四泊の滞在でしかなかったKLの街を存分に楽しむ事ができたのは、プリンスホテルのある場所が市内を歩くのに好都
合な場所にあったからだと思う。もっとも一群のホテルは大半がこのペトロナスの公園(KLCC)を西に眺める丘
に集まっている。この丘は、さらに市内の中心寄りにあるチュラン大通りを挟んでブキ・ピンタンの繁華街へ続いて
いて歓楽にも便利だ。
風次郎の毎朝の散歩は5時前後でこれは外国へ旅行しても変わらない。むしろ旅先の方が興奮して少し早い時間に
なる傾向だが、現地事情に興味津々、とても楽しみな時間である。
暗いうちからの一人歩きには、ホテルの場所がどこで、歩いて行ける範囲にどんな所があるかを知るのが大事な予
備作業である。歩いて行く場所はどこでも良いのだが、自分が場所を確認して、出かける前から地図を頼りにあれや
これや思案するのである。
ふつうの地図では街の起伏まではわからない。そして近辺の川の様子や殊に小路などの細部は地図と実際は思いの
外のことが多い。だからKLの街が起伏の多い街だとは想像していなかった。
街の中は緑の森、あるいは森のような大きな街路樹の通りが広がっていて、その並木道をたどる楽しみは、今回の
旅で見つけた好もしい印象の一つだった。
到着した翌朝、風次郎はいつもの通り早く目が覚めた。時差は一時間しかない(日本より遅い)からまったく苦
にならない。それにしても四時は真っ暗。窓を眺めても昨夜ペトロナス・ツインタワーの上に出ていた月は隠れてし
まっている。
“とにかく窓から見えるペトロナス・ツインタワーまで行って見よう。”
風次郎の早朝散歩は恒例だから、寝ている妻はなに『でかけてくるよ』の一声で部屋を出る。ホテルを右に出て
右へ右へと行けば良いのだ。到着直後フロントからもらった地図をしっかり持って暗い通りを歩き出す。コンレイ
通りはすぐにラジャ・チュラン通りヘ繋がって終わり、そこを右前方に上るとイスタナホテルのある角からがイス
マイル通りだ。イスマイル通りにはKLが目下新しい街づくりの為に建設を急ぐLRT(ライト・レールウェイ・トラ
ンジット)モノレールが走っている。
そのレールの下の大通りを右に歩く。やがて右にヒルトンKL、その隣は若者の集まる深夜を熱狂で越えたダンス
ホールのようで、まだ大きな音が外まで響き渡っていた。どこの国の繁華街にも同じような、そういったところの
道かげの薄暗いところには怪しげな女がいるものだ。ここにも見かけはキュートで可愛らしい女が微笑を送ってい
る。彼女等は時間を問わないのだろう。時にはぎこちない日本語を使って声を掛けてくるのには居たたまれない気
持になるが、そんな風に戯れの時間をすりぬけて生きるさまを、きまったように世界の街角で眺める。そんなとき、
移り行く歴史の中に変わらぬプロセスが留まりつづけるのを切なく感じのでもある。
坂道を下り、坂道を登る。コンコルドホテルを過ぎて、ハイアット、ペニンスラ等有名ホテルの立つ坂道の交叉点
を又右に、アンパン通りへ入ると視界が開け、芝生の向こうにマレーシア・ツーリスト・インフォメーション・コン
プレックスの白い建物があった。元錫採鉱者の私邸で英陸軍、又日本軍も本部を置き歴史上の舞台となった建物であ
る。それがまた王族の式典にも利用されたり、独立マレーシアの初議会が開かれた所でもあるというのだから感慨深い。
これを暫し眺める。
昨夜の宴のあと灯かりを消し忘れたように、ガーデンレストランのイルミネーションが光る先に広大な公園が見え
ていた。その左側横断舗道の向こうにはペトロナスツインタワーが聳え、ちょうど正面がエントランスだ。88階、
高さ452m目下世界1の高さだそうだ。イスラム教「五柱」をテーマに錫の彫刻のイメージ、見上げると寺院の塔
のように空に鋭く巨大に伸びて輝いていた。
しばし車寄せの大屋根の下に佇んだあと、その袂マンダリン・オリエンタルホテルとの間を抜けて池のほとりに出る
と、今度は池の水面にあちこちから集まる昨夜の名残の燈が映っている。
左の彼方に礼拝堂が見えていた。
人気のない水辺を幻想に誘われるような気持ちでこの礼拝堂に歩いて近づいて行くと、『国教であるイスラム教を
敬し、多くの人の集まる所に新しいモスク“スラウ”が建てられた』との説明看板があった。最早信者が数人礼拝に
臨んでいる。
