春の八ヶ岳
Music
by Music Cafe-Megumi Ichihara
(挿入曲 モーツアルト ソナタK331)
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風次郎の『善言・愛語』
――日々心の修養の為に――
Tokyo Joylife No728(A080)
「より良く人生を生きたい」
これは誰もが望むことだと思う。
しかし、これを実現することはなかなか難しい。そう思いつつ日々を過ごすことが人生そのも
ののようにも思う。
だから心の修養を心掛けるということなのだろう――。
風次郎も凡人として、生き方を事につけ思い巡らしている。
そんな日々の中で留めたい珠玉の言葉を見つけたり、注目して記してみたいと思う。
どうか読者の方々も賛同いただけたなら、生き方の中へ加味していただきたい。
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2023年4月2日
80 「知行合一」
風次郎
yahfuujiro3@yahoo.co.jp
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お茶の水駅から神田川の向こう側を眺めると、「日本の学校教育発祥の地」と言われ
る「湯島聖堂」の緑が見える。
そこは、徳川5代将軍綱吉によって、儒学を確立した孔子廟が建てられ、後に幕府直
轄の学問所となったのであった。
孔子の「論語」を天与の書として座右に置く人は多い。
我が国文化の大半は大陸の隣国から伝わったのは当然であるが、社会秩序や人格に対
する基準が儒学(儒教)にあることに気付く。その基準に昨今は時々変容を感ずるよう
に思う。
時は流れているのである。
その儒学は南宋の朱熹により朱子学を派生し、これは聖人の学、或いは大義名分を重
んじる先知後行の説を唱える学として幕府に重用されたのであった。
この客観主義的な朱子学に対して、王陽明が「知行合一」の「陽明学」を樹立したの
であった。
「陽明学」が唱えた説は、道徳的実践や体験による知識の確認を重んじたもの。言わ
ば、知識と行為は一体であるということ、本当の知は実践を伴わなければならないと説
いたのである。
知ることと実行することとは本来二つには分けられない。王陽明は、朱子学が真理の
認識や道徳的是非の判断(知)を先にしてその実践(行)を後にする知先行後論に傾き
がちであったことや、明(みん)代の俗学が実践を伴わない空論に流れたことを批判して、
「知行合一」を主張したのであった。
知っているだけで実行しないのはまだ本当の知とはいえない、実践重視・体験重視が
本筋である。とし、実践のうえで知と行とが一致することを要請するの立場(事上磨錬
(じじょうまれん))をとっている。
また王陽明のいう「行」の概念は幅が広く、人間の心の働き、たとえば好悪の情や心
に兆す意欲・思念なども「行」に含まれる。「行」は当然、道徳的規範に合致していな
ければならず、そこでは行動として外に表れた不善だけでなく、心内の思念の不善をも
克服する厳しさが求められる。王陽明はこれこそ「良知」である、としている。
言わば知(知識)と行(行為・実践)は相表裏するものであって、分けることはでき
ないということであろう。
これは「致良知」と並ぶ陽明学の指導理念とされ、朱子学の主知主義(知性的なもの
を重んじる立場)を批判し、実行の伴わない知識を批判する。この実践主義のゆえに、
陽明学は幕府からは危険思想視されたとも言われたのであったが――。
時の流れはあっても、「知行合一」「良知」で世を渡りたいこと常々である。
風次郎
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