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10.バロック美術の日
朝のボルゲーゼ行き
滞在4日目の朝を迎えた。幸い体調に変わりなくてよかった。
まだ5時前だったが窓の外を見た。昨日せっかくボルゲーゼ美術館の入場券(明日の予定)を確保したから、
朝のうちにヴェネト通りからピンチャーナ門を見ながら、ボルゲーゼ公園の様子をつかんでおこうと思っていたか
ら、晴れていてホッとした。
念のためパスポートとカメラだけ持ってフロントに降りると、もう外国の旅行社のコンダクターらしい女性がロビー
で仕事をしていた。早朝から離れたところへ宿泊客を案内する予定があるらしい。
カウンターの男とちょっとした挨拶を交わして外に出る。
日中はまだ暑くて汗を掻くが、朝はヒンヤリしている。
カヴール通りを西へ少し歩き、フォロ・インペリアーリ通り手前で狭い道(日中はこちらからトライアヌスの市場に
入れる)を皇帝のフォロに沿って登っていくと「マンニャナポリ広場」に出る。共和国広場からナッツィナーレ通りを
真っすぐ下り切ったところだ。三角で広場とは名ばかりのところである。通り越して大統領官邸(クィリナーレ宮殿)
に向かう。緩い坂道を登りきったところがクィリナーレ広場である。
広場の西側が「クイリナーレ宮殿」。
1583年に教皇グレゴリウス 13世の夏の宮殿として建てられ、1871年にはイタリア王国の宮殿となった。宮殿前
には高さ 28.94m、のオベリスクがある。エジプトから運ばれた原石を用いて、アウグストゥス廟に建てられた2本
のオベリスクのうちの1本である。他の1本は エスクイリーノ広場(サンタ・マリア・マジョッレ教会のカヴール側広
場)にある。台座の左右の馬と人物の彫像はギリシャ神話のカストルとポルックスの双子の兄弟の像で(ゼウス
神の子供)これはカンピドリオの階段上にもあった。
大統領官邸に沿って右に進み、国防省の角から左に折れる。右は「バルベリーニ宮」で現在国立古典絵画館に
なっている。門に続く庭園の先に、白みがかった空を背に静かにたたずむ宮殿であった。設計者カルロ・マデルノ
は緑との調和をテーマにしたと言われ、バロックの巨匠ベルニーニとボッロミーニの手による壮大な構えの館であ
る。
ここにはラファエロの恋人の絵「フォルナリーナ」がある。
すこし下ると前が開け「バルベリーニ広場」である。バロックに名を馳せたベルニーニがウルバヌス8世のために
造ったと言われる、イルカに支えられて貝殻の上に乗った半人半魚の海神トリトーネが、ホラ貝から水を噴き上げ
ている噴水が、朝の広場に音を響かせている。後ろに見えるホテルのホテル・ベルニーニのネオンも広場の装飾
のようである。
バルベリーニ広場には北側のヴェネト通りの南端に「蜂の噴水」もある。これもベルニーニの作、3匹の蜂はバル
ベリーニ家の紋章であった。
朝が明けてきた。青空の広がった良い天気で良かった。
蜂の噴水から北へ登る「ヴェネト通り」であった。ローマで最もエレガントだと言われる並木道が続く。まだまだ緑
が濃い。
すぐ通称「骸骨寺」の前を通った。地下のカタコンベには膨大な数の骸骨が飾られるように祀られているという。
教皇ウルバヌス8世の弟で枢機卿アントニオ・バルベリーニのために建てられたサンタ・マリア・インマコラータ・
コンチェツィオーネ教会である。(日本語に訳せば聖母マリア処女懐胎教会)
ヴェネト通りにはアメリカ大使館や高級ホテル、カフェなどが並んでいるが、まだ朝の静けさの中で、散歩に歩く
人がちらほらといったところである。ヴェネト通りを歩くのは初めてであったが、ほぼ1kmくらいの並木道は散歩す
るには格好であろう。
突き当りが、「ピンチアーナ門」であった。
市内からピンチョの丘へ抜けて昨夜も通った。3世紀後半アウレリアヌスによる城壁の門である。このあたりの城
壁は修復が行き届いているが、白い部分が建造当時の部分と聞かされていた。
門をくぐれば、北にボルゲーゼ公園が広がっている。公園内の道を右手にまっすぐ進み「ボルゲーゼ美術館」を
確かめて朝の散策を終え、私はホテルへ戻った。
*
ポポロ広場へ
朝食を済ませてロビーに集合し、内山さんを迎えた。今日はバロックの鑑賞に出かけることになっている。昨日と同
じで、市内は地下鉄とバスを利用するので「ローマパス」という期間決めの市内交通切符を各自が持ち、カヴールの
地下鉄乗り場へ向かった。
8時を回ったばかりで道路も駅も混雑しているが、スリには昨日ほど気を使わなかった。多少の慣れが備わったの
か――?
