ほたるを観に行く ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
(マラッカ海峡を望むブフンダの丘に備えられた大砲)
4時にロビーに来るように言われていたのでエントランス脇のソファーに座っていると、元気のいい男性ガイド
のジャキが声をかけてきた。今日は我々夫婦とジャキの妹、その子供達でほたるを見に出掛けると言う。
さっそくワゴンに乗り込むと市内の雑踏の中、狭い道を通り抜けて行く。運転手は夕方のラッシュ時で主要道は
動きがとれなくなるから、と狭い小路を右往左往し始めた。何とか早く混雑を抜けて郊外の街道筋へ出ようとして
いるようだ。
いろんな小路へ入ると、夕方の道行く人々の表情が車の中から間近に伺うことができてむしろ楽しかった。
右往左往のように感じたが、やはり運転手はプロだ。ほどなく渋滞のない、しかも緑の葉の茂る、大木の並ぶ大
道りを走り始めた。KLの西北へ向かうのだそうである。
道標はマレー語と英語が並列で同じ大きさの字で書かれているのでどうやら読めるが、地理はわからない。わから
ないまま読むからどれも同じような単語に見えてなかなか頭にも入らない。案内地図を眺め、ハハーンと頷くのみで
ある。海も見えないし、ほとんどが丘陵であるが、そこは林や森の連続、バナナなど葉の大きな南国の木々が立ち、
地面にはどこにも草が生えて地肌はあまり見えない。どこも緑の絨毯である。
カンポン・クアンタン地区へ向かっているとのこと、林の中を真っ直ぐ走ったり、小さな部落の中を通り抜けて
いった。部落には学校や地域のモスクや商店街が軒を連ねたり、散在したり広大な土地をもてあましている感じが
した。建物のあるところには夕方のせいもあってか住民が戯れていた。どうやら食事をきちんと自宅で取るより、
近所の食堂で、と言うのが風習のようである。そんな部落の林の中に高床式で地域特有の住宅が、随時雨が降った
り止んだりする気候にいかにも相応しく建っていた。
ジャキは「サービスだ!」といって、途中ブフンダの丘というところに連れてってくれた。
丘の頂上には灯台があり見晴らしの丘になっていて、野生のサルが群生していた。観光客に馴れているサルで、
与えるえさを強請り愛嬌を振りまいていた。尻尾の長い、真っ黒のサルの家族が多かった。
はなもジャキの姪の子供達も売店で買った豆のえさをやって戯れていたが、おとなしくてあまりいたずらをしな
いサルのようだった。丘から海にかけて広大な鳥獣保護区になっているとのことである。しかし、丘の下にはそれ
でも百戸は越える集落もある。日本にはこのところサルが町に出てきて人を襲うなどの話題があるが、ここでは上
手く共生が成立しているのであろうか。
丘の上から望むマラッカ海峡に沈む夕陽が有名なのだそうだ。それがジャキの「サービス」だった。がしかし、
海峡は見えたが雨雲が通り過ぎたあとの薄暮の海はかすかな輝きがすじ状に見えるばかりだった。ただそれにいた
るまでの眼下の大きな緑の広がりと海とのセットは、見るに値する雄大な眺めだった。
マレーの夕暮れは6時過ぎてからだ。8時ごろまでは明るい。
KLを4時に出てきたからまだ明るいのに一体どこにつれてってくれるかと思ったが、ジャングルのドライブの後
はマラッカ海峡の眺望と夕食であった。
ガイドのジャキは原住民。自分も今はKLのマンションに住んでいるが、実家は森の中の高床式家屋だそうな。
週末に実家に戻るとホッとすると言う。彼は林の中の道をあっちこっち(私はそう思った)を通る度にあらわれる
原住民の家が目につくと「ほら、こういう家が好いんだよ」としきりに同意を求めてきた。そんな椰子の木林(ジ
ャングル)の中にあるレストランで現地料理を食べると言ってワゴン車は止まった。
日本語で“歓迎”と書いてある小さなレストランだった。簡単なテーブルがコンクリートのたたきの上に置いてあ
るだけのレストラン。私たちが今日の初客のようで、現地人のスタッフが無口にサーブしてくれた。どうも蛍観光の
ルートになっているらしい。すぐに他の観光客が3、4組到着して店はいっぱいになった。もちろん他に日本人の組
もあった。
私はジャキ兄弟も一緒の席を望んだが彼等は子供達への週末サービスもあるのだろう、別のテーブルを求めたので、
私と妻はなは2人で席をいただいた。
出てきたものはカニに黒っぽいドレッシングをかけたもの、小さくちぎった干し肉を焼いて皿に盛ったもの、豆腐、
八宝菜、ライフ(炒め飯)それに杏仁豆腐だ。書けば質素なものである。カニは小さくて硬くてとても食べられなか
った。しかし腹もあまり空いていなかったし、ハエが飛んで来たりしてまあ現地人のもてなしを受けたことに満足す
るしか手はなかった。他のテーブルの客がカニを鉄バサミで割ってくれとレストランの従業員にねだり女の子2人の
