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4.桂林
桂林両江国際空港には6時ごろに着いた。空港は市街の南西にあり、高速道路で約30キロの道
のりをバスで市内に向かった。夕刻とは言えまだ明るい時間帯であったが、窓から眺める風景は殆
ど山地であった。
街は環状道路(近代化中であった)に囲まれているが、バスは桂林駅の近くから市街地に入り、
中心地に近い「解放路」から「自由路」かけて漓江に掛かる「解放橋」を渡って漓江の東岸をホテ
ルに向かった。その道路も工事中でぬかるみがあり、脇道へそれたりして進んだ。
少し主要道路を外れた辺りに並ぶ民家は、貧しさを露わにした様子も伺え、まだまだ民度のレベ
ルは低いことが伺われるように思った。
私達が宿泊する桂林帝苑酒店( GUILIN ROYAL GARDEN HOTEL)は漓江の辺、沿江路にあり、桂林
随一の高級ホテルとの触れ込みであったから、大いに期待していた。しかし、さすがに設備や漓江
の望める部屋の居心地に不満は無かったものの、昆明でも同じように感じた従業員の接遇は日本での
もてなし方に慣れた私たちには高級ホテルと言うには?と言いうことか、或いはそれが中国と言うこと
の評価かと理解せざるを得ないレベルと感じた。
夕食会が、到着後すぐにレストランで開催され、丸テーブルを囲んでグループで戴いた。
中国はどこへ行っても本格的中華料理、ここでは地元のビールが出たが、それもまた旨かった。
翌朝、私は日課にしているランニングを兼ねて、昨日渡ってきた「解放橋」を越え、対岸の市街
地へ行ってみた。市街地の中央にそびえる独秀峰と言う山が何処からも見えた。その麓が明の開祖
朱元璋の孫靖江王(タンコウオウ)の府が置かれたところで、現在は広西師範大学のキャンパスに
なっている。
そこから桂林駅に至る中山中路、中山南路あたりが繁華街で銀行やデパート、ホテルなどが並び、
市政府があった。道路は1km毎に大きなロータリーを配置した近代化の途上で掘り返されていた
が、早朝から一般の市民が外に出て路地の朝食に通うとか、庶民生活感の漂う雰囲気が見られるの
だった。観光と民政のバランスの難しい部分かとも思った。
桂林はカルスト地形でタワーカルストが林立して、絵のように美しい風景に恵まれ、世界的な観
光地とまで言われている。カルスト研究所があり、著名な英国のカルスト地形学者Sweeting,
M.M.
がこの地を訪れた際、もしも石灰岩地形が最初にここで研究されていたなら、カルストに代わって
グイリン(桂林)という語が生まれていたことだろうと語ったといわれる。中国国家としても歴史
文化都市に指定してカルスト景観の観光に力を入れているようだ。
又、桂林は広西チワン族自治区の州庁が置かれている人口500万の都市である。古来、百越(
多くの少数民族)の住む地であり、秦の始皇帝が征服して桂林郡を設置した。 111年に始安県が設
置され、湖南省に近いため、荊州臨稜郡に属した。 269年始安郡始安県が置かれて初めて現在の桂
林の町が形成されたのであった。
明清時代には長く広西の行政的中心(省会)であった。省会は1913年に南寧に移ったが、1936年
再び桂林に戻り、1940年市制施行後、1944年日本軍が占領。解放後の1950年にまた南寧に移ってい
る。
桂林での私達の日程は、漓江下りを楽しみ、そのカルスト景観を堪能し、少数民族村を訪ねて古
きから伝わる伝統文化に触れることであった。
★漓江下り
朝早い6時30分がモーニングコールであったから、私は6時にはランニングを終えて、ホテル
に戻って来た。朝食は昨夜と同じ1階のレストランだったので7時に会場へ向かうと、既にグルー
プの仲間は席についていた。旅仲間は3日もするとすっかり打ち解けて、旅の和みも増すようにな
