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*歴史遺産を訪ねるのには、ある程度時代の流れを頭に入れておくことが肝要です。殊にローマでは
BC500年時代に王制から前期共和制(ブルウタスが実施)に代わり、カエサル、アウグストスの時か
ら帝政が始まります。帝政は39代ヌメリアヌス(283〜284)迄続きますが、以後はキリスト教に影響
されたり、分割統治など、いわゆる終わりの始まりが見えてきます。最終東ローマ帝国のコンスタンチ
ノープルが落ちたのは1453年でしたので、その間2000年の時が流れます。
同じような名前の人物や、同じような遺跡・施設が地上地下に散在しているのがローマですから、見え
ているもの一つ一つの生きた時代がかなり離れている(例えば、建国主の王とマクセンティウスの息子
は同じロマノフです。またフォーロロマーノで見る凱旋門にしても300年の幅があります)ことがありま
す。只鑑賞するにしても、混乱しないように対処する必要があると思っています。
(3) 朝のローマ
19日の朝、4時に眼が覚めた。昨夜は飛行機疲れか外食に出る気もなく、部屋に備
え付けのポットでインスタントコーヒーを飲み、ふろを浴びただけで寝てしまったので
あった。
古くからあるホテルなので設備などチョット気になっていたが、バスルームも壁や床、
内装もすっかり手が入ってリニュアルされており、気に入った。私は4階のダブルベッ
トの部屋を1人で使わせてもらった。ただ、テレビはイタリア語のチャンネルしか映ら
ず、滞在中イタリア語がわからない私はあきらめざるを得なかった。ホテルはwifiを無
料で開放していたので、操作に詳しいグループ仲間のHさんに設定してもらい日本の家
族とはラインで交信ができて良かった。便利な世の中になったものだ。
朝食は7時、今日の観光スタートは9時とされていたから、私はいつもの海外旅行の
時と同じように朝食前に散歩がてらの見物を楽しむことにしていた。
1階のロビーにあるPCで毎日の自分の整理を終えてから外に出た。曇ってはいたが雨
の気配はなく、右手200m程に照明に浮かぶフォロ・ロマーノの方に向かった。
ローマは3回来ているが、ヴェネチア広場から北の地域には入ったことがない。今回
のコースにはその方は含まれているが、とりあえずナボーナ広場からカンポ・デ・フィ
オーリ広場のマーケットの様子などを先に見ておきたかった。
ホテルパラチーノの前のカヴール通りはフォーリ・インペリアーリ通りに突き当たっ
て終わる。ちょうどフォロ・ロマーノの真ん中あたりである。
私はインペリアーリを渡って、左にまだ暗いフォロ・ロマーノを見下ろすように懐か
しみながら、照明に照らされてそそり立つエマニエーレ2世記念堂の方へ向かう。日中
は車の洪水のようにローマ各地へ向かう車が行き交うヴェネチア広場も、まだ覚めやら
ぬ時間で、歩くのに信号待ちがもどかしい程車はまばらであった。その旅の都度世話に
なった地図をもってあるいたが、今回旅行社に頼んで新しいものに変えてもらってあっ
たので、それを広げながら間違えないようにヴェネツィア宮殿の前を進み、16cイエ
ズス会の母教会として建てられたジェズ協会を右手にエマニエーレ2世通りを進む。
途中のバス停でバスを待つ人に歩いている場所を地図上に指して確かめると間違って
いなくて良かった。
背の高いクーポラのバロック、サンタドレア・デッラ・ヴァッレ教会を見上げ、右手
道路向かいのまだ暗い影でしかないマッシモ宮の壁沿いに小路を入っていくとそこに『
ナヴォーナ広場』が開けていた。
まだ誰もいない広場かと思ったが、何を撮っているのか?或いは明るくなるのを待っ
ているのか三脚を立てているカメラマンが、手前の『ムーア人の噴水』と広場中心にあ
る『四大河の噴水』の間に居た。噴水はもう一つ一番北に『ネプチューンの噴水』があ
る。広場は一世紀後半にドミティアヌス帝(11代)によってつくられた、3万人の観
客席のある巨大な競技場(agone)としてつくられた跡である。
大河の噴水の音がまだ静かな広場に響き、並んで高く天を衝くオベリスクと共にライ
トに照らされている。背後のサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会のファサードの状況
が素晴らしく映えるのを感じた。
ここへは21日にグループで来ることになっている。
私は広場から東側の小路へ入り、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会を左手
に見てさらに進みロトンダ広場に出る。
そこはパンテオンの正面である。ここもまだ来てなかった。広場の中央にはここにも
尖塔があり、周囲のカフェがテントで広場側にテラスのように席を並べて夜を過ごした
様子が漂っていた。
パンテオンの柱廊を観て、ここも21日には中に入ることを楽しみにしてエマニエル
二世通りへ戻り、渡って『カンポ・デ・フィオーリ広場』へ朝のマーケットの様子を伺
いに向かった。
広場は薄暗い小路の奥のようなところにあった。
毎日市場が開かれるところで、朝の6時を過ぎていたが、まだ店開きの最中であった。「
カンポ・デ・フォーリ」とは「花の野」と訳すとのことであるが、その時間、花や野
菜がどんどん持ち込まれ、店舗の台の上に並べられているのであった。野菜を並べ終わ
った初老の婦人に「ボンジョルノ」と声をかけると、にっこり笑って「ボンジョルノ」
と答えてくれたので、英語で話せるかと語りかけたが、続かなかった。
通り沿いのカフェには朝食の客が入る様子が見えるような時間になったようだ。
私はエマニエル二世通りを戻り、途中でトッレ・アルジェンティーナ広場へ寄った。
共和制の時代、カンポ・マルツィオの原と呼ばれる軍神マルス練兵場であって、その
聖域(アレア・サクラ)の発掘がされている。道路から一段低くなった神殿遺跡の列柱
や、建物の一部を見下ろしながら角を曲がった。
エマニエル二世記念堂の裏手に当たるカンピドリオの丘を超えて、インペリアーリ通
りからホテルに戻った。
インペリアーリ通りには、街角に配置に着く時間なのだろう、制服の兵士が目立って
きた。ヨーロッパ各地でテロが起きて以来、いたるところで警備されている様子がうか
がえた。
風次郎
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