13人の仲間が二手に分かれて乗り、ポポロ広場で降りた。バロック期の著名な彫刻家であり建築家でもあるベルニ
ーニの設計によるポポロ門(フラミニア街道からローマ巡礼の通り道で旧い門はフラミニア門と呼ばれた)を潜って広場
を見渡した。
9月の半ばを過ぎたといえまだ陽は夏のままで、眩しく強く暑さを覚えるほどであった。
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
聖ピエトロの逆磔「カラヴァッチョ」
最初は門のすぐ左手にあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会のカラバッチョの鑑賞である。
バロックは1600〜1715年頃にヨーロッパに展開した古典美術に対する様式概念。豊麗で感覚的,現実的な特徴をも
つ。イタリアでルネサンス盛期の豪壮な美術として芽生えた。
伝説によると、この場所には皇帝ネロを埋葬するドミティアヌス家の墓があり、そこに生えたクルミの木に悪魔が住み
ついていると人々に恐れられてた。そこで教皇パスカリス2世は、夢に現れた聖母マリアのお告げ通りにクルミの木を
切り倒し、ネロの遺体を焼いた遺灰をテヴェレ川に流したところ、それ以後悪魔は現れなくなったので、それを感謝して
1099年にパスカリス2世が聖母マリアに捧げる教会を建てたのが、この教会の始まりとのことである。建設資金を市民
(popolo)が負担したので、サンタ・マリア・”デル・ポポロ”と呼ばれているのである。
教会は13世紀初期に再建され、さらに1472年にローヴェレ家出身の教皇シクトゥス4世により再度再建され、現在の
ルネサンス様式の教会となった。
教会の内部は三廊式になっている。左側奥のチェラージ礼拝堂にカラヴァッジォの「聖ペテロの逆さ磔」の名画があった。
コインを入れて灯かりをつけ鑑賞した「聖ペテロの逆さ磔」は、皇帝ネロによるキリスト教弾圧の中、ローマを脱出したペ
テロが、アッピア街道でキリストに遭ってローマに戻り処刑され、キリストと同じ形での処刑を拒んで、逆さ十字にかけられる
ことを希望したとの言われを画にした作品である。
十字架を逆さにする必死の努力をドラマチックに強調するための短縮法が用いられたとの謂れがある。
他にカラバッチョの作は中央に「聖母被昇天」脇に「聖パウロの改宗」を観た。
主祭壇にビザンチンの板絵「マドンナ・デル・ポポロ」が掲げられ、のみならず、ロヴェーレ家の礼拝堂の「幼子キリストの礼
拝」、キージ家礼拝堂ではラファエロの設計とモザイクを見ると共に、ベルニーニの「預言者ハバスク」「獅子と預言者ダニ
エル」を観ることが出来た。教会は当に美術館の雰囲気を醸していた。
ポポロ広場
古くから、フラミニアからローマの入口に当たる交通の要所であった。
中央のオベリスクは、BC10年に、アウグストゥスによりエジプトのヘリオポリスから運ばれてきたラムセス2世のオベリスク
である。当初、チルコ・マッシモに建てられていたが、1589年にシクストゥス5世によりこの場所に移設された。基盤も含めれ
ば高さ36メートルである。
広場から南に向かって3本の道路が放射状に伸びている。バロック期に広場に面してドームを載せた2つの教会(双子教
会と呼ばれ、よく見ると丸屋根が少し違う)が建設された。サンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタ・マリア・デイ・ミラー
コリ教会である。
3本の道路の一番東側バブイーノ通りを歩いて私たちはスペイン広場に向かった。
解説の西山さんが道沿いの骨董品や多種の本の店、ユニークな喫茶店などを紹介してくれたので時間を造ってきたいと思
ったが、今回はこれも実現しなかった。
スペイン広場から再びトレビの泉
さすがにローマの人気スポット、好天の下で世界中からの観光客で賑わっている。私たちの仲間ではもはや階段に座る
者はいなかったが、階段も人がいっぱい。船の噴水から青空が広がった丘の上の白い教会が清々しい眺めであった。
少し小路へ入って早道をし、バルベリーニとコルソ通りを繋ぐトリトーネ通りを渡りトレビの泉で休憩することになった。
泉の向かいの休憩室のあるジェラード屋さんでみんなで若者のようにジェラードを食べた。
私はこの旅では土産物を買わないで通すつもりだったが、噴水の前のワゴンで1ユーロで売っていたスリムの栓抜きが
気に入って一つ買ってしまった。
小路へ入ってコルソ通りへ出て渡り、コロンナ広場に建つ巨大なマルクス・アウレリウス帝の記念柱を観た。その奥を東
へ進み今はローマ証券取引所の建物になっているアドリアーノ神殿柱部分の列柱を観た。
次の美術鑑賞目的地サンタゴスティーノ教会へ向かう。
スペイン広場 みんな背中を向けてコイン投げ(トレビの泉) マルクス・アウレリウスの記念柱
サンタゴスティーノ教会
主祭壇はベルニーニのものである。幾何学的でかつ直線的なファサードはどちらかと言うと地味だが、1483年に完成され、
初期ルネサンス教会の好例といわれている。内部はポツポツと白い点が夜空の星のように見えるかまぼこ型の深い青色を
している高い天井と茶色の柱が印象的である。
