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風次郎の世界旅
 ローマ2018
(13)

music by KASEDA MUSIC LABO

 
    ドムス・アウレア想像図(資料から)     

ローマ2018(13)

            13.ドムス・アウレア(エスクリーノの丘)

                       一休みして外出することにした。先ずはエスクリーノの丘だ。

                       ホテルからカヴール通りに出ると、通りの向こう側にエスクリーノの丘へ通ずる階段が見え
                      ている。
                       その階段を登っていく。地図を広げるとこの上にはローマ大学の工学部がある。やや長い階
                      段を登り切ると教会前の広場になっていた。
                       教会は5世紀に建立され、8世紀に再建された。ミケランジェロの「モーゼ像」があること
                      で有名な「サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会」である。ヴィンコリは「鎖」の意、これ
                      は聖ペテロがエルサレムで牢に繋がれていた時の鎖がここに祀られた由である。
                       ローマ大学は学生たちの朝の登校時間で、20段はありそうな門前の階段を大勢の学生が行
                      き来していた。

                      ドムス・アウレア

                       カーブしている道路の右手は薄い林のようになっており、散策のための公園の風情である。
                       だがこの下こそ「ドムス・アウレア」である。
                       歴史上「愚帝」と烙印を押されたネロ(5代)は64年のローマ大火後に、部屋の内部が美し
                      いフレスコ画やモザイクで覆われるほど贅の限りを尽くした住居の建設を手掛けたのであった。
                       その住居が黄金宮殿=ドムス・アウレアである。しかし、1週間燃え続けたといわれるロー
                      マの大火をうっとりと高台から眺めていたという目撃情報もあり、大火の犯人ではないかとの
                      推測もあり、その訳は、燃えて空になった町に新しいローマを建設したかった為とも言われる。
                       宮殿は文献からその姿を想像することしかできず、その広大な敷地は3つの丘にまたがり、
                      80〜150ヘクタールとまで言われるが、全容についてはよく分かっていないという。
                       が、宮殿の跡に建設されたものとして、庭園にあった池の跡にウェスパシアヌスが建設した
                      アンフィテアトルム・フラウィウムや、その北側に造営されたティトゥス浴場とこの住居跡に
                      姿が見えるトラヤヌス浴場などがあきらかになっている。
                       ローマはまだまだ遺産を発掘するに暇はない。
                       1480年代、あるいは1493年以来コロッセオ側よりトンネルを掘って内部に侵入する試みが進
                      んだ。ドムス・アウレアの一部で、現在まで比較的まとまった状態で残っているのは、トラヤ
                      ヌス浴場を建設する際に埋められた、東西220m、南北70m程度の部分だけのようである。
                       この部分が1999年から一般に公開されるようになったが、時に閉鎖されたり、切符を入手す
                      るのはなかなかのようである。
                       現在までに発掘された部分だけでも、部屋が150室以上あり、宮殿全体の長さは250メートル
                      にも及び、一番幅が狭い部分でも30メートル最も幅が広い部分は60メートルあると言われる。
                      室内の壁面や天井のフレスコ画の装飾の総面積は、何とシスティーナ礼拝堂の天井装飾(ミ
                      ケランジェロのフレスコ画)の30個分程の膨大な量になるといわれる。
                       この入り口を眺めるのみで、私はトライアーノ公園となっているトラヤヌス浴場跡を眺めた
                      りしながらサンタ・マリア・マジョッレ教会とサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ教会を繋ぐ
                      大通り、メルラーナ通りへ出た。

