☆☆☆

風次郎の世界旅
 ローマ2018
(8)

music by KASEDA MUSIC LABO

              
朝のエマヌエーレ2世記念堂

ローマ2018(8)

          8.カンピドリオからフォーリ・インペリアーリ

               「カンピドリオ広場」

                      カンピドリオの丘はローマの七つの丘(通常他にアヴェンティーノ、チェリオ、エスクィリ
                     ーノ=トライアーノ公園、パラティーノ、クィリナーレ=大統領官邸、ヴィミナーレ=テル
                     ミニ駅)の中で最も高い丘である。登る中段の道からは、いま過ごしてきたフォロ・ロ
                     マーノの遺跡群の広がりが一手に見渡せた。市庁舎とカピトリーニ美術館の間から広
                     場に出る。

                      古代ローマの中心地として最高神ユピテル、ユノー、ミネルバの神殿が置かれた広場
                     は、下段のフォロ・ローマ側にある古代ローマの記録庫(タブラリウム)を中核として、
                     中世には改築された旧元老院もあった。伝説は、この丘に人々が住み着いたのは建国よ
                     りずっと昔の鉄器時代(BC1300)という。当にローマ発生の地と言うべきか。
                      現在の広場は16世紀半ばにミケランジェロの設計によって造られたものである。
                      ミケランジェロは旧元老院前の広場の輪郭を梯形(台形)とするために、左右に新た
                     に設計した2棟の建物の間隔が、奥が幅広く手前が狭くなるように配置し、その梯形の
                     枠内に星形を基調としたデザインを組み入れ、中心部にマルクス・アウレリウスの騎馬
                     像を建てた(現在広場にあるのはコピー、本物は美術館内)。
                      また旧元老院(現ローマ市庁舎)の正面には新たに両面階段を取り付け、前面左右に
                     河神「ナイル」と「テーベレ」の擬人像を配した噴水盤を設け、その上部に女神「ロー
                     マ」の彫像を置いている。ミケランジェロ作品の名声はここにも高い。
                      このような、広場と建物とを調和的に結合させようというミケランジェロの構想を、
                     16世紀後半からその死後17世紀初頭にかけて実現させたのは、建築家ジローラモ・
                     ライナルディとジャコモ・デッラ・ポルタの2人であった。

                      正面から広場に通じる幅広い階段を登りつめたところに立つと、両側にはカストルと
                     ポルックスの巨像(ローマを戦勝に導いた伝説の勇士)が立ち、梯形をなす広場の中央
                      『マルクス騎馬像』の先には庁舎、両側にコンセルバトーリ宮博物館およびカピトリーノ
                     美術館が建っている。

                      私は朝の散歩でも何回もこの丘を越えた(ホテルから西の地域に行き来するにはここ
                     を越えるのが近かった)。博物館には歴史を語る「カピトリーノの雌狼」、「とげを抜
                     く少年」など観ておきたい展示があったのだか、終に、今回は機会を得られず残念だっ
                     た。
                      その日の私たちは階段上の像の隣に立ててあるローマ諸街道のマイル道標を見て階段
                     を降り、エマヌエーレ2世記念堂を廻ってフォーリ・インペリアーリへ向かった。
                     すっかり天気が回復し青空が広がっていた。

                        
                             ローマ市庁舎                 カストルとポルックスの像とマイル標識

               「エマヌエーレ2世記念堂」

                      正式には「アルターレ・デッラ・パトリア(国父の祭壇)」別名ヴィットーリオ・エ
                     マヌエーレ2世記念堂。市民には「ヴィットリアーノ」の名で通っていると言われる。
                      1885年、サヴォイア朝によるイタリア王国を成立させたヴィットーリオ・エマヌエー
                     レ2世を王国の国父と見なし、その偉業を讃えるべくその息子であるウンベルト1世の治
                     世に建設が開始され1911年に完成した。
                      建物は首都ローマの中心地に位置しており、ヴェネツィア広場とカピトリーノの丘の
                     間に当たる。新古典主義の建築家ジュゼッペ・サッコーニが設計を行い、彫刻などの装
                     飾は象徴主義の彫刻家レオナルド・ビストルフィ、アンジェロ・ザネッリらが担当した。
                      高さ70 m、白亜の殿堂そのもの。パンテオンと同じコリント式の円柱、噴水、大き
                     な階段が特徴的で、ローマ市内から各地への起点となって、何処へ向かうにも白く大き
                     く、遠くからも見える記念堂を見上げて通ることになる。
                      建物上部にはクアドリガに乗る勝利の女神ヴィクトリアの彫像が二体配置され、正面
                     には国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が設置された。また無名戦士の墓
                     としての役割も兼ねており、祭壇がある。

