☆☆☆

風次郎の世界旅
 ローマ2018
(11)

music by KASEDA MUSIC LABO

 
    カンポフィオーリ広場           レストラン「ダ・パンクラッツオ」

ローマ2018(11)

            11.カンポフィオーリ広場からサンタジェロへ

                       ローマ博物館になっているブラスキ宮を右に見てエマヌエレ2世通りを渡りカンポフォー
                      リ広場へ向かった。

                     カンポフィオーリ広場

                      朝ここに寄ったのは、今でも毎日青空市場が出るのはローマではここにだけ、と聞いてい
                     たからであった。朝は開店に向けた忙しい職人達の風景であったが、古い建物に囲まれた昼
                     間の小さな広場は地元だけでなく、観光に訪れた人も加わり、あふれるほどの人出であった。
                      古代ローマ時代、この辺りはキルクス・フラミニウスと呼ばれ、劇場や神殿、テルマエな
                     どが並び大変賑わっていた地域だったという。普段の食卓を飾る野菜や果物のみならず、オ
                     リーブオイル専門店やハチミツ屋さん、手作りパンのお店、オリーブ、トマトなどを使った
                     加工食品の屋台なども出ている。

                      フィオーリ(Fiori )とはイタリア語で「花」。1400年頃までこの広場は菜園もあるお花
                     畑だったそうで、そこからこの「フィオーリ」の名前がつけらたのだった。言い伝えでは、
                      ここはポンペイウス劇場の近くでもあり、英雄グナエウス・ポンペイウスの恋人の名「フロ
                     ーラ」からつけられたという説もあるという。
                      またこの広場は、死刑執行の場、むち打ち刑の処刑場として使われた歴史もある。(1600
                     年 2月17日には哲学者でドメニコ会修道士のジョルダーノ・ブルーノがここで火刑に処せら
                     れた。彼はそれまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張、コペルニクスの地動説
                     を擁護し異端罪に問わた。その後も自説を撤回しなかったため、ここで殉教の身となったの
                     であった。その不幸な歴史を消さないようにと広場の中心に彼の全身のブロンズ像が作られ
                     現今に伝えられているのである(1869年、Ettore Ferrari作)。
                      仲間は適宜買い物を楽しみお昼を迎えた。

                     シーザーを偲ぶ

                      昼食はレストラン「ダ・パンクラッツオ」を上谷さんが予約してくれてあった。
                      旅行通には有名なレストランである。まず生クリームを使わない本場のカルボナーラを出
                     してくれるということ。夜はカンツォーネディナーもある由。勿論私たちはそのカルボナー
                     ラと、その日オススメの白身魚のグリルをいただいた。美味しかった。
                      そしてここはシーザーが暗殺された旧ポンペイウス劇場の遺跡に建つレストランというこ
                     とである。ポンペイウス劇場はマルチェッロ劇場と並んで、ローマの皇帝達に親しまれてい
                     た場所であった。イタリア全土で見てもローマのオリジナルの遺跡の中にあるレストランは
                     珍しいだろう。

                      ポンペイウス劇場に隣接してラルゴ・アルジェンティーナ(アルゼンチーナ広場)の聖域
                     と呼ばれる神殿の遺跡があるが、その頃「元老院」はこの聖域とポンペイウス劇場の間にあ
                     ったとされている(元老院はよく移動した)。
                      シーザーが暗殺されたのは元老院であった。現代とは地盤の高さが違うので、今は地下に
                     なっている。そして、隣には、ポンペイウス劇場があったわけである。
                      劇場建物上階は、今は普通のアパートになっている。ただ、外容は丸い劇場のように、ゆ
                     るいカーブを描いてポンペイウス劇場の遺跡のままであり、地下にはそのままの遺跡が残っ
                     ているのを店の人に見せてもらった。2000年前の歴史跡である。店にはシーザー暗殺の謂れ
                     書きもあった。
                      この史跡はいつまで語り継がれるであろうか。

