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風次郎のColumn『東京楽歩』
(No684H-055)
ゴッホ・青い花瓶の花
東京楽歩(No684) 私的花語り(No55)
花瓶の花(2)
花瓶の花の画を観るようになってから、私は画家が「花」に対する時の心を、彼らが素直
に見えるままを描こうと向かっているような気持ちを感ずるようになった。
つまり精神的にチャレンジではなく、時にもっぱら素直に描写することに心がけ、安らぎ
を求めつつ対する時間を得ようとしているのではないだろうか、といったことである。
私がゴッホの「青い花瓶の花」に出会ったのは、アートの友社のカタログであった。ゴッ
ホの「青い花瓶の花」はとても綺麗すぎてゴッホの作に見えず、これは作者の間違いではな
いかと思うほど衝撃を受けたのであった。カタログの画が小さかったこともあってか、ゴッ
ホの作を見違えてしまったのである。
ゴッホはヒマワリを何枚も描いたが、モチーフが花であっても、彼は自己の精神的な葛藤
の中で作品を作り上げることに集中しようと戦っていたようである。しかし「青い花瓶の花
」は違っている。きわめてありきたりの野辺の花を、初心者のような取り込み方をしている
ように見えるのである。故に背景を含んで見事に明るい。
画家が苦闘の時をもがきつつ過ごしてきたとの話はあまた聞くことであるが、そんな時で
も身近にある花を求めて花瓶に立て、ありきたりのテーブルに置いて写生することで気を静
めることはあったのではなかろうか――。それはどんな画家でも――。
アートの友社に依頼してその複製画を取り寄せてもらいよく見ると、そこにはさすがにゴ
ッホの筆のタッチが存在する。しかし、どうしても気分が明るすぎる印象である。
ゴッホがこの作品を描いたのは1886年ころと言われるから、まだ画壇に認められる前
であったであろう。
ニューヨークのメトロポリタン美術館には彼が病に見舞われた中で描いた「花瓶のバラ」
があったが、そこにもバラを取り上げたことの稀有さと同時にその印象は清楚が感じられる
のである。机上には散った花びらがあった。
私の部屋には前に買った、複製のゴーギャンの「花瓶の花」がある。いかにも豪華な南国
の花をバランスよく差し込んだ色彩豊かな花の画である。この画も豪華な花の反面、どこか
仰々しさを省いたテーブルの上に、こぼれ落ちた一輪を花瓶に寄せて描いてある素朴な印象
を伴う作品である。
ゴーギャンは、パリで彼が評価したゴッホからプロバンスに誘われ、二人で共同生活を過
ごす。しかし、ゴーギャンはゴッホの異常な精神状態に飽いて、幼い時代、母の実家があっ
たペルーから渡った懐かしい地、タヒチに渡って過ごすのであった。
「花瓶の花」は、その後フランスに戻ってタヒチの題材に取り組み没頭していた頃の作品
と言われる。やはり、没頭の時間から、心の安らぎを得るのには素直に花へ視線を向ける時
を得たのであろうか。
花に向かうのは、画家にとっても目前の緊張からくつろぎのひと時を得られるためのモチ
ーフであるのかも知れない。
風次郎
ゴーギャン・花瓶の花
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