☆☆☆

風次郎の世界旅
 ローマ2018
(12)

music by KASEDA MUSIC LABO

 
    マルチェロ(マルケルス)劇場          テベリーナ島サン・バルトロメオ教会

ローマ2018(12)

            12.朝のトラステレベレ

                      良い天気に恵まれたようだ。5時を回ったのでホテルグランドパラティーノを出た。
                      今日一日は自由に自分の時間が使えるので、朝のうちに初めてローマへ来た時のことを思い
                     出しながら、テレベ川を越えてトラステベレ地区を歩きたいと思っていた。
                      まだ明けきらぬインペリアル通りには警察官たちが警備を続けていた。私は通りを越えてエ
                     マヌエル記念堂の方へ向かい、カエサルのフォロから市役所の裏手をカンピドリオの丘に登っ
                     た。テレベ川へ向かうのはこの丘を越えるのが近道だ。
                      広場の階段の下はテアトロ・マルチェロ通りである。緩いカーブを南下すると右手(西側)
                     にライトアップされたマルチェロ(マルケルス)劇場が見えている。一見、荒れたままの円形
                     建物である。

                    マルチェロ劇場

                      カエサルが構想したが亡くなったのでアウグストゥスが作り、BC13年に完成した。若くし
                     て世を去った甥の名をとってマルケルス劇場と名付けられたといわれる。
                      コロッセオはこれがモデルにしたとも言われている。が、ちょっと小さい。中世には要塞と
                     して使われたが、16世紀には上部に増築され、貴族の住居が建てられ、しかも、今も人が住
                     んでいるらしい。 
                      帝政期には様々な劇の上演に使われてきたこの劇場も、5世紀には、完全に見捨てられ、1
                     階の半分までテヴェレ川の土砂で埋もれた状態になっていたという。そして、他の古代遺跡と
                     同じく、採石場であるかのように、使われていた石材は新たな教会や貴族の屋敷建設のために
                     持って行かれてしまったようだ。
                      しかし、残った部分を土台とし、その上に中世期には城塞を、さらにその後、住居を増築す
                     るといった使われ方になったのであった。ムッソリーニの時代に、一階部分の塞がれていたア
                     ーチが開けられ、ある程度元の姿が蘇っている。現在上の住居に住んでいるのは、お金持ちの
                     数家だとのこと。
                      劇場のすぐ脇に三本の柱が立っているが、もともとBC5世紀にここに建てられたアポロ神殿
                     の跡である。マルチェロ劇場の建設のために、正面階段が削り取られたりしたが、1900年代に
                     なって転げ落ちていた柱などの部分をつなぎ合わせ、建て直されたようである。正面の三角破
                     風の浮き彫り装飾は、オスティエンセ通りにあるチェントラーレ・モンテマリーニ博物館に展
                     示されているとのことである。

                      マルチェロ通りを少し先へ行けば、真実の口広場に出るが、その日は通りを右に折れてテレ
                     ベ川の堤防に立った。
                      背後のマルチェロ劇場の先の川端には、四角いドームを持つ新しいユダヤ教の神殿、シナゴ
                     ーグが見えた。この地域は壁で囲まれたユダヤ人地区(ゲットー)だったが、1870年に完全に
                     解放され、今では、ユダヤ料理のレストランが軒を連ねる、とてもおしゃれな地区になってい
                     るようである。

                      私は川に向かい中洲(ティベリーナ島)へ、ファブリーチョ橋を渡って行く。
                      そこは古代ローマ時代から残る、人道に限られたチェスティオ橋とファブリーチョ橋で結ば
                     れる、テヴェレ川の小さな島である。
                      BC3世紀ごろ古代ローマでペストが流行し、10万人の人々がギリシャの医学の守護神エス
                     クラピウスに参拝をした時、突然白い蛇が現れたので、人々はそれをエスクラピウスの化身と
                     崇め、テベレ川の中州のこの島にその蛇を祭る神殿を建て、診療所を作ったとの逸話がある。
                      現在のファーテベネフラテッリ病院は16世紀に建てられたものであるが、右手に見えた。
                      神殿が建てられてからこの島は病を癒す場所となったと言われるが、左手の神殿跡には今、
                     10世紀からのサン・バルトロメオ教会が建っている。