                      滞在したホテルが近かったこともあり、私は毎日正面に立って眺めたが、最近階段下
                     にゲート柵が設けられ、日中あらためて訪れなかったので、これまでは自由に上がれた
                     中段には上がれなかった。                         
 
               「フォーリ・インペリアーリ」

                      ベネチア広場を左に見てフォーリインペリア通りを挟んで、カエサル以下の皇帝たち
                     が新たに広場をつくったフォーリ・インペリアーリである。ここは1930年代、ムッソリ
                     ーニによって軍事パレードがしやすいように遺跡を埋め立てて造られた広い通りを歩き
                     ながら眺めていく。道路下になっている遺跡は、いつか又、日の目を見るのかもしれな
                     い。
                      通りは近年、公園のように整備され、遺跡を望む歩道には木陰の下にベンチや見晴台
                     が新たに設けられたり、コロッセオ寄りにはビジターセンター(見学無料)も設けられ
                     て、発掘作業の様子などの展示や、フォーリ・インペリアーリの歴史を知ることができ
                     るようになった。
                      また、日曜日は歩行者天国になり、ツアーバスも日曜日には立ち寄らないので、ゆっ
                     たりと散策できるという。

             「カエサルのフォロ」

                      カンピドリオの丘を市庁舎と博物館の間から降りてくるトゥッリアーノ通りの左手に
                     当たところが、カエサルのフォロである。フォーリインペリア通りで、コロッセオの方
                     を向いて立つと右手、フォロ・ロマーノ、セヴェルスの凱旋門と道路を隔てた隣に当た
                     る。カエサルがBC55年から用地買収をはじめ、46年には完成を祝った。
                      カエサル家の守護神である美神、ヴィーナスに捧げられた神殿を正面に望む左右には、
                     回廊が長くのびるつくりになっている。円柱の列がささえる回廊の奥には、商店が軒を
                     つらねたという。商店といっても日々の必要品を商う店ではなく、「騎士階級(経済界
                     )」に属する人々のオフィスという感じの場所である。
                       
                             カエサルのフォロ                  トラヤヌスのフォロ
             「トラヤヌスのフォロ」

                      トラヤヌスのフォロには有名な記念柱があるので、近づいて観た。
                      市民がショーを楽しむことで治世の安寧を図るトラヤヌス帝が、宮廷建築家に命じた
                     フォロは、クイリナーレの丘の斜面を削って、大規模な公園と市場を造らせたものであ
                     る。
                      両サイドは列柱で飾られ、中央には皇帝の像、奥には秀麗なウルビアの会堂が建つ。
                      トラヤヌスの記念柱は、そのウルビアの会堂の後ろ側に立っている。トラヤヌスがダ
                     キア戦争での勝利を記念したものであった。19の巨大な大理石のブロックを積み重ね
                     て造られ、柱の高さは約30メートル、巨大な台座を加えた場合、全高約38メートルにな
                     る。ダキア戦争勝利を叙事詩的に描いたレリーフが円柱の表面に螺旋状に描かれている。
                      記念柱は113年に完成し、内部は空洞で、185段のらせん階段が付けられていて、上ま
                     で上れる構造になっている。117年に薨去した帝はここに葬られた。
                      フォーリ・インペリアーリ博物館の見学者(内側に降りて見る)はトラヤヌス帝の記
                     念柱そばから入場するがその日は解放されていなかった。
                      トラヤヌス帝(13代98〜117)が建築家ダマスコに命じて造ったマーケットは、
                     現在も建物のフォルムが残っている遺跡のひとつで、建築学上、古代ローマの生活の生
                     きたモデルと言われる。
                      切り崩した斜面に6層に造成、150もの商店があり、1階では青果や花、2階では
                     油や葡萄酒、3階には飲食店、4階では香辛料など、5階には貧民への食料分配を行う
                     ための皇帝の倉庫や小売店、6階では淡水、海水の水槽の中で生きたままの魚が売られ
                     ていたという。
                      正面はトラヤヌスのフォロの列柱のエクセドラに沿ってカーブを描き、1階は11に区
                     分されている。
                      トラヤヌスの記念柱の手前の列柱のある部分が、トラヤヌスの氏族名をとったバシリ
                     カ・ウルピアである(ウルピアはウルピウスから来ている)さらにその手前、今ではほ
                     とんど跡形もなくなっているところがトラヤヌスのフォロということになる。
 
