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風次郎のColumn『東京楽歩』 (No699T−178)
風変わりな月窓寺山門
先般訪ねた善福寺の名称に拘りを持つ必要はないのであるが、その名残が心のどこ
かにあったのか、隣の吉祥寺に関しても確かめたいと思い、暮の街歩きに吉祥寺で電
車を降りた。
☆
吉祥寺通り
中央線沿線では昨今人気の街であり、駅前の商店街はコロナ禍とは言え、暮の買い
物客で賑わっていた。昼の時間を少し過ぎた頃で、私は喫茶店で一服した後、古くか
らの寺町であるというこの街の四つの寺を訪ねた。
安養寺・光専寺・蓮乗寺・月窓寺である。四つの寺は総称して「四軒寺」と呼ばれ
ているとのことである。
駅からアーケードの通りを西側に進み、南から北へ延びるデパートのある少し広い
通りが「吉祥寺通り」と呼ばれている通りである。
まだ街中あたりに「四軒寺」と名付けられた交差点があって、寺町はこの界隈に広
がる。だが、「吉祥寺」という名前のお寺は武蔵野市には存在しないのであった。
◆武蔵野八幡宮
交差点からさらに北へ向かう吉祥寺通りの脇は、「武蔵野八幡宮」の境内であった。
吉祥寺の氏神様として寛文元年(1661年)に創建された由緒ある八幡宮で知られ、三
島・出雲・大島・厳島・稲荷・須賀・疱瘡の7社が祀られており、勝利祈願、家内安
全、厄除け祈願の他、弓矢の神様である応神天皇をお祀りしているという。広大な境
内には欅や楠などの大木が立ち、道路からは緑の濃い森の景観である。
◆月窓寺(げっそうじ)
さて「四軒寺」のうち月窓寺(げっそうじ)は、吉祥寺駅北口から北に伸びるサン
ロード商店街に山門が接していて、なかにはこの月窓寺を「吉祥寺」と勘違いしてい
る人もあるとか。受付を吉祥閣と名乗り、本堂、墓所で構成されている。
昨今の話題には、コロナ禍で吉祥寺駅周辺の大地主である月窓寺を含む3寺がこの
辺りの地代を20%減額した由である。新型コロナウイルスで、外出自粛のムードが続
き、吉祥寺の有名店でもある芙蓉亭、葡萄屋、ボンジュール・ボンなど多くの店舗が
閉店したことに鑑みて、値下げは戦後初のことだそうである。お寺さんが地主とは、
流石、吉祥寺か――?。
月窓寺は万治2年(1659)開山。曹洞宗。吉祥寺の開村とともに開かれた。
本堂左脇にある観音堂に安置されている白衣観音坐像は、武蔵野市内最古の銘(元
禄二年)を持ち、近世作例としては珍しい乾漆づくりである。
広場は地域住民の大切な交流の場であるともされ、夏になると盆踊りが開催される。
月窓寺が主催する様々な催しは、地域住民に関わらず誰でも参加することができ、
正月には、羽子板・けん玉・コマなどの遊びが催うされるとのことである。
◆安養寺(あんようじ)
岸光山吉祥院安養寺は寛永元年(1624)開山。真言宗。名物の梵鐘(市有形文化財)
は、江戸時代の作で、龍頭の二本の角がその特色を示している。梵鐘の表面には多く
の刻銘があり、武蔵野地域の鋳物師の存在を知る資料としても貴重なものとの由。大
晦日には除夜の鐘をつく人で賑わう。
門前には庚申供養塔や六地蔵がある。
真言宗豊山派に属する密教寺で、本尊は不動明王、総本山は奈良県桜井市にある長
谷寺である。口伝によると、開基は元小田原城主北条氏の四十八将の一人であった布
施三河守弾正左右衛門康貞の末裔で布施弾正といい、入道して深忍法印と号したと伝
えられている。当時、武蔵国牟礼野といわれたこの地で提灯測量を行ない、わずかな
高低を見定めて最も高い場所を中心と定め、そこに不動明王を安置して庵を構えたと
されており、現在でも同じ位置に本尊不動明王を祀っている。
安養寺は「多摩新四国八十八ヶ所札所第一番」の霊場で、毎年春から夏にかけて大
勢の巡礼者が訪ねる。
◆光専寺(こうせんじ)
浄土宗。享保の頃、この地に疫病が流行した際、住職が子供たちの供養と延命を祈
願して、箪笥を改造した厨子に納めて巡礼したと伝えられている。「箪笥地蔵」の像
がある。
◆蓮乗寺(れんじょうじ)
日蓮宗。この寺の本堂正面に安置されている日蓮上人の像は木製の坐像で、右手に
「しゃく」左手に「経文」の巻物をもっている。
「厄除日蓮」とよばれ厄年男女の守り本尊として慕われている。
☆
吉祥寺に「吉祥寺」なし、を確かめると、日頃のウォーキングを兼ねて「吉祥寺通
り」を北上し西武新宿線の武蔵関駅を目指すことにした。武蔵関駅の近くにも寺社巡
りしてもよさそうな処がある。
途中は少しの商店があっただけで、住宅街の中のバス通りである。
30分ほどで西武線に到達したので駅の南口側に位置する「天祖若宮八幡宮」と北
側の「本立寺」を訪ねた。
◆天祖若宮八幡宮
変わった名前の付いた八幡さまだと思ったが、案の定。奈良時代、関塞守護神とし
て奉斎され、慶長年間に村民の氏神となった「若宮八幡」と、村の鎮守として番神さ
まと呼ばれていた「天祖神社」が合わされ、昭和四十九年に「天祖天祖若宮八幡宮」
となったとのことである。御祭神は、天祖神社は大日霎女貴尊、狭依姫命、倉稲魂命。
若宮八幡宮は誉田別尊、仁徳天皇である。
境内には、御嶽神社、稲荷神社、厳島神社の小さな社があった。これは更に遡る明
治41年に溜淵の厳島神社を、大正2年に竹下の厳島神社を合祀した名残であるとの
ことである。大いなる神々の雑居社殿である。
にもかかわらず、元旦の初詣以外は閑散としているとのことで、長い参道の境内は
静まり返っていた。
◆日蓮宗法燿山本立寺
記録によると開祖は日誉上人、開基は井口忠兵衛とされているという。
日誉上人は慶安2年(1649)寂、井口忠兵衛は寛永16年(1639)関村検地の名主を
勤めていた人であった。
本尊は特に、「旭日日蓮大菩薩」と尊称され、出世開運のお祖師様として多くの人
々の崇敬をあつめているとのこと。墓地には開基以来関村名主を勤めた井口氏累代の
墓があるという。
毎年12月 9日にお会式が行われ、10日にかけて門前に暮の市が立つが、この市は昔
は農具や呉服、古着などを売る店が多く、「関のぼろ市」(練馬区登録無形民俗文化
財)と呼ばれて近郷近在の人々から親しまれてきた由来がある。
今も時代の移り変わりの中に昔の面影を残しながら暮の行事として賑わうとのことだ。
☆
吉祥寺にしろ、武蔵関にしろ近世の社寺崇敬に対する牧歌を思い浮かべさせられる。
この辺りは、武蔵野の自然に寛ぐ民の名残を残すところにのようだ。
――駅の窓から冬の午後の陽が街並みにつくる長く伸びる影を眺めながら、年の暮
れの思いを重ねて、しばしの寺社巡りを終えた。
風次郎
本立寺の山門
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