                                                   *
                               
                             ポンペイウス劇場跡の建物               サンタジェロ橋

                      私たちは地下鉄に乗ってサンタンジェロの見学に移動した。
                      この日のテーマ「バロックを観る」今日最後の場所であった(ベルニーニが関与)。
                      地下鉄の駅はエマヌエレ2世通りにあったので、私たちはテレベ川の橋の袂からサンタ
                     ンジェロ城を眺めながら渡って行った。

                     サンタンジェロ橋

                      橋が建造されたハドリアヌス帝(14代)の時代には、サン・ピエトロ大聖堂を訪れる
                     ための唯一の橋であった。そのため、キリスト教総本山である大聖堂を目指す巡礼者は、
                     必ずこの「サンタンジェロ橋」を渡らなければならなかったのであった。

                      17世紀(既に教皇統治の時代)に法王クレメンス9世の命により、ベルニーニの改築
                     によって、この橋は現在のものに生まれかわったのであった。美しくいかにも気品溢れる
                     橋ではある。
                      サンタンジェロ城に続く橋の欄干両側に、天使像が10体並んで立つ。どの像もそれぞ
                     れに美しく気高い姿で迎えてくれるように思える。
                      橋自体はサンタンジェロ城と同じ歴史があるが、10体の天使像は17世紀、当時のローマ
                     教皇が、ベルニーニに橋の欄干を飾る像のデザインと制作を依頼、10体のうち2体はベル
                     ニーニ、残り8体は弟子の作とのことである。
                      ただ、ベルニーニのオリジナル作品は別の場所に保管されており、橋にはレプリカが置
                     かれている。オリジナルは法王が傷が付くのを望まず、スペイン広場近くのアンドレアデ
                     ッレフラッテ教会にあるとのことである。
                      設計・制作をしたベルニーニの、キリストに苦しみを与えた思い出の品々をこの橋に並
                     べようとの思考は、「サンタンジェロ橋」を、サン・ピエトロ大聖堂を詣でる巡礼者たち
                     の参道としてとらえ、10対の天使たちによって神の世界へと導かれるという演出と考えら
                     れている。自身の代わりに苦難を背負ったキリストの生涯を思い起こしながら、多くの人
                     が最終目的地である大聖堂を目指したのであろう。

                     サンタンジェロ城
                          
                      橋を渡り切り、私たちは「サンタンジェロ城」に入った。 
                      かつてはハドリアヌス廟と呼ばれた。その由来は、AD 135年、ローマ帝国の皇帝、いわ
                     ゆる「五賢帝」のひとりハドリアヌスが自らの霊廟として建設を開始し、アントニヌス・
                     ピウス治世の 139年に完成している。霊廟はきれいな円形平面をなし、太陽を象徴したハ
                     ドリアヌスが戦車を引く像が頂上に設置されたのであった。
                      その後、軍事施設として使用されはじめ、 403年にはアウレリアヌスの城壁の一部に組
                     み入れられる。
                      14世紀以降は歴代のローマ教皇によって要塞として強化され、また、同時に牢獄や避難
                     所としても使用されている。
                      16世紀前半の教皇クレメンス7世は、ローマが神聖ローマ皇帝軍により恐ろしい略奪(
                     ローマ略奪)を受けている間、皇帝カール5世率いるドイツ人傭兵の包囲に抵抗するため、
                     ここの機能を使用したのであった。
                      17世紀前半には教皇ウルバヌス8世がサンタンジェロ城の強化に努め、1667年に教皇とな
                     ったクレメンス9世が、バロック芸術の大家で旧友のジャン・ロレンツォ・ベルニーニにサ
                     ンタンジェロ橋の装飾を依頼したのである。

                      1階から階段を上がると2階は通路がカフェテラスと兼用されていた。お茶を飲みなが
                     らサンタンジェロ橋越しに街を眺める観光客が大勢座っていた。広くはないが、城内の博
                     物館には、ルネッサンスの画家たちの絵画や彫刻も納められている。
                      3階あたりの通路はいかにも牢獄に使われたという感じで、暗くてあちこちにくぼみが
                     あり又、この城が要塞に使われていた名残か、その上階弾薬庫跡の庭には石の砲弾が沢山
                     積まれていた。砲弾の石は例によって古代遺跡から調達してきたらしい。
 