                      長身で堂々とした体躯のトライアヌスは皇帝就任当時は初の属州(現スペイン)出身
                     の皇帝であることを意識してか、すべてに謙虚に地味に振舞っていたようである。しか
                     し、ダキア戦役に勝利(アウグストスの遺訓を破ってドナウ越えで領地を広げ、帝国叛
                     図は最大となる)して以後はそれを捨てたようで建造物も多い。
                      彼主導の工事の多くは首都ローマと本国イタリアに集中しているが、それも政策同様
                     に、首都ローマは帝国のすべての都市のモデルであり、本国イタリアはすべての属州の
                     モデルであるべきという、彼の信念が結実したものであろう。

                       
                          トラヤヌスのフォロの記念柱基盤         トラヤヌスの市場

             「アウグストスのフォロ」
 
                      初代の皇帝となるアウグストスのこの神殿の建立は、ブルータスと対戦したBC42年
                     のフィリッピの会戦前夜に、「この戦いに勝たせてくれたら神殿を捧げる」とのマルス
                      神への誓約を果たすのが目的であったと言われる。
                      「アウグストスのフォロ」には、大変な数にのぼる偉人たちの像があったのだが今は
                     何も残ってはない・・・。
                      カエサルのフォロと道路を挟んで向かい合っていたこの神殿の背後には下町スブッラ
                     地区で起こりがちな火災の延焼を防ぐために造られたと言われる30メートルの防護壁が
                     完全に残っている。柱廊跡の左端にはアウグストス像の台座が残っていた。
                                 
                                         アウグストスのフォロ

             「ネルヴァのフォロ」「ヴェスパシアヌスのフォロ

                      フォーリ・インペリアーリ通りを進んで右手に、ネルヴァのフォロ、左手に平和のフ
                     ォロ(ヴェスパシアヌス帝造営)と続いている。ネルヴァのフォロは120m×45m
                     もあったというが今は2本の神殿の柱とローマ三主神のひとつミネルヴァ像だけが残っ
                     ている。
                      ヴェスパシアヌスの次男ドミティアヌス帝(81〜96)が64年と80年のローマ大火から
                     の再建を願ってフォロの建設を計画し、ネルヴァの治世に完成したのでネルヴァのフォ
                     ロと呼ばれている。
                      ヴェスパシアヌスのフォロは、こちらは往時の姿を想像するのは難しい状況であった。

                                             *

                      フォーリ・インペリアーリを歩くとカエサルのフォロの前にはカエサルの、アウグス
                     トスのフォロの前にはアウグストスの銅像が凛々しく立っている。
                      銅像の台座にはS・P・Q・Rと書かれており、ローマの街を歩くときあちこちで見
                     かけるが、これは「セナートゥス・ポポルス・クェ・ロマーヌス」すなわち、「元老院
                     並びにローマ市民」を意味する四つの言葉の頭文字を集めた記号とのことである。
                      ここだけでなく多くの建物やゴミ箱、マンホールにまであちこちでS・P・Q・Rが
                     彫られているのを見ると、古代ローマの息吹を感じさせられるひとこまと思う。

                                                            風次郎

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