入口から左側3番目の柱には、有名な「出産の聖母」(ヤコボ・サンソヴィーノ作)の像があり、その真上にはラファエロの「
預言者のイザヤ」があった。この絵にはヴァチカン、システィーナ礼拝堂のミケランジェロの影響が強く感じられるという説が
あるが、迫力に他の画との違いが感じ取れる。絵画の世界はラファエロから大きく変わったのだった。
カラヴァッジョの画 「巡礼の聖母」は、左側の最も入り口よりの礼拝堂にあった。 巡礼の長旅で黒く汚れた裸足の足を観
る者の方へ突き出した夫婦が、光輪がなければとてもそうとはわからない庶民的な姿の聖母子に、跪いて祈る姿を描いて
いる。
実際、数え切れない巡礼者たちが、聖母マリアに奇跡を求め、あるいは神のとりなしを求めて、ロレートへ向かったと言わ
れる。カラヴァッジョもロレートに立ち寄りそれらの巡礼者たちを目にしたのであろう。
毅然と立つ美しい聖母のモデルは、カラヴァッジョの恋人で、娼婦だったレーナと言われている。
カラヴァッジョは本名ミケランジェロ・メリージ。1571年イタリア、ミラノで生まれ近くのカラヴァッジョ村で育ったので、こう呼ば
れるようになった。ローマへ逃亡。画家の助手をしながら画業で頭角を現し、1600年に描いた「聖マタイの召命」で名声を得
るのである。これは光と闇を劇的に使用し、徹底した写実主義と共に、それまでの古典絵画を革新し、バロック時代を切り開
くものであった。カラヴァッチョは全体の印象の中に聖なるものを表現する手法に長けていた。
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会
10世紀末には、サラセン人にファルファ修道院を焼かれた避難民はローマに移り教会や住居や風車やブドウ畑を所有す
るようになって行った。1480年、ファルファ修道院が資産をメディチ家に引き渡したとき、サンタ・マリア教会を聖ルイ教会に
改称する(第7回十字軍を指揮したルイ9世を祀る)。これを基に枢機卿ジュリオ・デ・メディチは1518年、フランス人コミュニ
ティのための教会の建設を委任している。教会建設は一時中断したが、1589年にドメニコ・フォンターナが完成させ、1749
年から1756年にかけてさらに内装が改められた。 ローマ在住フランス人の国民教会である。
この教会でも最も有名な絵はコンタレッリ礼拝堂にある一連の絵であり、バロック絵画の先駆者カラヴァッジオが1599年か
ら1600年に聖マタイの生涯を描いた絵である。
「聖マタイの召命」、「聖マタイと天使」、「聖マタイの殉教」の3枚を観た。
宗教画の域を超えて、「光と影」の画家と言われる世界でのカラヴァッジオの技量を発揮していく作品群であった。
教会を出て、私たちは一旦バロックを離れ、近くの「パンテオン」の外貌を見た。
パンテオン
入り口前のロトンダ広場は、ここも大変な国際的混雑で入場に手間取るほどである。
パンテオンとはギリシア語の Pan (パン)"全ての"、theos(テオス)"神"より由来し、"全ての神々の神殿"という意味だそう
である。
様々な種類の神や宗派の壁を越えて全ての神を祭るために建てられた万神殿ということか。キリスト教が浸透し、ローマの
神々への信仰が薄れてしまった後も、キリスト教の寺院として利用されることとなり、現在にその姿を残しているのだそうであ
る。
ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの腹心アグリッパがBC25年に建設した。その後AD80年に火災で焼失し、ハドリアヌス
(14代)により 128年に再建されている。現存する石造り建築としては世界最大の規模を誇り、宗教的な意味合いだけでは
なく建築や歴史的な価値も併せ持つ建築物として有名である。
ポルチコと呼ばれる廊玄関は花崗岩から切り出した高さ12.5mの巨大な柱が16本並び、ロトンダと呼ばれる円形の聖堂
は直径・高さ共に43.2を誇る巨大なドーム空間(クーポラ)である。
鉄筋や釘を使用せず数種類の石を混ぜ合わせて作られた大きなクーポラは神業ものといわれ、天井の美しい模様ばか
りか、オクルスと呼ばれる直径9mの中央の開口部から降り注ぐ光線が多様な表情を創り出す。
内部は上品な黄色で統一され、まん丸さとも相まっての美しさ、センスの良さを感じさせられる。ヌミビア産(現チュニジア)
の黄色い大理石を円柱に使っているとのことである。
工夫を凝らした設計・構造・材料から時のローマの建築技術の高さを思わせられる建築と思う。もし雨が降ったとき、オル
クスはパンテオンを水浸しに?‐‐‐ということはなく、床に排水孔を通すことで雨が降ったときの水はけを確保しているのだ
そうである。
南側の主祭壇を中心にカラヴァッジョ、ベラスケス、ベルニーニなどの著名芸術家の作品をも保管している。また、内部に
はイタリア王国の初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世と、ルネサンス期の巨匠ラファエロが埋葬されているのです。ラファ
エロにはパンテオンに埋葬されることを希望したというエピソードがある。
風次郎
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