KLセントラルステーションのコンコース
昨日市内を案内してくれたガイドのカーさんと鉄道に乗ってマラッカの街を見に行く。
はなと2人、ホテルから雨の中を小さなバスに乗る。マラッカへはKLCマレー鉄道に乗り、タンピンで降りて
さらに車で1時間かかるという。マラッカは鉄道が通過していないのだ。
1405年に起こったマラッカ王国が現マレーシアの起源であり、多くの国の人々がアジア貿易の拠点として
来航し王国は栄えた歴史を残している。
1511年から130年のポルトガル支配、続いてオランダ、イギリスの植民地支配があり、日本も太平洋戦
争で敗戦までの3年半をこの半島に覇権をなしたのである。日本は結果敗戦にいたったので文化への遺産はまず
ないが、前の3国の遺産は多い。
マレーシアでは雨が1日降り続くということはあまりないと聞いていたが、今日は朝から降っていた。しかし、
これも昼にはあがるだろうとのことだ。雨はいつでも降り、また長続きはしないらしい。マラッカは2日続きのぐ
ずつき天気とのことである。
7時30分発のマレーシア鉄道に乗るためにまだほの暗い街をすり抜けるように走る。
まだ人気のない街は早朝の仕事に出かける人、他の人々の活動する前に店舗を整える人、交通機関に携わってい
たり、道路を清掃したり、パブリックサービスの人等日中の繁華街にも、朝の働きに向かう人々の姿が見える。だ
らだらとしない朝の街は活気付いていて感じが良い。
タイからシンガポールまでを繋ぐ国際線の拠点をなしている真新しいKLセントラルステーションに着いた。英
国統治時代の遺産で観光名所にもなっているKL駅の隣である。
日本人有名な黒川氏の設計だそうだ。ちょっとニューヨークのペンシルバニアステーションを思わせる雰囲気が
あり、むき出しの鉄骨を視覚に訴えるドーム状の広いホールにはアメリカンなデコレーションの広告塔が多い。
この国のマイカー時代はこれから、を思わせる国産車2台の展示があり、その脇には日産バネット、いずれも
バンタイプが置かれていた。ちなみに価格を見ると60,000RM前後(約220万円)の値段がついていた。
駅は遠方の地から到着したらしい人、出かける人の交叉を見るだけで旅の気分を引き立てる場所だ。活気の漂う
場所である。
列車の窓に沿って歩きながら中を見ても、乗客は多いとは言えなかった。東南アジアのオリエント急行を目論
んだといわれるが、人気はいまいちのようである。
列車は3分遅れでスタートした。カーさんの話だとまず定刻はありえない、良い方だと言う。1時間遅れなど
そう珍しいことではないそうだ。 KL市内をしばらく走ると車窓は森の中に変わり椰子やバナナの木を映し出した。
そして、いけどもいけども森や林が続いた。時々民家が見えることもあったが田や畑が見えるということもな
かった。椰子の林や、バナナ、ココナッツの林に中をひたすら走っていくジャングル特急という感じだった。
途中停車したのは2駅のみの2時間、雨降る緑のマレー半島を南下した。列車は冷房がきつく、上着を着ていて
やれ良かったと言うしかない。風景には退屈で少々居眠りも交えて過ごした。やがて目的地タンピンの駅に到着
した。
特急が停車するのだから相当な街や相当な駅を想像していたにもかかわらず、前に止まった駅も含め、ローカル
線の田舎駅程度の印象であった。街といえるほどの繁華街もないように見えた。
改札の向こうに見慣れたワゴン車が止まっている。
“あれ!見慣れたような車だな”と、思う今もなく運転席の彼が手を振る。
何とホテルからKLの国際駅まで運んでくれた彼が、先回りして車を運んできたのだ。
“私たちをわざわざマレーシア鉄道ののせるために??”“そう、---- そうなんだ!”
