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晴れて暑いくらいになった。昼食は添乗員の上谷さんがあらかじめ予約した「TERME COLOSSEO」(訳せば「
コロッセオ浴場」)という店に入った。ピザだったがローマ風、ナポリ風と観光客向けに少量を組み合わせて出て
きた。私はそれよりも喉を潤すイタリアビールがうまかった。
午後のスケジュールは地下鉄でまずトレビの泉へ行くことになっていたので、皆スリに気を付けようという話が
盛り上がった、私の背負っているリュックサックが一番危ないということになり、仕方なく私はリュックを前掛けに
して歩くことになった。
コロッセオ界隈やトレビの泉は世界的なスリの活躍場のようである。そう思ってみると、地下鉄のホームには
それらしき者がいっぱいいた。地下鉄カヴールから乗り換えでバルベリーニまで行って歩いた。
9.トレビの泉とマッシモ宮
「トレビの泉」
もともとは、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが建設したもので、ヴィルゴ水道(ヴェルジネ水道、乙女の
水道の意)の終端施設としての人工の泉が、場所を替えた後、今の位置になった。現在のバロック様式のトレ
ビの泉はローマでは最大級、18世紀にローマの建築家ニッコロ・サルヴィの設計で改造され(ピエトロ・ブラッチ
が制作)、彼の死後の1762年に完成した。1700年の歴史を刻む美しい泉である。
ポーリ宮殿の施設の一部として宮殿正面にあり、中央に海神ポセイドン、左右に豊饒の女神ケレス(デメテル)
女神サルース(ヒュギエイア)を配した構図は、サルヴィのデザインである。
ローマの代表的な観光名所の一つでいつもの通り大混雑。仲間は何回も来ているようだが今回もコインを投
げていた。私は背後の彫刻を眺めて過ごした。
今度は路線バスに乗ってテルミニ駅へ行きマッシモ宮へ行った。
「マッシモ宮(国立博物館新館)」
1911年、テルミニ駅近くにあった古代ローマのディオクレティアヌス帝浴場跡にイタリア統一50周年を記念して
「国立博物館」が開館し、テルメ博物館とも呼ばれ親しまれ、愛されてきた。
しかし、建物の老朽化に伴って、現在では主要な展示品の多くが、隣に建つマッシモ宮と市内ナヴォーナ広
場近くのアルテンプス宮、ヴェネツィア広場近くのクリプタ・バルビに移され、公開されている。
新館のマッシモ宮はネオ・ルネサンス様式建物で、紀元前2世紀から紀元4世紀の彫刻、モザイク、フレスコ
画などを主に展示する世界で最も重要なコレクションと言われる。
撮影が可能であった。印象的で、よく見届けたいくつかを記しておこう。
入館して2階へ上がると、古代の傑作と呼ばれる『大理石の石棺』があった。1931年にローマのポルトナッ
チョという地区で発見された為、”ポルトナッチョの石棺と名付けられている。
180年頃(日本では弥生時代)に作られたもので、高さは150cm位ある大きな棺である。表面の大理石をノミ
で丁寧に彫った模様は、ローマ人(ローマ兵)とゲルマン人との戦いを主題にして彫ったものとのこと。この棺に
入れられた人は、マルクス・アウレリウスに仕え、この戦さを立派に指揮したローマ帝国の将軍のお墓ではない
かと推測されているとのことである。
見ごたえのあったのは、休む兵士のブロンズ像。険しい表情や、顔の切り傷、巻き毛やひげなどものすごい
リアルで、ブロンズの迫力に押されるほどだった。
同じ2階のフロアーには、有名な『円盤投げ』があった。壊れたものと修復されたものが並べてあり見入った。
が、有名だがコピーである。古代ギリシャで動的な作品を手掛けたミュロンの原作。(BC5世紀=オリジナルは
青銅製で現在は失われている)複製が多く作られ、現在27点が知られているそうである。
BC 146年、ギリシャはローマの属州となったが、ローマ人たちはギリシャの哲学、美術に魅了され、権力者達
はギリシャの彫刻を模倣しては館を飾ったのである。
展示作品は、1781年、古代ローマ七丘のひとつであるエスクィリーノの丘の、パロンバーラ村から発掘された。
この地は貴族のマッシモ家の所有であったため、この彫像もマッシモ家の所有となり、住居であった”マッシモ・
コロンナ宮”に置かれた。(マッシモ家は、古代の共和制ローマ時代に遡ることができるほどの名門貴族で、ルネ
ッサンス以降〜現代に至るまでローマでは大きな存在感を示してきた。)
