アメリカの印象08初夏

                                                  BGM by かせだ音楽研究所


ニューヨーカーの昼食ベンチ・パークアベニューセント・バーソリミュー教会前

(4)マンハッタン(その2)

 レキシントン52丁目に私が前に所属した会社のアメリカオフィスがあって、そこ
に親しくしていた後輩氏が現在の米州責任者として赴任している。彼は入社以来
ほとんどが国外勤務で、もうアメリカ滞在も通算すると20年以上になる。
 久し振りに彼に会う為に手土産の日本酒を下げてマンハッタンへ向かった。
 グランドセントラルには12時に着いた。天気も良かったので約束の時間までぶら
ぶらしてみようとの算段もあった。
 丁度クライスラーのビルを目前にするあたりにちょっと大きなデリがあり、コーヒ
ーとサンドイッチの昼食をすませてからレキシントンを北に歩く。

 グラセンのホールで雑踏の響きを聞くとNYの実感を得るが、そして又、この辺を
歩き始めると、ビルの谷間の街、マンハッタンの空気が感触として伝わってくる。
 私が始めてこの街に滞在したのもレキシントンだ。初めてのときの印象というもの
は拭い去れないものなのである。
 駅のすぐ近くには、最近世界の経済界をゆるがしたサブプライム危機の、導火線の
ごとき役割を演じたベアースターンズの入っているビルも、メリルリンチのビルもこ
こにある。GPモルガンやゴールドマンサックス、シティーグループなど、名立たる
金融機関大手の本拠地は最近何故かここに固まって来ている。
 グラセンの上に聳える建物は、昔はパンナムのマークの入ったニューヨークの象徴
であったが今はメトライフに変わって、パークアベニューに跨るように立っている。
 我々が何かにつけコンタクトが必要になる日本の総領事館が、なんとベアースタン
ズの入っているビルにあるのに何かとまどいを感じないでない。

 パークウェイからマジソン通りを歩いていると、サンリオ、キティーのモニュメン
トをおいたビルがあった。たまたまそのあたりにあったそのおもちゃ屋などを覗いて
、もうすぐ2歳になる娘の長男(ただ一人の孫息子)へのお土産(車のおもちゃ)を
見たが、どうもこれはというものもない。
 しかし、歩いている外の初夏の風が気持ちよかった。
 ちょうどお昼時。良い天気で勤め人が通りへ繰り出し、昼食を過ごしていた。美し
いドームのロマネスクとビザンチン様式の融合芸術、セント・バーソリミュー教会前
のステップは、昼の陽を浴びお喋りしながらホットドッグをほうばるビジネスマンで
いっぱいだ。食文化としてはNY独特である。
 
 オフィスの彼は元気そうだった。昨日はデトロイトへ行っていて、帰りNYが天候
不良で機内で足止めを食らったようだ。こちらも、ちょうど昨日はフロリダからの帰
り、なかなかケネディへ降りれる状況にならないのでフロリダを発てず、帰宅が今朝
4時になってしまったことや、フロリダ、キーウェストでの感想など話した。

 彼氏の話では、サブプライム以来の経済はいまや落ち着きを見せたのだろうとの判
断であった。フロリダではそれらしき兆候を、まだ私は感ずることが出来なかった。
それだけ、アメリカという国はダイナミックなのでる。難しい局面打開はまだまだ長
い道のりを行くことになるだろうから、当事者の苦労は多いことだろう。
 結局「健康で乗り切るしかないね」とありきたりの励ましで旧交を温めるに止まる。

 「生き方」について話が弾み、地位や名誉より、人柄が幸せの判断である、との持 
論を開陳した。もっともそれはリタイアした今だから言えるのであって、現役にはそ
うは言っておれない状況というものがつきまとう。
 家族についての心配も必ずでてくるだろうが、努力をしておけば、少なくも充実感
は得られらるとの体験を話した。良かったかどうか?

 ○

 ニューヨークに来ると必ず確かめることにしている。何時ものようにグランド・ゼ
ロに向かった。
 基礎工事がすっきりと見えるようになってきた。建物の組上げが始まるのももうす
ぐだろう。ヒルトンホテルの向かい側に展示されていた9.11に関する掲示資料も
取り去られ、ニュージャージーへ渡る地下鉄駅(PATH)への入り口も場所を変え
られて、崩れた鉄骨の残骸を使ったシンボリックな十字架も見えなくなった。
 西側のフィナンシャルビルのガラス壁から工事現場の全容が眺められるのみだ。
 工事現場の南側通路に接するビルの壁に掲げられた犠牲者名盤の前は、何時も世界
から訪れる人々の献花が耐えることがないようだ。まだ単なる観光地と化してしまわ
ないことに胸をなでおろし、しばらく見渡してから、少し歩き、シビックセンターの
前に翻る国旗を見上げ、ブルックリンの橋を眺めて引き返してきた。
 世界は決して平和の度合いが増したとは言えず、どの大陸にも毎日にように争いが
耐えない。不穏な21世紀が続いている今日だが、グランドゼロが本当にゼロスター
トの時になって、一歩一歩、平和の塔が築かれて行くことを切に願うばかりである。
 私が最後にあのビルに入ったのは9.11の年の1月であった。今でもかつてそこ
に存在したWTCビルの通行章を大事に持っている。世界で最も高いビルと言われて
いた当時が懐かしい。
  
                                                            風次郎                     


グランド・ゼロの工事状況(向こう側ガラス張りはヒルトンH)

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