当然ながら風次郎はイスラム教の信者ではないのだが、興味に誘われて近づき大理石の階段を見つめているうちに
礼拝を試みたくなった。信仰に対する尊厳を疎かにしないのであれば赦されると思った。聞いていたように靴を脱ぎ、
靴下も脱いで本殿に近づく。本殿に入る勇気は無かった。本殿には絨毯が敷かれていた。後ずさりして一般拝殿の大
理石の床に跪く。信者達は何故か柱のそばに座して、姿勢を正しひれ伏しては頭をもたげつぶやいている。何故柱の
そばなのだろうと考えて見たが解らない。早朝だけに熱心な信者達なのであろう。それぞれに法衣を持ちこみ、着替
えてから祈りに臨んでいるようだった。
まだ空いている柱はたくさんあった。端の方の柱に場所を求め、風次郎も周囲の信者を見よう見真似で礼拝を試み
ていた。と、すぐに白い法衣の司教(修行者?)が近づいてきた。
「イスラム教の方ですか?」
「いいえ、違います。私は日本から来た観光の者です。」
「宜しいですよ。一緒に祈りましょう。」
静かな英語で語りかけてくれたが、それより先に進むわけにはいかなかった。
「あらためて参りましたら、その機会にお願いしたいのです。」と伝えて風次郎は一人でしばらく座っていた。
つぎの日、ガイドのカーさんの案内で国立モスクに行った時、イスラム教の世界について解説を受けた。そちらで
は妻はなも入場者に貸与されるイスラム衣装をまといスカーフで顔を覆って礼拝堂へ向かった。
すべてがメッカへ向かって一日五回の祈りを捧げるイスラムの世界。アルコールも禁じて、年に一回はラマダン
(断食)の修業を行なうという戒律も厳しい国教を持った人々にとっての神は、月と星だそうである。それは砂漠も
海も昼は明るすぎて、また暑すぎて動けない世界だから夜動くためだという。自分の位置を知るために導いてくれる
神は月や星であるという。だから国旗にも月と星を掲げる。そんな意味でのイスラムは生活密着の宗教であるかもし
れない。道しるべが神なのである。
朝のスラウは神秘な体験のように感じられた。
朝の散歩でもう一つとても印象に残っているのは、ブキッ・ピンタン通りを南へ下り比較的KL駅に近いジャラン・
プド(プド通り)からラジャ・チュラン通りを歩いたことだ。プドー通りのほぼ中間あたり、プラザ・ラキャット付
近はバスターミナルになっている。
朝早くから、地方から出てきたらしい大きな袋やバックを幾つも抱えた人達が、かたまりになったり、右へ左へ激
しく行き交っていた。また、道路わきのタクシーと運賃交渉している姿もあった。
付近にはセントラルマーケットやチャイナタウンもある。そこは地方の商人達にとっては大切な仕事場でもある。
だから賑わっているのだろう。朝早いにもかかわらず、露天の食べ物屋はどこも混雑していっぱいだ。同じような
風景は香港でも、北京でも上海でも見た。ソウルの南大門市場の雰囲気も思い出した。商人達の生活の匂いのする、
パワーを感ずる光景である。
この活動的なシーンを見て、市街地の3画交叉点に建つマイバンクのビルを見上げながら大きな右カーブを折れると、
道路はラジャ・チュラン通りへ通じている。
風次郎にはこのラジャ・チュラン通りがKLで最も歩くに楽しい通りであった。オールドタウンの繁華街からプリ
ンスホテルへは、ここが直線的に通える道でもあった。その中ほどが小高い丘になっており、さらにその丘はKLタ
ワーのあるナナス(パイナップル)の丘に続いている。古木の街路樹が道を覆い、それが強い日光を遮っているため
日中であっても涼しげにゆったりと歩けるし、朝の日の出の頃はこの森のような木々に住まう鳥達が、それは美しい
声で鳴いているのである。私には「クワッ、クワッ」とか、「クワーイ、クワーイ」と聞こえた。また、スズメの囀
りに似た鳴き声をまるで拡声器を通じたように大きく響かせている鳥もあった。そんな道が約2キロ続いているので
ある。緑が美しいだけでなく、散歩にはとても素敵な道であった。
ラジャ・チュラン通りは忘れられない。
写真 上 : ホテルの窓からのペトロナス・T・タワー
中 : マレーシア・ツーリスト・インフォーメーション・コンプレックス
下 : 街のムスリム(イスラム教徒)(ガイドブックより)
* 4.スリ・マライユ
* 風次郎の「東京ジョイライフ」ホームページのトップへ
* 『風次郎の世界旅』 トップページへ戻る
* 風次郎の『八ヶ岳山麓通信』へ
* 風次郎の『善言愛語』へ