“-――鉄道の経験も高くつく――” カーさんも、はなもみんなで顔を見あわせて笑った。
タンピンからマラッカの市外まではやはり同じ南国の緑の林(ジャングル)の中の道路だった。街道沿いの部落
のような街を注意して見ていると、中国語で書かれた看板も多く、カーさんの話でもやはり圧倒的に中国人の進出
が多いとのことだった。『ALOR GAHJHA TOWN』と道路標識に書いてあった。その町のはずれでカーさんは
現地人の高床式の家を見学させてくれた。老婆がふだんは1人で暮らしているので、観光客にも見せてくれるとの
ことだ。
「あれ!結婚式があったんだ。」
「昨日娘さんがここで結婚式を挙げて、今日は一族が集まって賑やかのようです。」
門の前に横断幕が張られているのを見て降りて行った彼女は、家の人と話して帰っ
てきた。他の観光客も訪れており、親族と一緒になって家中が混雑していた。マレーの伝統的な民家は高床、とん
がり屋根、木造の三つが特徴。昔は屋根も椰子の葉で葺いたそうである。何人かのガイドの話でも高床は気持ちが
良いといっていた。唯一の気候的欠陥を癒してくれるのが、風通しの良い床下の家であろうかと思う。
老婆の住む母屋は来客と親しむ正面と奥の居間とに段違いで別れ、正面の中央に玄関を配している。右側には客
用の寝室がレースで飾られている。昨夜は新婚夫妻が過ごしたらしい。室内も自由に入ってよいとのことなので豪
華なベッドの写真を撮らせていただいた。
奥の居間では親戚がご馳走を食べて寛いでいた。ここでも一緒に写真を撮らせてもらったり、お勝手の中まで覗
かせていただいた。風変わりな井戸が印象に残ったが、キッチンはシンク、ガスなどは整って世界標準と言おう
か--- だが親族の人々の、手でつかんで食べ物を口に運んでいるのがいかにも現地感のある光景と思えた。
パーティーは屋外のテントで行われたようだ。新郎新婦は旅行に出掛けて不在、テントの向こうの離れ家にも親
族がたくさん集まっているようだった。付近にも民家が点在していたからそんな人も混じっていたかもしれない。
カーさんの話では電気やガス、それに上下水道もどんどん近代化されているとのこと、であれば常夏の地の住み
易さはさらに快適なものになっていくに違いない。
マラッカの街に入って行く。鉄筋コンクリートのビル街はないが軒を連ねた商店街の中を走る。カーさんは中国系、
なんとなくこの町マラッカへの中国の影響を強調したい感じだ。たしかにピンタン駅を降りてから看板だけでなく、
人の数も中国系人が多いように見える。彼女は「先ず何と言っても『青風寺』をお参り(見学)しましょう」と言
った。この国の最も古い仏教の寺であるとのことだ。
街中の寺は、商人など庶民の日常の信仰に親しめるたたずまいを持っているものだ。威圧感のある大きな境内を構
えることは少ない。早い時代、故国を離れた人々は寺を開き、そこに心を寄せ合って生きたのであろうか。
香港の黄大仙寺院(道教)、横浜中華街にある寺などと似た雰囲気の拝殿前であった。
線香の香り濃く漂うなか中国の様式を伝える細やかで華美な建築を見ながら私たちも焼香して祈った。
雨傘をさしながらオランダ広場に立って周囲を眺める。
それからオランダ総督邸として建てられたというスタダイス(現マラッカ歴史博物館)、十字架を正面に掲げアー
チ型にレンガで正面を飾った教会に目を留めつつ、セントポール協会の廃墟の丘に登る。ここでも数年前マカオで
同じような丘の上にある廃墟の教会を思い出した。ザビエルの宣教はかくも偉大であったとここでも思う。偉業と
言わざるを得ない。
この教会跡のザビエルの棺を安置したといわれる場所は、大きく網で囲われて訪れる人々はその網に手を触れて
覗き込むように見つめていた。
登ったときとは別の道を下った。道の脇に雨の中で自分の書いたスケッチを売る人がいた。雨なのに寂しそうにも
なく、長い髭だらけの顔で熱心に声をかけているその男の姿も絵になるように見えた。
下りたところが丘を囲んだ要塞の門『サンチャゴ砦』であった。こちらはポルトガルが東西貿易で栄えた頃に使わ
れていたという。
雨の街はぶらりと歩き回るわけにも行かず、ワゴン車を上手く使ってあちこちと走って見たが車中では十分な雰囲
気をつかめる訳はなかった。
ポルトガル、オランダ、イギリスいずれもヨーロッパの華やかな文化を連想させるが、常夏の海辺の街マラッカに
彼らの足跡を見るにはやはり美しく青く晴れた日が良かったのだろうと思う。美しい印象よりも他民族に好いように
入られて複雑な歴史を刻んだところとの印象であった。
商店街のみやげ物店に入り、私は山奥の木から採ったという強精剤を買った。胃腸にも私の持病前立腺にも効くと店
の主人がしきりに解説するのに乗ってのことだ。手工芸品の面や置き飾りの彫り物もあったがピンと来るものはなかっ
たので菓子を少し買った。
地元の人達も来て賑わうというレストラン「ニョニヤ・マッツオ」で昼食をとる。折りしも中国からの修学旅行の一
団が入っていて大変な賑わいであった。5種類ぐらい出た料理をスプーンとフォークで食べた。ニョニャはマレーの食
材を中国の手法で料理したものと聞いたが国料理とあまり変わらないような気がした。
KLへの帰路はそのままハイウェイに乗って走った。
列車よりもスピード感があった。しかし景色には特別なものはなく、列車で眺めると同じ椰子の森や林、背の高
いのはココナッツ、色が明るい大きな葉はバナナと沿道は見慣れて単調だった。
KLに近くなると住宅団地の造成地が目立ち、また高層アパート(日本で言うマンション)の建設現場が沢山目に
留まった。南国の林、ジャングルだった丘は団地に変わる。建物が建つ前は砂漠のように見えるものだな、と思っ
た。
歴史のポイントであるマラッカを訪ねたことには満足した。が、強烈に印象に残るものはなかった。むしろ、
原住民はそう近代化した生活をしているわけでもなく、昔と同じように今も華僑を中心とする外からの移住者に
押されたり、影響されながら素朴に生活を営んでいるようだ。かなり中国人主導の経済文化を感ずるのであった。
やはり数日は滞在して自在に歩いてみる必要があるのだろうと思った。
文中写真 上から マレー鉄道の国際特急列車
TERIMA KASI(おめでとう)の横断幕を張った高床、トンガリ屋根の伝統的民家
結婚のお祝いに集まった家族と記念撮影
マラッカの市街
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