☆☆☆

風次郎の世界旅
 イタリア2007
(10)

music by KASEDA MUSIC LABO

   
    スキアヴォーニ河岸

イタリア2007春(10)

ヴェネチア―3―

           朝の散歩はそれなりに楽しかった。迷路のようで有名な街の話は良く耳にして探訪心の強い私には適度な刺激であったし、
          運河の入り組んだ路々に現れる橋を小高く登って越えつつ眺める建物の並びも灯かりの中で古い都への郷愁をそそる風景
          に浸って歩いた。
           ポンペキアッティホテルは、個人ユースのゴンドラが溜まっているオルセロ運河沿いにあるもっとも古いホテルのひとつである。
           運河を背にして外来向けのレストランがあり、その先にある橋から玄関が眺められる。ヴェネチアのホテルは何処も入り口
          が簡素で、少し大きな邸宅に設けられた玄関のようだ。
           古い建物が多いから、もともと発展を極めた時代にこの街を訪れた商家がつかったり、統治や宗教に係わって旅する富豪
          が使ったのであろう。
           狭いエントランスの奥が宿泊者用のダイニングになっていた。私達は3階の丁度玄関の真上に当たるツインルームをあてが
          われたのであるが、レイアウトが少しクラシック(ベッド間や歩くスペースが狭いなど)ではあったが、時代物の調度品が上品に
          あしらわれていて感じがよかった。カーテンを開けるとレストランの灯かりが先の運河をてらして、岸に続く建物に反射している
          のが見えるのが良かった。
           部屋にあったホテルの絵葉書を使ってニューヨークと東京町田にいる2人の孫に便りを書いた。絵葉書はホテルの全景写真
          だったので「今日はここに泊まっているよ」と書いただけだったが、このはがきは結局フロントが出状を忘れて孫たちに着いた
          のは6月の半ばになってからになってしまった。
           帰国してから孫たちに聞いてもはがきはなかなか着かないとのことだったのでツーリスト会社に頼んでチェックをしてもらったら、
          気づいたホテルが慌てて出状したらしい。そんなこともあるのだろう。

           気分の良い宿泊は食事も進む。いつもよりパンをひとつ余分に食べてしまった。
           9時前から全員でサンマルコ広場に向かった。朝食の間に少し雨が降ったようで道路も広場も濡れていた。
           イタリア人のガイドが流暢な日本語でドゥカーレ宮殿を案内してくれた。
           商都市民の国ヴェネチア共和国が地中海に君臨した時代を誇る大宮殿である。入り江に面し堂々としたものだ。
           総督の居城であり、司法行政を含むすべての強権を手中に繁栄の一途を進んだドゥージェ(総督)を立て、6世紀から19世
          紀に至る歴史の大河を司った国の象徴とする建物というだけで戦慄を覚えた。
           この国「ヴェネチア」の始まりは本土を逃れた難民達だったであろう。今でこそ「水の都」と、どこかに憬れの響きを共にするヴ
          ェネチアではあるが、運河でしか交通のできない、建築に難点の多い海の中の荒地であったに過ぎなかった筈である。
           歴史は大方の想像を超越して展開したのであろうと思う。
           海上交通の全盛期にその活躍の場を見出し、東西の交易に力量を発揮した民はさまざまな地勢を見方につける手腕をもって、
          交易による繁栄と富を築いたのであった。
           やがて、政治との結びつきが始まる。先ずは時の大勢力ビザンチンと結び海商の特権を確保する。それは海賊に抗すること
          に連なり、次なる軍事への進出を促される余儀なき結果を招く。海運力の増大、富は貴族を生んだ。一方で我富を守る必然性
          は国の同盟強化へと展開した。
           国力の強大化は宗教との絡みを生ずることとなり、十字軍への参与となって結果は11世紀に至り、国の繁栄はピークを迎え
          るのである。
           ルネッサンスは時代の矛盾を解きほぐす大きな契機であった。
           しかし、宗教は宗教を説くことによって人々への平和をもたらす事ができるとしても、宗教が政治を経由して平和を創りあげる
          ことはできないのである。
           これは持論ではあるが、『宗教の役割』の大きな部分は心の中にあるその束縛を解くことにある。したがってそこに占める精
          神的な役割が非常に大きなものであり、現実の生きざまの中で実現できる事は少ないからである。
           個々人の束縛を解くということが、結果的には個人間の感情を衝突のまま放置することになりかねない。まして、国や集団は
          決して個人的であり得ないからである。
           一方で経済の繁栄は権力の結びつきと対立を生む。結局国はどちらかに偏りつつ道を歩まざるを得ないことになるのである。 
           15世紀のヴェネチアはオスマントルコという異宗教との対立を余儀なくされ、やがて大陸の威圧ナポレオンによりその力を失
          うのである。
           近世、世界大戦のあとも一時サン、マルコ共和国としての存続を試みたが、結果はそれがならず、オーストリアからイタリアへ
          と渡ることになったのは、まだつい一世紀前、1866年のことだ。

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