                      屋上の展望が観光客に最も人気のようである。
                      私たちも息せき切って階段を登った後の一息をつきながら、広大なローマを眺めた。
                      バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂のドーム、ヴェネツィア広場やパンテオンの屋根
                     を望むローマの街並みの広がった風景を清々しく見渡すことができ、絶景ポイントを楽し
                     むことが出来た。また、このサンタンジェロ城、夏には夜間開城も行われ、時にはコンサ
                     ートも行われるという。
                      屋上ではこの城の名前の元となった大天使ミカエルの像を見上げた。(レプリカで、本
                     物は城の中)。サンタジェロ城は、訳によっては、「聖天使城、カステル・サンタンジェ
                     ロ」とも呼ばれる。
                       590年にローマでペストが大流行した際、時の教皇グレゴリウス1世が城の頂上で剣を
                     鞘に収める大天使ミカエルを見て、ペスト流行の終焉を意味するとしたことに由来すると
                     される。その故事を記念して、16世紀にはラファエッロ・ダ・モンテルーポによる大理石
                     製の天使の像を城の頂上に設置した。1753年からは Pierre van Verschaffeltによる青銅
                     製の像が設置されている。

                      ガイドの内山さんが、13世紀にニコラウス3世が造らせたというサンタンジェロ橋か
                     らバチカンに繋がる一直線の通路を、指さして教えてくれた。わずかに離れた場所にある
                     バチカンのサン・ピエトロ大聖堂とは秘密の通路で繋がっており、有事の際は、歴代教皇
                     がこの通路を通ってサンタンジェロ城に逃げ込んだのだそうだ。異変が起こると教皇はこ
                     こに立てこもり防戦したという。
                      そして、城の周りには多角形の城壁が巡らしてある。これを完成させたのは16世紀の
                     ピウス4世であった。城壁を必要としたのは、ローマ帝国だけではなかった。 

                          
                             城壁側のサンタンジェロ城             居酒屋フォーリインペリアル
                                        *

                     城前のバス停から私たちは路線バスに乗った。
                     夕方の渋滞時間と重なり、1時間もかかった。車内で仲間がスリに囲まれて添乗の2人
                    で割り込んで追っ払ってくれた。テルミニ駅に着いて地下鉄に乗りかえ、1駅の乗車をし
                    てホテルへ戻り、一日の見学を終えた。

                     添乗員の上谷さんが夕食の宛てのない人を案内してくれるとのこと、私はすぐ乗ったが、
                    結局1昨日の Hご夫妻と4人になった。ホテルのわき道を入ってマドンナ・デ・モンティ
                    通りへ出、「TABERNA DEI RORI INPERIAL」 (=居酒屋フォーリインペリアル)という店
                    に入った。
                     上谷さんの顔が売れているらしく、気の良さそうな男がテーブルを開けてくれた。
                     私は明日は個人行動で、上谷さんが手当てしてくれた「ボルゲーゼ美術館」へも行くの
                    で丁度お世話いただいた方々と親しく食卓を囲むいい機会だと思った。
                     メニューはイタリア料理もよく分からないので上谷さんにお任せにした。前回パスタだ
                    ったから、と今日はスパゲッティーということで、ハムと野菜の付け合わせ、カリフラワ
                    ーの煮物などをみんなで頼み、せっかくのローマの宵ではあったが、詫びを言って私はビ
                    ールを飲んだ。ただ、イタリアのビールも旨い。
                     既定のスケジュールは終わり、フランクで和気藹々と楽しい日程だったと上谷さんを持
                    ち上げ、笑って飲んだ。時々彼の店員が席へきて、笑いを誘って去って行ったリした。
                     楽しく過ごせて良かった。
                     この夜もぐっすり眠れた。

                                                                風次郎

 

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