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風次郎のColumn『東京楽歩』
(No681H-054)
ルノアール 花瓶の花(webから)
東京楽歩(No681) 私的花語り(No54)
花瓶の花(1)
画家のほとんどが「花」の絵を描いている。そして高名な画家が単に花瓶に飾った花を描
いた作品を見ると、私はどうしても眼がとまってしまうのである。
どんな花を描くか、どんな描き方をするか?
それは、観賞する者にとって大変興味のあるところだ。
花の画家と言われたルノアールは、そのナイーブな筆遣いでたくさんの色彩に富んだ花を
描いているし、心の葛藤を筆に託したゴッホはヒマワリに集中し、何枚ものヒマワリの画を
残している。それぞれに、画家は描写によって自分の思いや憧れを表現しようとするのであ
ろうが、根底にはいつもモチーフから伝わる素直な自分の感受性を著わそうとしているのだ
と思う。
そんな中で、画家が「花」に対する時の心を、私は彼らが素直に見えるままを描こうと向
かっているような気持ちを感ずるようになった機会があった。
それは花瓶の花の画を観るようになってからのことである。
歴代の大家(そのときの彼等は評価されないまま苦闘の時であった場合も多いが)は、お
そらく机の上の素朴な花瓶に立てられたありきたりの花を、気休めのごとく眼を注いで眺め、
そしてその刹那の心持で描いたのだろうと思うようになったのである。――花を描いていない
時も――。
だから、何気ないテーブルの上の何気ない花瓶に生けられた花たちの、こちらに向き合っ
ている様子は、とても自然だ。見えるままに描いている画家と会話をしているようでもある。
花は観たままに素直に書けばよい!言わば「ありきたりに」――。
ホッとしたひと時を得た画家は、花を美しいものと認めて描く。美しさを感じないままで
描き続ける画家はいないだろうと思う。だから、素直にそのまま感受性を筆に託して描けば
よいのだ。それは心の寛ぎの時でもあったのかもしれない。
概して机の上の花瓶の画がその証拠であるように思う。
風次郎
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