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(1)フォーロ、ロマーノ
この旅の最終日、はなと朝食を9時の約束にして、私はまだ薄暗い5時前から10年振りノフォーロ、ロマーノを見るためにロイ
ヤル、サンティーナホテルを出た。
テルミニ駅の正面「500人広場」を横切り、泊まっているサンティーナの窓から対面に見えるカヴール通りの方へ向かう。そち
らもホテル街で、ネオンサインの下は、人影も見られぬ静まり返った早朝のローマだった。
ゆるい坂道を下っていくと、小さな乗用車が近づいてきた。ヘッドライトの刺し込むような光に一瞬身の危険を感じて構えるが、
車は舗道脇に止まる。
降りてきたのは身なりの整った婦人だった。彼女は舗道を横切ると道路沿いのビルのシャッターを開けにかかった。早朝の出
勤なのであろうか。地下鉄カヴール駅の方から歩いて来る2、3の人達も出勤途上であろう。
サンタマリア、マジョーレ教会の前には、ガス灯風背の高いランプが舗道まで明かりを投げている。薄ぼんやりとした教会の建
物が、宗教色を極めたかの雰囲気だ。次第に明るんでくる空は今日も好天を告げているようだ。
ローマの朝が始まる。
カヴール通りを20分ほど歩いて行く。グランドパラティーノホテルの前を少し右に進んだあたりでフォーリ、インペリアーリ通りに
ぶつかると、「フォーロ、ロマーノ」である。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」に惹かれて以来、昨今の私にとっては「フォーロ、ロマーノ」こそ振り返れる「ローマ」そのもの
である、との意識づけが高まっている。だから大事な自由時間はそこで過ごしたい。
かつて、地中海を中心にヨーロッパからアジア、アフリカにいたる大帝国を展開した帝政時代のローマがここにあったのだ。その
ローマ帝国こそ、今世界に帝国の典型を示すものとなっているのではないだろうか、と興味を深めるのである。
時を経て、様変わりした現代の社会ではあるが、その統治体制の確立手法、隣国とのせめぎ合い、宗教への政治の対処、どれ
をとっても相類のテーマは2000年をさかのぼるローマ帝国で既に取り上げられ、時に登場した皇帝が対処に臨んだ手法には今
も納得させられるものがある。
典型たるそこにこそ、『永遠の都』と謳われる所以があるといえるだろう。
一般公開時間は9時からなので、中には入れないが、私はフォーリ、インペリアル通りからフォーロ、アウグストスとフォーロ、トラ
イアーヌを道路から見下ろすのが好いと思った。丁度そのあたりにはその遺業に偉大な基礎的精神をもたらしたユリウス、カエサ
ルと、帝政の第一歩を着実にカエサルの思想に沿って実現に仕向けた、初代皇帝アウグストスの像が立つあたりである。
像は、通りを行く現代の人々に誇り高く彼らの思想を訴えているようだ。カエサルが、雄々しくも右手に高々と掲げた書簡のごと
き巻物は、成すべき法典の類でもあろうか。一方のアウグストスは、同じく右手の指を前に掲げて、帝国の進むべき道を敢然と示
しているように見える。
彼らはローマにあって、やがて広大な地中海世界に繰り広げられる人間ドラマへのテーマを、理想を満たして掲げた2人と言え
よう。
そこから始まる100年。
正しく帝国の華々しいドラマは、13代皇帝トライアヌスによって最も広大な領地を保有するに至り、それを峠にローマ帝国は崩落
へ向かう。ローマ帝国の栄華は、カエサルに始まりトライアヌスに終わったこの100年にあったといっても良い。その舞台がここに
ある。
道路から見るフォーロ、アウグストスは石を積み上げられた大きな壁がそそり立つのみで、底地は石のかけらが散らばって広が
るに過ぎない。しかし、2000年をさかのぼる時、アウグストスが初代皇帝となって、カエサルの意を頂き民へもたらした幾多の提
示、問いかけがこの場で行われたかと思うと、その熱き思いをここで感じないわけにはいかない。
統治は東のユーフラテス河からドナウ、ライン川をつなぎ、現英国の北部にまで、南はサハラ砂漠までに至った。それが成し遂
げられた時代に遭遇した、時の皇帝トライアヌスのここで行った演説は、さぞかしローマ市民に誇りを誘ったであろう。
フォーリ、インペリアーリ通りは、丁度フォーロ、ロマーノを二手に分けて中央を走っているように位置しているため、私はそそり
建つエマヌエレ2世記念堂を目で確かめながら、広い通りを渡ってコロッセオに向けて踵を返す。
カンピドリオの丘から市庁舎の裏を抜けてくる通り側からパラティーノの丘に向かって立つと、いわゆるフォーロ、ロマーノ。セプテ
ィミウス、セレヴェルスの凱旋門から、パラティーノの丘の麓、ティトスの凱旋門までまっすぐに遺跡通りが続いているのが高所から
眺められる。
この通りはところどころにそのままの姿で残る石畳が整然と続き、皇帝も、凱旋将軍も、そして市民もそれぞれの主張を胸にして
闊歩したのであろう。
小さく目立たないカエサルの神殿を中に、手前の厳しい歴史を詰め込んだ元老院の建物が、私にはいかにも貫禄ないものに映る。
荒れ果てた遺跡に建つ、いくつかの神殿や、往時を偲ぶ大理石の柱が栄華を語るに相応しいスクッとした居並びに見えている。
右手に広がるパシリカ、ユリアの土台は、いかにも公開広場のイメージそのものに思う。
発掘は営々と続いている。
多くの歴史の年月は時間だけでなく、且つ又多くの生きた人々によって土と、更なる遺物を積み重ねて現代に至っているのであろ
うか。
後代の皇帝が邸宅や宮殿を建立したパラティーノの丘に半日を過ごした10年前を思い出しつつ、今回はここにたたずむこと2時
間が過ぎた。
最もベネチア広場に近いフォーロ、ロマーノの隅に、遺跡に接したままの建物を使ったレストランがあることを発見した。残念なが
ら開いてはいなかった。今度の機会は日中に訪れ、そこで寛ぐことにしよう。
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