィオラヴァンティの設計で創建され、地震による倒壊
後の1479年に再建されたとのこと。ここも5つのドームを持ち、全高は38メートル。内陣は、フ
レスコ、沢山のイコンによって飾られた荘厳な雰囲気である。堂内を照らす銀のシャンデリアは、ナ
ポレオン軍が盗み出した300kgの金と5トンの銀を奪い返してつくったと言われといる。
大クレムリン宮殿
1812年に焼失した宮殿跡に、1839年から1849年にかけて造営された宮殿ではあるが、広義のクレム
リン大宮殿には、グラノヴィータ宮とテレムノイ宮殿を合わせたものを指して呼ぶという。両宮殿は
タリア人建築家マルコ・ルッフォとピエトロ・ソラーリにより1491年に完成されたものであった。
内部にあるホールでは、帝政ロシア時代、イワン雷帝のカザン占領記念の祝典や、ピョートル大帝
のポルタワの戦いの勝利祝典などが行われている。
テレムノイ宮殿は(古い言葉で「高級な住まい」を意味すると言われる)ロシア帝国の歴代皇帝(
ツァーリ)の御所であった。
見渡す大クレムリン宮殿は、全長 125メートル、奥行き63メートルの大建築で、外観三階建て、内
部二階建てである。設計・監督はコンスタンチン・アンドレーエヴィッチ・トン。トンは、宮殿建設
に当たり、当時の最新技術を導入することに意を用い、規模と豪華さにおいて、同時期に造営された
ヨーロッパ列強の宮廷建築を凌駕すると言われる。宮殿には、ウラル山脈から採掘された国産孔雀石、
花崗岩などの諸石材が使われ、家具、織物、シャンデリア、磁器や青銅器などの装飾品は、サンクト
ペテルブルクやモスクワの工房に特注された逸品とのこと。
一階には、皇帝の私室、二階には、国家行事に使用された大ホールがある。大ホールは、いずれも
ロシア帝国の主要な勲章にちなんで、エカテリーナの間、ウラジーミルの間、ゲオルギーの間、アレ
クサンドロフの間、アンドレーエフの間がある。アレクサンドロフの間とアンドレーエフの間は1939
年に壁を撤去して一つのホールとし、ソ連最高会議及びロシア・ソビエト連邦社会主義共和国最高会
議の議場として使われていた。
現在一般には非公開で、私たちは道路越しモスクワ川の辺の緑地公園から見渡すのみであった。
出口寄りにある武器庫(19世紀に兵器を保管、製造する場として建てられたが、実際には歴史博
物館。特にロマノフ王朝期の工芸美術品を展示したダイヤモンド庫が有名)にも入場出来ず残念だっ
た。
出口は城壁南側の赤い星、ボロイツカヤ塔を潜り市民の憩う公園を抜けてバスに乗った。
その日の投宿先ホリデイ・イン・ソコーリニキに向って、マネーシ広場、劇場広場と通っていくと
有名なボリショイ劇場の壮然とした全景が見えた。さらに劇場通りの突き当りには、歴史的には名う
てのKGBがあった。
早朝から長かったこの日の予定を終えて、バスは市街北東部にむけて約30分走りホテルに着いた。
(風次郎)
鐘の皇帝 大クレムリン宮殿
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