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風次郎のColumn『東京楽歩』 (No639T−157)


展示されている地中の「東山道」
                                                                                                                                                                            

          東京楽歩(No157)国分寺史跡樂歩(1)

                              この地に馴染んで三十数年を数える。
                              もとよりこの地の由来は歴史的に国分寺にまつわるものであろう。自宅から散歩に出る範囲内
                             に武蔵国分寺史跡もあり、折に触れて歩き回るのであるが、振り返るとその状態にはかなりの変
                             化もあった。市が施設保存に力を入れている外、保存協力する篤志団体の尽力もあり、国史跡と
                             しても着々と整いつつあるように思う。
                              このところ、外出が歩行圏内にとどまる環境もあって、改めて資料館などを訪れつつ、散策記
                             に臨む気になった。

                              国分寺は、天平13年( 741)、聖武天皇が鎮護国家を祈念して、諸国に国分寺〔僧寺(金光
                             明四天王護国之寺)と尼寺(法華滅罪之寺)〕を建立するように命じたことにより、武蔵国では
                             国府(現府中市)に近く、都へ通じる東山道武蔵路沿いの広大な平地と東西に連なる国分寺崖線
                             の麓、豊かな湧水をもつ現在の西元町一帯が好所として選ばれ建立された。
                              武蔵国国分寺は、国府とともに政治・文化の中心として栄えたが、鎌倉時代末、元弘3年(13
                             33年)の分倍河原の戦いで焼失してしまった。
                              市は現在、殆んどを史跡公園としているが、武蔵国分寺跡と関連する遺跡は、東西1.5キロ
                             メトル、南北1キロメートルにおよび、諸国の国分寺跡と比べ規模が大きく、歴史的にも重要な
                             ことから大正11年に国史跡に指定されている。

                              東山道武蔵路

                              律令時代、中央集権国家となった大和朝廷が国の支配体制を全国に及ぼすため、大宝1 (701)
                             年全国に五畿七道を制定した。
                              五畿は畿内の5ヵ国、すなわち大和・山城・摂津・河内・和泉。畿内は大和朝廷の本拠として
                             大化改新以後特殊な扱いを受け、大宝律令施行後は租税も軽減された。(初め四畿内といったが、
                             757年に河内から和泉が分置され五畿内となった)
                              七道は畿内から放射状に伸びる東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の諸道。各国の国
                             府を連絡する道に駅家(うまや)を設け、駅馬・駅子を置き、公用の旅行・通信の便が図られてい
                             た。諸国はいずれかの道に帰属したため、七道は地方区画となっていた。
                              東山道武蔵路は上野国府(群馬県)、下野国府(栃木県)間から分岐し、武蔵国府を結ぶ道であっ
                             た。のちには陸奥、出羽の2国を加え、武蔵を東海道に移して8ヵ国を繋ぎ畿内と東国を結ぶ中
                             央幹線道となったが、中世以降は東海道がより整備され、の裏街道的存在となった。近世の中山
                             道にあたる。

                              この史跡道は、府中から現在の府中街道近くを北上する形で武蔵国分寺遺跡の間を通っている。
                              我が家から向かうには、立川から国分寺罫線に沿う都道「多喜窪通り」を多摩蘭坂を上って東
                             に進み、現府中街道と交差する和泉町交差点の先の少し先になる。JR中央線が武蔵野線と交差す
                             る西国分寺駅が近いこの辺り和泉町は、元日本国有鉄道の敷地で、鉄道研究所のあった処、日本
                             が世界に誇る新幹線列車もここで生まれた。今は東京都に管理され都立の自然公園として、また
                             都立図書館や統計資料施設のほかここ数年で居住区も増え、国分寺市の市役所も近く移転建設さ
                             れる予定である。

                              都に移管されたのち東山道史跡の発掘作業が行われ、国指定史跡「東山道武蔵路跡」として保
                             存されているので、道路巾約12m長さ約400mにわたり当時の道路を実感することが出来る。
                             また、JR中央線に近い先端部分は遺構が再生展示されており、掘り出された側溝の様子まで目
                             の当りにすることが出来る。
 

                                                                               風次郎      


保存されている12mメートルの街道跡・黄色い不規則な帯は発掘当時の
東側の側溝を平面再現したものです。(アスファルトの下に地中保存されている)

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