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*歴史遺産を訪ねるのには、ある程度時代の流れを頭に入れておくことが肝要です。殊にローマでは
BC500年時代に王制から前期共和制(ブルータスが実施)に代わり、カエサル、アウグストスの時か
ら帝政が始まります。帝政は39代ヌメリアヌス(283〜284)迄続きますが、以後はキリスト教に影響
されたり、分割統治など、いわゆる終わりの始まりが見えてきます。最終東ローマ帝国のコンスタンチ
ノープルが落ちたのは1453年でしたので、その間約2000年の時が流れます。
同じような名前の人物や、同じような遺跡・施設が地上地下に散在しているのがローマですから、見え
ているもの一つ一つの生きた時代がかなり離れている(例えば、建国主の王とマクセンティウスの息子
は同じロマノフです。またフォーロロマーノで見る凱旋門にしても300年の幅があります)ことがありま
す。只鑑賞するにしても、混乱しないように対処する必要があると思っています。
(5) ヴィッラ・アドリアーナ
午後はローマの東約30kmに位置するティヴォリへ、ハドリアヌス帝(14代117〜138)の別荘
「ヴィッラ・アドリアーノ」を訪ねた。
市内からテルミニ駅の近くを通り、古いセルウィウス城壁をこえて、ローマから東に向かって延び
るティブルティーナ街道を約30分走るとティヴォリの街に入る。
ラツィオ州ローマ県にあり、人口は、約6万人弱の郊外都市である。
ここは豊かな森に囲まれて丘陵にあり、穏やかな気候にも恵まれ、古代ローマ時代から保養地と
して知られた。皇帝ばかりでなく多くの貴族たちによっても別荘(ヴィラ)が営まれた地である。
午前中観てきたローマ水道の水源であるアニエーネ川は、テヴェレ川の支流のひとつであり、こ
の街はその上流に位置する。
ヴィッラ・デステ(エステ家の別荘)とヴィッラ・アドリアーナのふたつが、ユネスコの世界遺産に登録
されている。ローマ史を振り返れば、帝国が拡大し最盛の時代であったと思われる。
ハドリアヌス帝が118年から133年にかけて建てた広大な別荘、「ヴィッラ・アドリアーナ」は、全
面積少なくとも120ヘクタールと広大である。現在見ることができるのは、その中の40ヘクタール
部分とのことだが、なかなか想像に及ばない。
ハドリアヌス帝は、皇帝歴の大半を帝国の巡察に過ごした人であり、最初に巡察旅行に出たの
は121年であったから別荘の建設に着手したのは就任後間もなくだったことになる。煉瓦の刻印
を分析することによって、完成したのは133年であることが判明した。
皇帝が訪れた帝国領土内の各所を偲ばせる建物や神殿、大浴場など、エジプト、ギリシャにもロ
ーマ的諸要素をもった建物群が見事に調和して建てられたのであった。
ここにみられる古典建築群は後世の建築やデザインにも大きく影響を及ぼしたと言われる。ここ
には、ギリシャのアテナイのアゴラにあった彩色柱廊(ストア・ポイキレ)を模したポイキレ、エジプト
のアレクサンドリアとカノポスを結ぶ運河を模したカノポスなど、皇帝が巡察旅行で魅了させられた
建物や風景を偲ばせる建造物を建てさせたのであろうが、別荘の建物の数は30を超える。
ハドリアヌス逝去(138病死)後、この別荘の改造は3世紀までつづけられたことが判明している
が、そのあとは侵入した蛮族の石切り場と化し、廃墟となった。
現在は修復が続けられている。
北側に設けられた入り口から上り坂道を歩いて、まず「ボイキレ」と呼ばれる遺跡(池を囲んだ
彩色回廊と呼ばれた柱廊(232m×97m))を観た。柱はほとんど無く、柱の跡と壁の片側だけが
あった。
皇帝の宮殿につづく隣に「哲学者の間」の跡があったから、この広大な水を湛えた池を眺める回
廊は、勉学の気分を解す場であったのだろうか。
続く皇帝の「私邸」の部屋は上層に円形の空間を配した創りが特徴的とのことであった。軍人、
政治家のみならず、詩人、建築家ととしても優れたハドリアヌスは、ここでもローマ建築特有のレン
ガを積み上げた丸い空洞の天井を美的に組合わせた建物を多く残している。
広い「宮殿跡」は敷地遺跡のみであったが、周囲に配置されたいわゆる宮殿図書館は、ラテン語、
ギリシャ語と2棟に分かれており、好学なハドリアヌス帝の肝入りだったかもしれない。
「島のヴィッラ」として有名な「海の劇場」があった。そこは、皇帝の隠れ家的な場所として建築され
たとされ、哲学者の間に近く、人口の島に建つこの劇場へ続くのは、一本の橋のみ。「この場所で味
わえる自分だけの時間を大切にした」と、内山さんの古代皇帝の想いに触れる解説があった。
カノプス 海の劇場
円柱や彫像がほとりに並ぶ細長い池と奥の神殿から成るカノプス(エジプトの都市の名前)という
遺構は張り出した丘の上のような場所にあり、見晴らしの良い美しい空間を感じさせられた。
ローマ生活には欠かせぬ大小の浴場もあった。他に、ヴィーナスの劇場、ギリシア劇場(入口近く
で修復中)などがあった。
ただ、私はここでも、この広大な施設の建物の地上から見えない部分に、奴隷たちの作業用通路
が張り巡らされていることにかなり気を取られて見た。どこの世界にも豊かな美しい現実を支える
ための、時代に則した人間の作業が必要であった証を、この旅で見せられている気がした。
美しく手入れされたヴィッラの敷地内や、この季節は只々緑をたたえて揺れる、何千本とあるオリ
ーブの木の間を散策するだけでも、心癒される思いであった。
*
薄暮にローマの市内に戻った。
私は夕食の当てがなかったので添乗員の上谷さんに何処か教えてくれないか、と頼むとホテルの
wifi設定を教えてくれたHさん夫妻も一緒になって、近くへ出ることになった。私は夫妻には「wifiで
大変お世話になったのでビールぐらいご馳走しなきゃ」と誘っていた。解説案内人の内山さんがガイド
ブックなどに出ている日本料理も近いところにあると教えてくれたので、頭に入れてあった。だが、今日
から無理に日本料理ということもない。上谷さんが、「昼はリゾットだったから、やはりパスタで行こう
か?」と声をかけると参加者が次々と増え9人になった。
ホテル・グランドパラティーノの裏通りは、カブールの飲食店街通りであった。ホテル脇の小路の階段
を降りてこの通りへ出ると、もうすれ違いが煩わしい程の人混みになっている。バールやイタリア料理
店が続いている。レオニーナ通りという名前もついている。ナッツナーレ通りのイタリア銀行角からコロ
ッセオへ至る真っ直ぐの通り、セルベンディ通りとすぐに交差していた。
その先マドンナ・デ・モンティ通りへ入りすぐ右手の「アッレ・カッレッテ」という店の前で、上谷さんが
ドアを開け中へ入っていった。すぐに戻ってきて席を空けてくれるようだと言う。私たちは大喜びで入り
席をもらった。
イタリア語はむつかしくて解らない。私ははしたない英語で滞在中やり通したが、なんとなく味気ない
思いだった。旅は道連れ、いい加減でも大勢は楽しい。
私は H夫妻と席を囲み、ビールで(夫妻もワインをやらないので)乾杯し、カルボナーラと子羊のグリ
ルをたいらげつつ語った。上谷さんが皆の面倒を見てくれ楽しく過ごせた。感謝々々であった。
風次郎
アッレ・カッレッテ
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