発掘当初に、ガイウスッペ・アンジェリーニという人物が修復を施したという記録が残っているが、いずれにせよ
2世紀頃の作とすれば古いものである。
円盤を投げるにはこのポーズだと無理な動作で、左足が前に来なければおかしいと、創作の過ちを唱えたり、
ミュロンの造形主義を言ったりする人がいるが、私には円盤投げには、構えの瞬間にこの姿勢があると考えられ、
描写の粋が極められていると思える。
『眠れるヘルメス・アフロディーテ』(両性具有神)ちなみに、両性具有者を意味する語は(エルマフロディート)、
語源はギリシャ神話であが、変わった存在であったが、とても美しく感じた。
ギリシャ神話のエルメス(旅の守護神)とアフロディーテ(美の女神)、この2人の子どもの名前だそうだ。たくま
しかった男神と美しい女神、その2つを兼ね備えた人間が神話の中では存在したのである。
この世界の発想領域は万世不変であろう。
3階には、博物館で最も美しいフレスコ画と言われる『リヴィア家のフレスコ画』が展示されていた。朝パラティー
ノの丘で外見を眺めた屋敷にあったものかと思ったが違った。このフレスコ画は、後に初代ローマ帝国皇帝アウ
グストスの妃となるリヴィアがBC30〜25年の間に建てたフラミニア街道沿いの別荘を飾っていた壁画とのことで
あった。
ブルーの背景を前に、たわわに実る果樹や草花、小鳥などが美しく描かれている。描かれている草花は同じ季
節には決して咲かないもの同士も混在するゆめものがたりである。
同じく3階には、ローマの中心部を流れるテヴェレ川の護岸工事(1879年〜)の際にその存在が明るみとなった、
アウグストスの『ファルネジーナ荘の壁画』が展示されていた。ファルネジーナ荘のトリクリニウム(横臥食卓のあ
る古代ローマの貴族の家の食堂)、寝室、廊下、その他の共有部分などをそれぞれ組み立て直して広い面積で
公開されている。寝室の男女のエロティックなシーンを主題にした壁画などもあるが、描写の中の男性は、いず
れも褐色の鍛えられたられた裸の上半身で、女性は発色の良い綺麗な色の衣服を下半身に纏っている。カップ
ルは愛の喜びや人生の愉しみを表現している。
古代のミステリアスな時空がそこにはあった。
1階に降りると中庭を中心に彫刻、フレスコ画、モザイクなどが展示されている。「メルポメネーの女神」や「ティ
ヴォリの将軍」、「傷付いたニオペの娘」などがあった。
私は歴代皇帝の胸像など興味を持って観た。
カンツォーネディナー
その日の見学日程を終わって、テルミニ駅前にほど近い三越ローマ店で買い物がてら休憩をした。(三越の地
下にはお茶が飲める休憩室が設けられており、日本人には有難いお休み処である)丁度夕立がやってきて雨が
ひどくなったからである。
私は他の夫婦2人連れ2組と夜の部カンツォーネディナーに行くことになっていたので雨の中ホテルへ戻ること
をやめて、そこへ迎えに来てもらうように頼み、ゆっくり休むことにした。ディナーは6時半の予約だったので丁度
良かった。
車は市内からピンチアーナ門を通って市内の混雑を迂回し北に走った。テレべ川を越してバチカンの先、着い
たカンツォーネレストランは「カサノバ」であった。
中2階付のフロアーで、私たちは仲間が一緒で1階のテーブルに席をもらった。1階は奥の方に中国人の団体
らしい人たちがいる外、まだ客席は開いていた。中2階は欧米系の団体で賑わっていてざわつきが1階まで聞こ
えてきたが、ディナーショウであるし、観客の振る舞いとしては致し方ない。
すでに恰幅の良い男性とやや背の高い30代と見られる女性の歌手が二人、フロアーに出てサンタルチアを歌
っていた。男性歌手の声はババロッティーばりで素晴らしかったが、伴奏は全てテープで残念な気がした。ギター
やアコーディオンなどの演奏が伴えばディナコンの雰囲気は全然違ってくる。帰れソレントなどポピュラーなもの4〜
5曲を歌ってくれたがリクエストはできなかった。
一日中歩いたから喉が渇いてビールとワインを飲み、スープと肉料理、パスタ、野菜サラダで食事をとった。ウェ
イターはあまり気が利かなかったので、仲間うちで気楽な話をして和気藹々と過ごした。日本に帰ってから偶然に
もネットで投稿者がここのウェイターの悪評を書いていたのを発見、「あいつのことか!!」と苦笑いしてしまった。
これも旅の一つと留め置くしかない。
9時ごろにはホテルに戻り、風呂で疲れを癒して休んだ。
風次郎
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