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風次郎のColumn『東京楽歩』 (No643T−158)


いにしえの風情「鎌倉街道」尼寺北
                                                                                                                                                                            

          東京楽歩(No158)国分寺史跡樂歩(2)  

                           鎌倉街道

                           都へ通じる東山道武蔵路沿いの広大な平地と東西に連なる国分寺崖線の麓、豊かな湧水をもつ
                          地として好所に建立された武蔵国分寺であるが、この辺りは時代が下って鎌倉時代に至っても鎌
                          倉街道と称される交通の要衝であった。
                           鎌倉街道とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網で、鎌倉幕府の御家人が有事
                          の際に「いざ鎌倉」と鎌倉へ馳せ参じた道である。ただ、各地から鎌倉を結ぶ街道は関東地方に
                          限らず、ほとんどが鎌倉街道と呼ばれたという。
                           当時の街道は古代の官道や地方道を繋いだり、不足部分は幕府自体が建設したりして造られた
                          と言われるから、当然この辺りは東山道の名残を受け継いだまま活用されたのであろう。
                           江戸時代に五街道を始め街道が整備されると、その役割を終えたが、中世から江戸期にかけて
                          政治的、文化的に果たした役割は大きい。枝道などは数多くあるようだが、主要な道としては下
                          記の3本と言われる。

                           上道(うわみち)・ 鎌倉から化粧坂を越え、武蔵西部を経て高崎に至り、信濃、越後へ抜ける古                                           道。
                           中道(なかみち)・鎌倉から巨福呂坂を通り、武蔵国東部を経て下野国から奥州へ至る道。
                           下道(しもみち)・鎌倉から朝夷奈切通を越え、武蔵国東側の東京湾沿いを北上して常陸へ抜け
                                      る道。

                           その上道。武蔵国分寺に纏わる鎌倉街道は、府中を抜けて現在の府中街道を北上し、丁度国分
                          尼寺跡を通って先に通じる。現在国分尼寺跡のある黒鐘公園の先には切り通しの道があり、鎌倉
                          街道の古道の姿を今に残しているのを見ることができる。
                           その古道の坂を上り切った国分寺市和泉町には、前号で書いた東山道の保存遺跡があり、その
                          辺りに立つと当時の”つわものどもの夢の跡”を偲ぶことができるというものだ。
                           鎌倉街道が活用された時代、武蔵国分寺が、あるいはこの国の多くの地に遺されていた国分寺
                          がどのように受け継がれていたかは定かでない。いま残されている史跡からたどりゆく以外の道は
                          ない。

                           現在の国分寺本堂と薬師堂

                           桜門
                           先ず門前に立つ、それは、前沢村(現東久留米市内)の米津寺(米津出羽守田盛の菩提寺とし
                          て創建された寺)の楼門を明治28年に移築したものである由、三間一戸の楼門で、2階には十六
                          羅漢像(現在13体)を安置しているという。板金葺の屋根で、江戸時代の建築様式をよくとど
                          めた、風格ある建物である。

                           本堂
                           『医王山国分寺縁起』によれば、聖武天皇による鎮護国家を祈念して建立された武蔵国分寺は
                          鎌倉時代末に「分倍河原の戦い」で焼失したという。その後建武2年(1335年)、新田義貞の寄進
                          により、その本堂跡に薬師堂が再建されたといわれている。遺跡跡には広大な金堂跡があるが、
                          なぜそこにその時代本堂が存在(移転)したかは定かではない。
                           現在の本堂は、広い遺跡地域から罫線に向かい階段を上って旧本堂のあった薬師堂から少し東
                          に寄った罫線下に当たる場所にある。
                           江戸時代に入ると徳川幕府は、由緒ある寺社に領地を与えて保護したので、武蔵国国分寺の後
                          継寺院として国分寺の薬師堂も三代将軍家光から慶安元年(1648)に9石8斗9升8合の寄進を受け、
                          朱印状を下付けされたのであった。
                           以後、十四代家茂までの朱印状が残っており、享保18年(1733)には本堂も再建されたのであ
                          った。
                           なお、現在の本堂は昭和62年に改築された建物であり、正式名「医王山最勝院国分寺」真言宗
                          豊山派の寺である。本尊を薬師如来(木造薬師如来坐像ー重要文化財ー)とし、本堂前の桜門と
                          薬師堂および石段には仁王門を構える境内を構成している。
                           境内には「万葉植物園」として、元国分寺住職が昭和25年−38年(1950−1963年)の間に万葉
                          集に歌われた植物160種を集めて造った植物園がある。この植物園は市の天然記念物に指定さ
                          れている。
 
                            仁王門と薬師堂

                           史跡国分寺境内、宝暦年間(1751年から1764年)に建造された八脚門(仁王門)の前に立つ。
                           門に使用している木材の一部は、新田義貞が再興した国分寺薬師堂の古材を使用していると伝
                          えられ、「新編武蔵風土記稿」にもその説が紹介されている。
                           門の左右には、作者不明であるが、享保3年(1718)に作られた阿(向かって右、口を開いて
                          いる)吽(向かって左、口を閉じている)の仁王像が安置されている。国分寺罫線と言われる斜
                          面に位置し、長い石段を擁するのであるが、そこに建つ入母屋造の八脚門(仁王門)も宝暦年間
                          に建てられたものである。
                           薬師堂は、建武2年(1335年)に新田義貞が旧国分寺の金堂跡に建てたとされる。現在の建物
                          は宝暦年間(1751年ー1763年)の再建。安置する薬師如来坐像は前出の通り国の重要文化財であ
                          る。

                           これら薬師堂・仁王門・楼門は、市の文化財にも指定されている。

                                                                               風次郎      

  
現在の国分寺本堂と桜門

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