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風次郎の世界旅
 イタリア2007
(13)

music by KASEDA MUSIC LABO

   
    フィレンツエ・メディチ家の菩提寺サン・ロレンツオ教会

イタリア2007春(13)

フィレンツィエ―2―

           バスがフィレンツィエでは有力な中央駅(サンタ、マリア、ノヴェッラ)の真ん前にビルを構える「LAZZI EXPRESS社」のものだと
          いうことで随分と運行上の自由が利くらしい。市内の路線も一手に抱えているとのことどこにでも入っていくことが許されるらしい。
           ガイドによると、観光めぐりはどうしても駅周辺を通らざるを得ないようで大混雑に悩まされるのだそうだ。しかし、どこの国にも特
          権利権の類は横行しているようだ。最も今回の場合は、それにあやかる羽目になったことを喜んだのは言うまでもない。
           バスが駅に近づくにしたがって、8時過ぎのラッシュはピークを迎えてきた。中央駅前から渋滞の目抜き通りをやり過ごした後、
          フィレンツィエといえば有名なあのクーポラの脇を壁伝いに狭い道を抜け道して行ったのである。(進入禁止だそうである)
           川の辺に出て橋を渡り、私たちはミケランジェロの丘に登った。
           朝の光に照らされるフィレンツィエの街は、山に囲まれ広く広くつづいていた。何といっても目に入るのはドゥオーモのクーポラ、
          そしてアルノ川とベッキオ橋。すでに知り尽くしたと言わねばならないほどガイドブックや絵葉書で見た美しい風景を目の当たりに
          見入って時を過ごす。
           フィレンツエらしい赤い屋根の連なりも、バランスよく青空の下に続いていた。「フィレンツエ」別の呼び名をフローレンス(英語)、
          時にはイタリアの首都をも冠にし、中世イタリアが華々しくその最盛期を経るためのルネッサンス期に開花した都が美しく広がって
          いた。
           広場にはミケランジェロの傑作「ダビデの像」が高い台に乗って中央に立ち、街を見下ろしているが、それはアカデミア美術館に
          あるもののレプリカとのことである。しかし大理石の若く美しくひと糸纏わぬ裸像はレプリカではあっても、私には周囲の環境にも調
          和してここに最も美しく見えて立つと思われた。ダビデの像も美の象徴であれば、中世の美を象徴する都を見渡す丘に立つのが相
          応しいように思う。

           ウフィッツ美術館を見学したのはそこを下りてからである。(ウフィッツ美術館の項は別記)そしてアルノ川沿いのウフィッツから街
          の中を歩いてクーポラのあるドゥオーモへ向かった。
           ドゥオーモへ行くには途中『シニョーラ広場』を通る。
           私はそこにひとつの歴史上の重要なメモリあるがあることを記憶に留めていたので、この機会にぜひ確かめたいと思っていた。
           それは広場に記された「サボナローラ」処刑のあとである。
           15世紀の半ばローマ教皇は地中海全域に権威を広げていたが、フィレンツエに在ったサボナローラが禁欲的で質素な生活をす
          ることを掲げてローマの教皇にさえ舌鋒を挑んだのである。
           ルネサンスはフィレンツエに端を発した。その最も起源とするのはキリスト教政権に傲慢独裁色が見え始めたこと、つまり指導層
          の堕落である。
           サボナローラはそれを糾すに新しい神聖を説くとしてフィレンツエを舞台に力量を発揮するのであるが、結局は宗教を軸に民衆を
          味方にすることでしか対抗できなかった。一度は民衆を背後にしたものの、最後には「神聖なる信者は火にも耐える」との教示をこ
          の広場で実践して示さざるを得なくなり、不可能な神事を実践できぬことで思惑とは逆の結果を招いてしまった。つまり結局は時の
          権力に屈したのであった。歴史上稀有の相手はローマ教皇であった。
           私はあたかもマンホールの蓋のように地面に記されたその記録を、覗き込んで見届けた。そこが彼の没後500年を過ぎ、彼の改
          革を再評価しようとの機運にあるサボナローラの市民による処刑の場を示すプレートであった。
           私が写真を撮ろうとそこに近寄ったときも、おそらく何の記録であろうとも忘れ去られているのであろう、観光客の群れはその上に
          まで及んでいる。
           当然のことながら、サボナローラへの感傷は私の特異なものなのかもしれないと思いつつ、いつの世も権力に異なる意を民に示す
          ことの難しさは変わらず、人の心はいずれの方向にも荒ぶものであることも変わらないことを思った。

