南天寮の庭に咲いたクロッカス
Music
by Music Cafe-Megumi Ichihara
(挿入曲 モーツアルト ソナタK331)
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風次郎の『善言・愛語』
――日々心の修養の為に――
Tokyo Joylife No671(A057)
「より良く人生を生きたい」
これは誰もが望むことだと思う。
しかし、これを実現することはなかなか難しい。そう思いつつ日々を過ごすことが人生そのも
ののようにも思う。
だから心の修養を心掛けるということなのだろう――。
風次郎も凡人として、生き方を事につけ思い巡らしている。
そんな日々の中で留めたい珠玉の言葉を見つけたり、注目して記してみたいと思う。
どうか読者の方々も賛同いただけたなら、生き方の中へ加味していただきたい。
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2021年4月11日
57.「日日是好日」
風次郎
yahfuujiro3@yahoo.co.jp
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あまり深くは考えることなく、朝起きるとき「今日は良い日にしよう」と気を引き締める
のに使う言葉のつもりでいた。
この時節、コロナ禍でどうも毎日が繰り返し鬱陶しい世の中であれば、「日日是好日」と
はいかないか――と語源を調べてみると――、
表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味であり、そこから、毎日が良
い日となるよう努めるべきだと述べている解釈が普通で、さらに進んで、そもそも日々につ
いて良し悪しを考え一喜一憂することよりも「常に今この時が大切なのだ、あるいは、ある
がままを良しとして受け入れるのだ」とする解釈がなされていた。
小生としてはほっとした次第である。
しかし、さらに深堀してみると、これは「禅語」のひとつであるとのことであった。
中国唐末の時代、『雲門広録』或いは、禅宗の問答集『碧巌録』によれば、禅師雲門文偃
(ぶんえん)が、弟子たちに向かって「十五日以前は、汝に問わず。十五日以後、一句を言
いもち来たれ。自ら代わって言わく。日日是好日。」との問答だという。
――『碧巌録』第六則からの出典 「挙。雲門垂語云。十五日已前不問汝、十五日已後道将
一句来。自代云。日日是好日。」――
* 雲門禅師が弟子たちに問いかけた。「これまでのことはたずねないが、今後十五
日以後どうすべきか答えなさい。」と弟子たちにたずねましたが、誰も答えを言ってこない
ので雲門禅師が自らこう言いました。「日日是好日」と。
〇
今後十五日以後のことを聞いていながら、雲門禅師の答えは「日日是好日」を与えた。
これは、その日その日がどんな日であれ、その瞬間しか訪れない日である。だからこそ全
力で悔いなく生きていけば、どんな日でも好日なんだよ。ということを五文字の「日日是好
日」という短い言葉に凝縮しているのだとの謂れである。
さらに、「毎日毎日が素晴らしい」という意味で、そこから、毎日が良い日となるよう努
めるべきだと述べているとする解釈や、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂する
ことが誤りであり、常に今この時を大切にし、あるいは、あるがままを良しとして受け入れ
ることだ、と述べているなどとする解釈もなされているようである。
世の中には、雨で困る人もいれば、雨で助かる人もいる。人間の考え方、人間の思い方と
いうのは、いつでも自分中心のことが多い。好い日とか悪い日とかいっても、それはどこま
でも、自分にとって都合の好い日であり 自分にとって都合の悪い日となってしまう。
つまり、すべて自分の都合(・・・・・)という〈物差し〉で測るのではなく、それとは全
く関係ないところで測ってみることも必要であろうとの示唆である。
自分にとって、どんなに都合の悪いことが起きても、そのことを、どう受け止めていくか、
それが一番大事なのではないのか。自分の都合、自分の〈そんとく〉勘定の物差しを離れて、
あるがままに受け止めていく、つまり、貴重な体験、貴重な反省の機会として受け止められ
たら、悪い日がそのままで、好い日に転換するのかも知れない。
病気をしたおかげで健康のありがたさが身にしみてわかるということがある。病気になっ
てからでは遅いのだが、病気の時は病気を、いのちいっぱいに生きることであろう。
病気の時を、健康の時と比べたならば、それは悪い日ということであるが、病気の時は、病
気と自分といっしょに生きることが自然なのだ。病気の時は病気になりきる、それが病気とい
う災難(なやみ)から解放される妙法だというわけです。それが日日是好日ということだと思う。
そして、おかしい時には腹の底から笑い、泣きたい時には手放しで泣く―そう言った生き
方が得られれば、「日日是好日」の生き方だと思う。
とまれ、「日日是好日」でありたい。
☆
「日日是好日」は、日本語の禅語としては「にちにちこれこうにち」と読むのが正しいと
も言われているし、「にちにちこれこうじつ」とする例もある。
日常的な表現としては「ひびこれこうじつ」と読み、その読みで作品名などになっている
例もある。同様に「ひびこれこうにち」、「ひびこれよきひ」とする例もあるようである。
風次郎
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