                        
                              ローマ大学工学部                 トラヤヌス浴場跡

                      ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場

                       メルラーナ通りを渡り、スタトゥート通りを歩きヴィットーリオ広場へ向かう。
                       何故か、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の記念堂の前はヴェネチア広場で、ヴィットー
                      リオ広場はエスクリーノの丘の上にある。しかし、地下鉄のヴィットーリオ駅もここだから広
                      場に続くS・Mマッジョーレ大聖堂の正面に、国父の名を冠して市民の憩いの場を設定したのか
                      も知れない。
                       時の名士建築家ガエターノ・コックによりイタリア統一の少し後に作られた、ウンベルティ
                      ーノ様式の広場とのことである。316m×174mの広さは同様式の広場では欧州で最も広いとされ
                      る。
                       広場は柱廊(ポルティコ)のある19世紀の建物に囲まれている。ホテルやカフェーもあった
                      が、やはりその柱廊が豪華で、またバザーのような雰囲気の店が並んでいたので物見がてらこ
                      のボルティコを歩いた。帽子やジャケット、靴、T シャツそれに果物迄並んでいたが、イタリ
                      アの言葉が使えないので親しみが通わずとても残念な思いだった。
                       広場の中心は公園であった。そこには皇帝クラウディウス(4代)が造った新アニオ水道の
                      分水施設であるニンファエウム・アレクサンドリ(カステル・アクアエ)の遺跡があった。
                       新アニオ水道はローマ水道のひとつで、カリグラが38年に建設を始め、約14年間後にクラウ
                      ディウスが完成させた。クラウディア水道と同時に工事が進められ、水道橋の橋脚などがクラ
                      ウディア水道と共用されている遺跡である。
                       もう一つ、錬金術師マッシミリアーノ2世・パロンバーラの住居ヴィッラ・パロンバーラの
                      入り口とされる魔法の門と呼ばれる奇妙な門を観た。

                       広場から真っすぐに続くカルロ・アルベルト通りをサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に
                      向かう。陽が高くなって、まだ夏を思わせるほど暑く感じた。土曜日だったせいか、人出も多
                      く世界の観光地を思わせる多種多様な顔ぶれの人々が歩いていた。

                              
                           柱廊(ポルティコ)のある建物         エスクリーノ広場とS・Mマジョッレ教会

                      サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

                       教皇が建築させたローマの四大バシリカ(古代ローマ様式の聖堂)の一つに数えられるサン
                      タ・マリア・マッジョーレ大聖堂の入り口にも大勢の人が入場を待って並んでいた。四大バシ
                      リカとはこのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂とサン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョバン
                      ニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖パウロ
                      大聖堂)とのことである。
                       S・Mマッジョーレ大聖堂は、古代キュベレ神の神殿があった場所に築かれたという。356
                      年の夏に法王が見た夢のお告げ”真夏に雪が降る場所に建てよ”に従い、聖母にささげた聖堂
                      である。数回にわたる改修と1348年の地震に伴う崩壊の危機を乗り越え、ローマのバシリカ様
                      式の聖堂では唯一原構造を残している貴重な建築物とのこと。
                       ローマ教皇がアヴィニョン捕囚からローマに戻ったあと、ラテラノ大聖堂が荒れ果てていた
                      ため、一時的にS・M・マッジョーレ大聖堂を教皇宮殿としていた。後にバチカンに教皇宮殿が
                      つくられ、教皇は移転して現代に至っている。サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂はバチカ
                      ン市国外であるが、イタリア政府から、バチカンの特別な権利を認められている由である。

                       鐘楼や概容の美しさ、テルミニからカヴールを歩くと後側のエスクリーノ広場への親しみが
                      あり、礼拝堂にも入ってみたかったが、行列の長さに圧倒され、午後のスケジュールもあった
                      のでこれも割愛した。
                       エスクリーノ広場のオベリスクを見上げただけでカヴールを下り一旦ホテルへ戻ることにし
                      た。
                       馴染んだカヴール通りの、地下鉄駅前の角に、小さな土産物屋があることに気が付いて、絵
                      葉書でも買おうかと立ち寄ると、年老いた店主と、売り子の若い女性にガラスの小カップを勧
                      められた。
                       「ウィスキーを飲むのにいいかな?」と英語で話しかけたがきょとんとしていた。「ヴェネ
                      チアングラス?」と聞いたがこれもダメ。木の葉の模様が赤のものと青のものを2ペアを手に
                      すると、店主が丁寧に包装してくれた。結局「グラッチェ」と「ボンジョールノ」と叫ぶだけ
                      の会話だった。――でも爽やかだった。明日は帰路に就くし、何も手土産が無いのも寂しいの
                      でチョコレートやビスケットなどを袋に詰めてもらった。
 
                       ホテルで小休止と昼食を兼ねた。午後はボルゲーゼを目指すことにした。
                   
                                                                        風次郎

 

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