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風次郎の世界旅
 パースの花を観る旅
(7)

music by KASEDA MUSIC LABO

         
          公園に咲くジャカランタの花                セントメリー教会(手前はモニュメント)   

     パースの花を観る旅(7)

                7.朝の散歩

                               平成25年11月4日(月)
                               私は旅先でも朝は4時には起き出す。サラリーマン時代は色々なお付き合いがあって、どう
                              しても夜の時間はこちらの自由にならなかったから、自分専用の時間を確保するためには早朝
                              しかなかった。その習慣がのこっているのだ。現役を離れてからは夜も割合自由になったが、
                              ツアーで旅行に出るとプログラム外に自分の自由が許される早朝の散歩時間は思えば貴重であ
                              る。自分では良い習慣を得たものだと大事にしている。
                               フロントの脇を通るとカウンターの中にいた事務員が、鍵を持ち出して正面のドアーを開け
                              てくれた。5時までは施錠しているとのことだ。帰ってきてもし開いていなかったらインター
                              ホンを使ってもらいたいと壁を指さしていた。

                               ノースブリッジ地域は繁華街であるが、駅から離れるにつれ周辺は住宅地が広がっておりな
                              だらかな起伏のある整った通りには、花の咲く庭を構えた恵まれた住宅が並んでいる。
                               私はメインストリートであるウェリントンst.を北へ歩いた。
                               ホテルから200mも行くと店舗は途切れ、その先は Hyde Park という広い公園になって
                              いた。街の中には至る所に小さな公園がつくられているようである。
                               Hyde Parkは中央の池を囲む緑地が1ヘクタールもありそうで、ユーカリや楡の大木が繁っ
                              ていた。ロンドンに行った時にはケンジントン宮殿もあるハイドパークを散歩したが、それに
                              因んでイギリス人が付けた名前だろうか?こちらの広さはそれには遠く及ばない。
                               まだ人影は見えず、静まり返っている中でブランコの板に腰を落とし暫したたずむと、鳥の
                              声が響き渡るのが良く分かった。何の鳥とも知れない“ケーン”と声を投げ捨てるように鳴く
                              ヒヨぐらいの大きさの鳥が、楡の木の枝のなかを飛び交っていた。
                               私は池の辺を歩き Hyde Parkから東側の住宅街へ抜けて行った。そして再び街の中を、大き
                              なスタジアムの脇を通って、南へ向かった。
                              地図を見るとLORD STREET となっていた。やや上り坂になって東西に延びる鉄道を越す大き
                              な陸橋の上に出た。まだ明けきらぬ朝の駅が無数のライトに照らされて西側一帯の眼下に広が
                              っていた。反対側は丁度市街地をトンネルで抜けてきたグラハムフリーウェイが地上に出て鉄
                              道と並行してスワン川に向かって続いていた。
                              歩いている道路は南に坂を下ったところで駅から来るメインストリート(WELINGTON ST.)
                              と交叉し、その先にはパースロイヤル病院(国立)があった。
                               病院は何処でも朝から忙しい。車の出入りや勤務の人々、それに早朝から患者らしき人々も
                              見える。
                               病院の道路を越した丘の上の一角はセントメリー教会(パースでは一番古い教会)で一画を
                              囲むように道路が配されていた。
                               教会の正面から南にHAY st.に向かうVICTORIAst.を下り、ガイドブックに載っているパース
                              造幣局を観た。英国により王立造幣局の支局として1899年に設立され、オーストラリア最
                              古の歴史ある建物である。アーチ形のテラスをつけた1階と3階建の中央館、2階には両翼状
                              に部屋を配した整った建物で文化財に指定されている。現在も金の精製やコインの製造のほか
                              展示、時にはアトラクションなども行われているそうだ。
                               貨幣を作る造幣局はオーストラリアに二つあり、もうひとつは首都キャンベラにあるとのこ
                              とである。

