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風次郎のColumn『東京楽歩』 (No656T−166)
                                                                                                 

             国分寺史跡樂歩(9)

  
国分寺史跡 状況

  
北東部 溝跡

                             (概要 大半の資料は現地展示、資料館より収集させていただきました)                    

                   史跡周辺

                   1、僧寺北東地域
                   史跡は僧寺、尼寺、が順次整えられつつある。年ごとに充実していくのが楽しみだ。
                   さらに、僧寺北東地域が、平成14年度に史跡に追加指定された。国分寺崖線上に
                  位置し、崖線下には真姿の池湧水群がある。平成18年度と19年度に保存整備工事
                  が実施され、平成20年4月に国分寺市立歴史公園、史跡武蔵国分寺跡(僧寺北東地域)
                  として開園した。
                   公園内の北側には、僧寺伽藍地の北限を区画する溝が存在する。溝の位置と規模
                  が平面的に現地に表示され、その一角に地下の溝遺構の断面を観察できる。
                   この場所から北東にあたる寺院地区の外側において、8世紀後半〜9世紀初頭の
                  竪穴式住居跡が発見され、僧寺の創建に関連する集落が存在していたと考えられて
                  いる。また、広く北辺溝の周辺から10世紀後半〜11世紀初頭の竪穴住居跡が多
                  数発見された。この時期には集落が寺院地の内側までおおきく進出して、区画溝は
                  埋没し区画の意義も失われて、国分寺の権威が衰退に向かっていたことがわかると
                  されている。

                   2、現武蔵国分寺境内と「万葉植物園」
                   かつて武蔵国に置かれた国分寺は現在、国の史跡に指定されていますが、その国
                  分寺の後継寺院が現在の真言宗豊山派寺院の国分寺であり、医王山最勝院と号して
                  いる。
                    「分倍河原の戦い」で焼失した旧武蔵国分寺は、新田義貞の寄進により薬師堂が
                  再建されたと伝わっており、江戸時代には寺領9石8斗の御朱印状を拝領していたと
                  いわれる。享保18年(1733年)には本堂も再建されており、現在の本堂は昭和62年
                  に改築されたものとのことである。
                   本堂の門前にある楼門は、前沢村(現東久留米市内)の米津寺の楼門を明治28年
                  に移築したもので、市の重要有形文化財になっています。また、境内の仁王門も同
                  じく市重要有形文化財に指定されており、使用している木材の一部は建武2年(133
                  5年)に新田義貞が再興した薬師堂の古材と伝えられている。
                   現武蔵国分寺の境内にある万葉植物園は、昭和25年から38年にかけて、当時の国
                  分寺住職だった星野亮勝氏が、万葉集に詠まれた約160種の植物を収集したもので、
                  境内全域に万葉関連の植物が約160種、その他に各植物約700種が植えられており、
                  園は国分寺市の天然記念物に指定されてる。

                   2、「お鷹の道」と「真姿の池湧水群」 
                   国分寺駅から史跡に向かって歩き、坂道(罫線)を下りた場所に、緑に囲まれた
                  清流沿いの小径があり、遊歩道として整備されている。約350メートルのこの道
                  は通称「お鷹の道」と呼ばれ、名所として親しまれている。
                   名前の由来は江戸時代に遡る。当時国分寺の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定さ
                  れていたことから、崖線下の湧水が集まる清流沿いのこの小径を「お鷹の道」と呼
                  ぶようになったとのことである。
                   遊歩道をしばらく歩くと「真姿の池」と呼ばれる池がある。この池の由来は嘉祥
                  元年( 848年)、難病に苦しむ絶世の美女・玉造小町が病気平癒のため武蔵国分寺
                  を訪れたところ「池で身を清めよ」との霊示を受け、その通りにすると、元の美し
                  い姿に戻ったという伝説からきている由、現在、この池には弁財天が祀られている。
                   国分寺崖線下には、湧水点がいくつも見られるが、真姿の池をはじめとする湧水
                  群は、「お鷹の道」と合わせて環境省選定名水百選のひとつに選ばれています。か
                  つては飲用水としても利用されていた。
                   また、この遊歩道は春から初夏にかけて沿道に見られる「カラー」の花や秋の紅
                  葉など、四季折々の散策路としても人気があります。また、周辺にはケヤキ、スギ
                  などが多く見られ、国分寺崖線の雑木林景観がよく残されています。

                   3.都立武蔵国分寺公園と国分寺史跡
                   公園は、国分寺罫線上部の高台、通称多喜窪通りを挟んで南北2つの広場からな
                  り、歩道橋でつながっている。
                   北側は旧鉄道学校の跡地の人工的な公園であり、南側は武蔵野の自然を感じられ
                  る公園である。南端の崖線を下りていくと湧水群、武蔵国分寺跡へと連なっている。
                   北側、"旧鉄道学園跡地の広大な公園"は1987年、国鉄が分割民営化される際に、
                  国鉄の債務を返済する目的で閉鎖された中央鉄道学園の跡地を住宅と公園として整
                  備された。公園内は一周 500メ−トルの円形芝生広場を中心に、旧鉄道学園時代か
                  らのサクラ・ケヤキ・イチョウなどの巨木や滝、池、噴水が配置されている。池周
                  辺の藤棚やノウゼンカズラの棚は花の季節人気を集める。また、春にはソメイヨシ
                  ノをはじめとした約100本の桜の木を楽しむことができる。
                   先に記したように、公園の西側泉地区には中央鉄道学園跡地の敷地を整備した際
                  に発掘された、東山道武蔵路が整備され残されている。

                                                                       風次郎

      
     真姿の池

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