蝋梅 花言葉「ゆかしさ、慈しみ」
                                                                  

                                                                   Music by Music Cafe-Megumi Ichihara
                                                                    (挿入曲 モーツアルト ソナタK331)

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風次郎の『善言・愛語』
――日々心の修養の為に――
Tokyo Joylife No726(A078)
 

                               「より良く人生を生きたい」
                              これは誰もが望むことだと思う。
                               しかし、これを実現することはなかなか難しい。そう思いつつ日々を過ごすことが人生そのも
                              ののようにも思う。
                               だから心の修養を心掛けるということなのだろう――。
                             
                               風次郎も凡人として、生き方を事につけ思い巡らしている。
                               そんな日々の中で留めたい珠玉の言葉を見つけたり、注目して記してみたいと思う。
                               どうか読者の方々も賛同いただけたなら、生き方の中へ加味していただきたい。

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                                                     2023年2月4日
  78 「おのれを見よ」
                                                    風次郎
                                                  yahfuujiro3@yahoo.co.jp
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                             昨年、私は師と仰いだ先達を二人失くした。
                             私自身も80歳の節目を暮らす日々、そんな夏、二つの知らせは続けて入り、当に意
                            気消沈の因(おこり)であった。
                             折しも、コロナ禍の毎日、人と会うのを控え、マスク着用など接するも控える社会情
                            勢は、何とも遣る瀬無い時の流れそのものである。

                             さて、その不幸の知らせをどう受け止めるべきかと―――。 
                             夏が去り秋が来て、秋が過ぎ冬を迎え、人々の古くからの言い伝えなどに縋りつつ、
                            自分自身を見つめなおそうとする日々の中、やっと出会った言葉が「おのれを見よ」で
                            ある。
                             もはや、齢80もいただけば、先達を失ったとしても、ただ悲嘆に暮れるばかりでは、
                            はしたないではないか。――おのれを見よ――、そこには、たとえ至らずとも、諫言得
                            られずとも、反省の機会を得て一歩を進めるべし。との囁きを耳にした感、が漂うので
                            あった。
                             おのれの中に師を伺えば、たとえ難局に在っても自ずから身の立つ道も開けると言う
                            ことかと――。それが、齢80かと―――。

                             趣は少し異なるが、かつて学んだ中に蘇る言葉があった。
                             宗名臣の一人、范純仁(はんじゅんじん)が子弟に与えた訓戒。
                             「おまえたちは、人をとがめるときの目をもっておのれの行いを見て定め、おのれに
                            寛容な目をもって人の行いをゆるすがよい。つねづねこれを心がけておれば、多少なり
                            とも聖賢の域に近づけぬものでもない」と。

                             思えば我が半生も、常に他に注目し、目途を探し、頼り、縋り、比べ、悲嘆や安堵の
                            中に在ったような気がする。
                             今思うに、それでは人生全う出来ない、ということであろう。自戒自重しかない、と
                            いうことかと思う。

                                                                         風次郎


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