                   トラステベレ
 
                     チェスティオ橋を渡って対岸に着き、サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会を目
                    標にしてトラステベレ(テレベ川の向こう側の意)の中へ入っていく。
                     トラステベレは古い街区ではあるが、ライブハウスなどもあって若者も多く集まり、南東部
                    のテベレ川が蛇行するこのあたりはローマの「下町」と形容されるエリアである。入り組んだ
                    石畳の路地の多い繁華街で、夜遅くまで営業するピッツェリアやトラットリアが軒を連ねてい
                    るようだ。「ナイトライフの中心地」とも評される一方で、古い教会も点在する歴史のある街
                    区である。
                     北西部にあるジャニコロの丘には公園や高級ホテルがあり、そこからはローマの市街地が一
                    望できる。
                     歴史的にはBC753年- 509年にはエトゥルスキ人の居住地であったが、王政ローマに征服され
                    た。その後帝制期にはユダヤ人などの異民族の居住地となっていた。
                     ローマにおける最初のキリスト教共同体も、おそらくこの近辺で形成されたと考えられてい
                    る。サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂はローマで最初に建てられた公式な教会堂と
                    言われるが、多くの伝説が伝わるという。
                     410年の西ゴート族によるローマ劫掠においてはこの一帯も被害を受けた。

                     中世になるとこの一帯は雑多な階級の人々が居住し、その流れで21世紀においても漂う下町
                    感が形成されたのかもしれない。
                     静まり返った朝の街並みの、分りにくい小路を縫うようにしてサンタ・チェチリア・イン・
                    トラステヴェレ教会の塀伝いに歩く。この教会もローマでも最古級の教会で 221年に創建され
                    た教会、聖堂が地区の中心付近にあたる。
                     私はその南側のたばこ工場をやり過ごして、少し小さなフランチェスコ・ア・リーバ教会の
                    前の公園から広いトラステベレ通りへ出た。

                       
                              トラステベレ通り              サンタ・マリア・トラステベレ教会

                     反対側に見覚えのある文部省の建物があってホッとした。20年程前、私は妻はなと初めて
                    ヨーロッパを巡り、その時のローマの宿は文部省の見えるこの通りを左へ入った処だった。リ
                    パ・レジデンスというちょっとアパート風な、風変わりなホテルで、3日間のローマ観光を過
                    ごしたのだった。
                     当時この辺りは観光客に滞在人気の地域であった。只、今ほど整ってもおらず、城壁の近く
                    の街はずれといった印象で、雨の小路の向こうに Barのネオンが窓からぼやけて見えていたの
                    が印象的だったように思う。何処へ行くにもトレパンとランニングシューズを持ち歩いた頃で、
                    毎朝トラステベレ通りを走って川を渡り、市内を駆け巡った。懐かしかった。
                     ホテルは少し改装されて奇麗に見えたが、昔のままのところにあった。明るくなってすっき
                    りとした青空と一緒に見上げつつ去った。
                     近くのボルテーゼ門の広場では今も日曜日になると市が立つという。出来ることならその市
                    も見たかったが日程が合わなかった。致し方ない。

                     この地区の北側及び西側がジャニコロの丘で、公園と植物園が、頂上にはガリバルディの騎
                    馬像がある。この公園にも上る予定だったが、昨日サンタンジェロの屋上に登ったので割愛し
                    た。街はすっかり明るくなり、路面電車が走り、バス停には出勤するらしい人々の姿が集まっ
                    ていた。
                     S・M・イン・トラステベレ聖堂を眺めながらトラステベレ通りを真っ直ぐ戻り、ベッリ広場
                    からテレベ川沿いに南へ下ってロット橋(旧い壊れた橋)を観つつパラティーノ橋を渡り、再
                    びマルチェロ通りをカンピドリオの丘へ向かう。
                     快晴の空に上がった太陽の光を正面から浴びながら階段を上がり、ミケランジェロの広場を
                    しみじみと眺めて市役所の裏へ続く道をインペリアル通りへ、そしてホテルへ戻った。

                                                 〇
                      
                              旧い壊れた橋            ホテルのロビーの造形(Simafra Prosperi)

                     8時を回ってレストランは空いていた。
                     食事は少なめに、コーヒーをゆっくり飲んだ。
                     私たちの仲間はポンペイ観光やそれぞれのスケジュールに出掛けたようである。
                     私はレストランのロビーに変わった大きな造形の展示が4枚掲げてあるのを目にとめて鑑賞
                    した。独特の作風で労作、有名or無名は分からないがSimafra Prosperiという人の「四季」そ
                    れぞれをを花の輪でイメージしたバランスの良いユニークな作品に思えた。
                     朝のひと時、穏やかで良い気分だった。
                                                                風次郎

 

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