                                                          *

                               私は、オーストラリアには1度だけ現役の時に出張で来たことがあった。13年も前だし、
                              それも東海岸のシドニーとメルボルンだったから、西側とはかなり状況が違うとは思う。
                               その時、1月の暑いメルボルンで時間が取れて中心街に近いフィッツロイ公園を散歩して、
                              イギリスのヨークシャーから移築されたキャプテン・クックの家を見たことを覚えている。 
                               イギリス人ジェームズ・クックは、エンデバー号を指揮して1770年ボタニー湾に上陸、
                              領有宣言を行ったのであった。それより前、大陸に最初に到来した白人はオランダ人が熱帯
                              の北部地域に上陸したが、植民地には向かないと判断し、入植しなかったのである。
                               クックの領有宣言から、英国は東海岸をニュー・サウス・ウェールズと名付けて入植が始ま
                              った。そして、1788年からは流罪植民地としてイギリス人の移民が始まったのである。
                               初期移民団1030人のうち、736人が囚人、当時は軽犯罪でもオーストラリアに流刑さ
                              れたという。その他はほとんどが貧困層の人たちであった。
                               1828年に全土がイギリスの植民地となり、開拓が進められた。
                               先住民アボリジニから土地を取り上げ、放逐、殺害したため、純血のタスマニア先住民は絶
                              滅させられたといわれている。
                               19世紀の初めにはスペイン産メリノー種羊を改良し、以後、羊毛産業が発展、今尚羊の国
                              の名声がある。羊が重宝されたのは羊毛に関してだけでなく、まだ冷凍船がなかった頃、肉類
                              の中で羊肉が1番長持ちしたためであったと言われる。
                               1850年代にゴールドラッシュが発生すると、中国系の金鉱移民に対する排斥運動が起っ
                              て、後の白豪主義につながる。

                               オーストラリアは、1901年にイギリスから事実上の独立をしたが、独立後もイギリス国
                              王への忠誠からイギリスの戦争には参加している。第二次世界大戦後の1980年代からは白
                              豪主義を撤廃し、世界中から移民を受け入れることとし、「多文化主義」へと移行している。
                               同じアングロ・サクソンのイギリス、アメリカや、移民出発地の他のヨーロッパ諸国との結
                              びつきが依然強い。
                               オーストラリアの首都がキャンベラとなったのは、シドニーとメルボルンで首都争奪戦の末
                              のことと言われ、妥協案としてシドニーとメルボルンの中間に新たに都市を建設して首都とし
                              たのであった。
                               「オーストラリア」は通常日本語の表記で用いられるが、正式名称は、Commonwealth of Au
                              stralia( 通称、Australia)である。形式上は英国女王を元首に戴く君主国であるが、実質
                              的には共和政体をとり、Commonwealth of に対応する語として「連邦」を付け オーストラリ
                              ア連邦と呼ぶことが一般的である。日本では「豪州」とも呼んで来た。
                               国名の由来はラテン語で「南の地」を意味する( terra australis)のだそうで、海面が低
                              い時(約38000年前)にアボリジニ民族がニューギニア方面から渡って来て先住民となっ
                              たと考えられている。
                               考古学的には、西オーストラリアのスワン川上流に40,000年前、タスマニア(東海岸
                              の島=当時大陸に繋がっていた)には30,000年前に人類居住跡が見つかっており、また
                              約42,000年前の人類の化石もニューサウスウェールズ州で発見されているというから人
                              類史上は古い国である。

                               昨今、パースはアパートの建設ラッシュで建設ブームとのことである。物価高で個室は1DK
                              で3000万円 〜 3 LDKは5000万円とのこと、サラリーマンは昼食の選択にも苦心して
                              いるとの話を、現地ガイドがしていた。
                               時代の波に乗って、元々自宅外では飲酒の習慣も無い国であったのだが、今は夜の遊興もカ
                              ジノもあるという。 
              

                
               公園のジャカランタの花(2)             地下駅化が進んでいるパース駅

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