従業員が一生懸命小さくて硬いカニを皿に分けている姿のほうが印象的だった。夢中に仕事をする姿に哀れを感じた。
ここで味わった、このカニにまぶす様にかけてあったドレッシングの味がマレーシア民族の味か。赤黒く、ドロド
ロした甘味噌のようなもので珍味だった。そしてこの後、主食だと言われる米(ナシ)が出された。ちょっとポリポ
リした小粒の米をチャーハンのように皿に盛って出てきた。マレー料理はいろいろなものをスパイシーで食べるのだ
そうだが、このナシはほとんどが日本の混ぜご飯のように鶏肉や野菜が入っていて親しめる。時々独特の辛いものに
でくわすのも地域の味である。しかし現地の人のように手づかみではいただけないな、と思った。
(ジャングルの中の簡素なレストラン)
ちょうど食事が終わると時計は7時をまわり薄暮になってきた。
再び椰子の林の中、真っ直ぐな道を進み、何度か直角にターンしてつい先程降った雨の水溜りを避けながら車は
疾走した。やがて河畔の道路ヘ出て、提灯のあかりが灯っているセランゴール川のほたるウォッチングの船着場に
到着した。50台も車が入りそうな駐車場はまだパラパラの入りであったが、4〜6人乗りの舟は27隻あり1コ
ース40分ほどで深夜まで漕ぎ出しているのだそうだ。
季節に節目がないからほたるもいつでも見られるのである。
船着場のデッキから見る3〜40m幅のセランゴール川は濁った水がゆったりと流れていた。
ジャキの姪たちがうちわを持ってきてくれた。ライフジャケットを着てその下は虫に射されぬよう長袖を着てい
るが、暑いとまではいかない。しかしほたるにうちわはここでも適合する恰好な取り合わせで、それなりのムード
をかもしだす。
米人のグループと中国人のグループの舟が先に出て行った。
私達も案内されて舟に乗る。日本の泥舟に似た少し幅の広い舟に向かい合いで5人座り船頭が長い竿で漕ぎ出す。
“ほたるはいるのかな?”
暗い川辺の繁みを、目を凝らして見て行く。と、やがてチカチカ小さく光るものが見えてきた。点滅しているが
飛んではいないので、全く電光のイルミネーションが点いているように見える。一瞬の事、“船着場の近くだか
らこの辺はクリスマス電球でも点けて‐‐”と疑いたくなるほどに繁み全体がボーと光っている。そして舟が近
づいていくにつれその灯かりはハッキリしてきて、多少のうごめきが伴ってきた。
“ほたるだ!!”
船頭が一本の木の葉に手を伸ばすと、ほたるは手に伝わって歩いてくるのだった。
船頭の手のほたるは家内「はな」の頭に乗り移り肩に止まったりした。小さい蛍だと聞いていたが本当に小さい。
5〜6ミリの大きさで、あまり飛ばない。川面を飛び乱舞する光景は見られない。川の両側は柳か沈丁花のよう
な木の藪であった。ブレンバンというブナ科の木だそうである。ほたるはブレンバンの葉の蜜を吸いに集まるので
ある。
ジャキの甥と姪は手にした団扇を、ブレンバンの葉にのばしてほたるを呼び寄せてはしゃいだ。
風次郎も手を出して手のひらにほたるを乗せてみた。静かな動きの、たしかに小さなほたるだ。おっかなびっくり、
つまんで手のひらに乗せるが、この大きさでは指先でつまむのがやっとだ。灯かりも日本のほたるのようにダイナミ
ックではない。からだの大きさに相応しいほどの小さな光である。
ガイドブックの解説には雄も雌も3秒に1度光ると書いてあったが、ジャキは1秒に3回が雄、3秒に1回が雌と
言った。私にはその区別がつかなかった。一面の光の中ではどうでも良い事だった。
ほたるの数は減ったのだそうである。
10年も前にはこんもりとしたブレンバンの繁みは光の塊そのものと輝き、それを彼方からも眺められる程だった
という。原因はここも、多聞に漏れず水の汚染であるとのことである。川の水は生活廃水で濁ってしまったのだ。環
境汚染はここにも表れてしまった。
舟はしばらくのあいだ流れのある川を逆に上り、適当なところで反転して下った。行き交う他の船の、ほたるへの
歓声が聞こえてくるほかは、船頭の使う竿が川面に当たる音のみであった。ほたるの群れの幻想の世界に浸る一時の
訪れ、をみんなで堪能していた。“ほたると共に過ごしている一時だなー”と思った。
聞けばジャキの妹とその子供達は二回目だという。
今宵はほたるに戯れているが、この子等はこの椰子の森の国で毎日どんな動物と戯れて遊ぶのだろう、と興味が湧く。
ブフンダの丘のサルとも無邪気に遊んでいた。
文化の優劣はさておいて自然の中で過ごせる仕合わせを享受していって欲しい。
“すくすくと、のびのびと育って行ってくれよ!”と見つめれば、下の男の子は母親の腕に身を寄せて恥ずかしそ
うにするのだった。
私達が舟を降りてもつぎからつぎと舟は出ていった。
万燈の幻想を胸にしまってゴランコール川を後にした。
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