           私はグループを追ってドォオモへ行った。
           ドウォモのクーポラを見ずにフィレンツエは語れない。あまりに大きなクーポラは美しく有名であるから。その正面の広場には洗礼
          堂があり2つの建物の間は人で埋まっていた。他人に習ってドオォモを見上げ、外壁を含む概観を眺めた。ゴチック調の外壁、特徴
          ある線をつけたデザインではあるが、近寄って大きな建物を眺めるのはとかく小さな手で像を撫で回すごとく美観や親しみがわかない。
           美しいものはやはり少しはなれて見るのがよいのだろうと思う。デザインや館内の優れた作品、そして洗礼堂の扉に彫られたミケラ
          ンジェロが「天国の扉」と賞賛したとのイエスの生涯図も折角の機会と思って見つめた。でもやはり見事なクーポラのあるドゥオモはフ
          ィレンツイエのクーポラとして、街の中に美しく輝くミケランジェロの丘から見るのがよかったと思う。ブレネッレスキによる功績という史
          実よりもフィレンツィエの美しさとしての印象が大事な気がした。

           洗礼堂から離れて、広場で自由散策を過ごすことになったので、もう一度ドゥオモを見上げてから安江さん夫妻とサン、ロレッツオ教
          会へ行って見た。メディチ家の礼拝堂を伴う菩提寺とのことであったが、簡素な石積みのファサードは何か宝物館を思わせるほど地
          味でメディチ家のイメージにマッチしない感じがした。反面強い陽射しに石畳に映る影がクッキリと単調な図で、教会の雰囲気として
          はこの方がしっくり行くように思ったのは、私の心の中で身の置き所が低いのだろかと思ったりした。
           四人で歩きながら、屋台店で夫人たちの見繕うスカーフだとか腕に巻く装飾品などを冷やかしつつ、品定めしていると店主たちは親
          しげに日本語を使って商売用語を並べて話かけてきたりした。イタリア的ユーモラスなやり取りで愉しかった。レストランテが道路脇に
          並べたテラス風の客席に陣取れば道行く人もつぶさに眺められ、一杯のコーヒーでも楽しかろうと思ったが、女性たちの買い物にチョ
          コチョコと口を挟んでいるうちに、与えられたフリータイムを使い切ってしまった。
           再び皆で一緒になって共和国広場を通り、アルノ川に掛かるヴェッキオ橋の向こう側にある昼食のレストランテへ行くことになった。
           団体で行列を組むのは日本人特有のようなことを言われた時代があったように思う。しかし、今のこの街では背の高い米国人らし
          い人々も、中国や韓国の人も、おそらく近くの欧州のいろいろな国から訪れている人達と一緒になって団体で行列のように歩いてい
          る風景が多い。
           これもグローバルスタンダードという事だろう。
 
           ベッキオ橋の人混みも物凄かった。毎日毎日このすごい人数を乗せて支えて橋もよく持ちこたえているな、と言いたいくらいのものだ。
           川を越えるための施設だけでなく、有力ショッピングスポットなのだから混雑はたまらない。中央の屋根つき売店は結構なデザインの
          施しもあり、こんなところまでブランドショップが観光客にモテモテの盛況である。橋から見る川面の悠然とした流れと裏腹に炎天下の
          喧騒といいたい図であった。
           LA SAGRESTIAというレストランテでビストロの昼食を食べた。
           しっかり遊んだ後だったから肉は美味しかった。少し暑い日だったから、イタリア産のビールも美味かった。 午後はピサまでバスの
          中だし「道中寝ていてもいいか」と軽い気持ちで口に運んだ。
 


サボナローラ処刑のメモリ

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