る。わいわいがやがやと、語り笑いも交えて朝食を終え、早速皆でバスに乗った。
漓江下りの船着場竹江(チクコウ)まで、バスは何軒かのホテルを廻って参加メンバーを集めほ
ぼ1時間かかった。
そのバス1台の客がかなり大きな1艘の船に乗り込み舟下りが始まった。舟に乗ると、中は大き
な楕円のテーブルを囲んだバケットシートの座席に飲み物が用意され好待遇の感があった。
席の周囲は広い窓から外が眺められるだけでなく、小高いデッキが船首に造られていて外気に浸
って奇岩風景を愉しむことができた。丁度その日は日の照らない曇り日で、いわゆる墨絵の桂林風
景そのものを見たように思う。
漓江は全長437kmに及ぶが、桂林から陽朔までの83kmが滑らかな流れで、また青羅の帯
のように奇峰の間を延々としている。これに魅了された古今の文人墨客が“百裏の漓江”と称して
世に繋いだのである。唐の詩人韓愈は「川は青羅の帯をなし、山は碧玉の簪(カンザシ)のごとし
」と賛美したという。
船上からの風景は柔らかな流れに霞みのかかった山が影を映して、まさに山水画から抜け出した
世界であった。
1時間ほど下った処、冠岩の船着場で一旦下船して鍾乳洞を観に少し歩いた。河岸の岸壁に穴が
開いていて、ここを通り抜けると桃源郷に行けると言い伝えられる鍾乳洞とのことだ。カルストは
石灰岩だから、一帯には沢山の鍾乳洞があるようだ。入り口は3m 程の狭いところだったが、すぐ
に広い空間になり、黄色や青のライトで様々な岩を照らし出している。観光用に滑らかに舗装され
た順路に従って進むと、ポッカリ大きな穴の開いたところがあった。そこからは漓江の水辺が見え
たが、それは桃源郷への入り口ではなく、語られる桃源郷への道は未解明?のようである。
鍾乳洞から船に戻り、再び船上から風景を愉しみつつ昼食をいただいた。観光船はすべて昼食が
セットされているのであった。ただ出されたメニューは春巻きと盛り皿の他2品でありきたりであ
ったし、食事が片付くとすぐに乗務員が物品販売を始めるといった中国流が展開して、疲れも出て
きたこともあり、私は辟易した。なるべく話から遠ざかって、外の景色に見入るようにしていた。
★漓江民族風情園
終点には竹江で降りたバスが迎えに来ていて、漓江から離れた道を桂林に戻るとのことである。
ガイドは次の観光を桂林の漓江東岸にある「漓江民族風情園」に案内すると言った。広西チワン
族自治区に古くから住む少数民族の風俗を紹介するために観光用に最近オープンしたテーマパーク
とのことだった。
チワン族、ミャオ族、ヤオ族トン族それぞれの建物が建てられてあり、川のほとりを歩いたり、
桟橋を渡ったり、或いは古くから伝わる渡し船のような舟に乗ってコースを巡った。
デッキの向こう水上に設置されたステージで繰り広げられる民族の踊りに見入ったり、民族の祭
りの行列がやってきてそれに参加して興ずることもできた。
少数民族村に関しては中国と内在する少数民族との間に、近年さまざまな問題も発生しているよ
うである。一方で中国の生きた観光資源として、なんとか存続させたい意向もあり中国の新時代に
於ける解決課題とも言われている。
その日の泊りは広州市となっており指定の飛行機が遅れて22時10分発になったとのこと、ガ
イドは時間があるからと市街の動物園に案内したが、既に16時で閉園しており不如意だった。
仕方なく私達は土産物店(現地では友誼商店と言う)へ寄って時間を潰した。が、中国の物産店
は売り込みが猛烈なので、私はあまり気が進まず待合のサービスするお茶をすすってやっと時を過
ごしたように思う。
空港に着いてたっぷりあった時間で夕食を済ませた。
少数民族村・祭りのデモンストレーション
* 5.広州
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