アメリカの印象08初夏

                                                  BGM by かせだ音楽研究所

 
シビックセンターからブルックリンブリッジ

(10)マンハッタンから(その3)帰国

   この間のマイアミ空港のエアコンが凄く寒くて、喉をやられたのかも知れない。
 長男の家で2日も寝込んだ状態になってしまった。それでも午後の散歩には出た。
散歩は気持ちが良かったが、熱があったのか変な汗をかいた。
 幸い、動けなくなるようなことは無く、予定のフライトに合わせて長男に送っても
らう。

 ウェストチェスターから100号線を南下して、ヤンキースタジアムを左手に、そ
してワシントンブリッジを渡る。やがてハドソンの川越しにマンハッタンの朝の風景
を眺めつつニューワーク空港への道を辿る帰路は慣れてしまったが、それが又寂しい
ひと時でもある。

 ―――――――――――――

 マンハッタンから帰る時に


 いつかの自分がそこに佇んでいるような、
 何時もの自分がそこに佇んでいるような、
 42丁目のあの街角。

 あの時の自分がそこに俯いているような、
 今日もそこを俯いて歩きたいような、
 マジソン街のあのバス停。

 あの時は励まされ、
 あの時は希望に燃え、
 そして、あの時は他人(ひと)にも励ましを。
 そんなページを綴じこんだ、あのデリ。

 友とともに過ごし、
 家族を見つめあい、
 何時も前を見て歩ける街、
 私のニューヨーク。
 私のマンハッタン。

 自分は小さくなんか無い。
 自分が大きく映るビルの窓を探して、そこに立つ。
 そしたら肩を活からせて歩けばいいだけのと考えた昔。
 レキシントンの街角。
 
 世界を語り続け、
 前へ前へと歩きつづければ、
 青空の下に安心の未来へ導くように、
 爽やかなブルックリンの橋がみえている、
 シビックセンターの旗の下。
 振り返れば悲しみから立ち上がろうとするグランドゼロがある。

 私の心にあるニューヨーク。
 私の歩いてきたマンハッタン。

    ○

 あの時の自分がそこにただ立っているような、
 今日もそこで雨上がりを待っているような、
 9丁目の地下鉄口。

 若い日の自分がそこで語り、
 何時もの自分がそこに黙りこくっているような、
 グランドセントラルのあのデリ。

 あの時は落ち込み、
 あの時ははしゃぎ、
 そして時は過ぎてきた。
 そんなページを綴じこんで‐‐‐次へ、

 街角は賑やか。
 それが励まし。
 人のいる街。
 私のニューヨーク。
 私のマンハッタン。
 魅力が失せることの無い街。

 ―――――――――――――

 長男は、心配そうにボディーチェックのゲートを最後まで見届けて帰っていった。
私は体が弱くなったのであろうか、それもあろう。気が弱くなったのであろうか、そ
れもあろう。
 ゲートインして、家内と寛ぐコーヒースタンドのカウンターが安心の場所のように
感じた。

 どうしてだろう。このあいだ折角はなと見に行ったブロードウェイのミュージカル
「ヘアースプレイ」が、何時ものようにエキサイトして見入れなかった。それなりの
面白さもあり、ストーリーの持つ独特の難解さも承知であったのだが、言葉の理解が
何時もに増して煩わしく、ついていくのが億劫だった。ブルーノートへも足が向かわ
ず、はなとよく通ったカーネギーデリへも寄らず、ロックフェラーを歩いただけで帰
路についてしまった。
 そういう言い方が適切かどうか、意味が通じるかは分からないが、私は自分のニュ
ーヨークへの限界を感じているような気がしている。
 魅力を感じなくなったと言うのとはちょっと違う。時の流れが感じ方の変化を告げ
てくる。
 一方で、私の心は最早マンハッタンでの思いを、ひとつの感じ方として強くポジシ
ョニングしてしまったらしい。うら寂しい思いとともに、新しい基準を自分がこの街
に求めているのかも知れない。
 この旅も素晴らしいいくつもの思いを残してくれた。そんな思いを乗せて、コンチ
ネンタルの成田便は、真昼のアメリカ大陸上空を飛び続け、アラスカからベーリング
海を進み、カムチャッカを下って日本を目指す。

  ○

 NYの雷でフライトが遅れたハプニングは別として、旅行中の天候には実に良く恵
まれた。何と言っても圧巻はマイアミ、キーウェスト往復500キロ走破。これも常
夏の強く降り注ぐ陽光の中で、名立たる観光風情を満喫したことであった。
 家族旅行は多少の贅沢と、多少のいい加減さを混ぜて淡々とやるのがいいと思う。
楽しかった。思いがけず観戦したヤンキースの試合もエグゼクティブな席から、これ
も満喫した。
 この数年、スカ−スディールやハリソンへの何回もの滞在で、NY、アメリカを膚
で感ずる貴重な機会を得たことによる絶対印象は、 
 1.「土壌」が全く日本(東洋)と違う。だから草や樹が微妙に違う。細やかな畑
作は難しいだろうこと。日本は泥の上に育った文化、西欧は石(岩や珊瑚礁)の上に
築かれた文化、中東は砂の上に敷かれた文明と説く松本健一氏(麗澤大)の言葉の意
味が良く解る。
 2.アメリカはフロンティアスピリットが培った構想など、大きなスケールが邦人
の持つアイデンティティーからなる文化と非常に異なるものであること。
 3.さらに人種的に世界を感ずるためには、日本人は好む好まざるに係わらず、今
やパートナーとなってしまった米国の中に入っていくのが近道であろうと強く思うこ
と。
などであろうか。
 将来を託される青年にとってなどと一般論は言わず、私の長男家族の将来にも必ず
や生かせる何物かが育まれる機会になることを切に祈っている。

 異なる環境の中で、日本人は「黙る」ことが多いが、欧米人は「言葉を交わす」こ
とを心がけるようだ。
 帰りの旅ではニューアークの搭乗待合で、台湾から、ロングアイランドに住みニュ
ーヨーク大学に通う息子に会いに来たと言う初老の婦人と隣り合わせになった。東京
に嫁いだ娘に会って帰るところとのことだった。そして又、成田から京成電車に乗っ
たら、アーカンソーから夏休み(もう彼の地では期末とのこと)のファミリーツアー
に日本に来た家族、夫婦と小2、小4の二人娘たちと座席が一緒になり、色々会話を
楽しんだ。アーカンソーのファミリーは、東京青砥に3泊してから青森、仙台、京都
、奈良、鳥取、島根と廻る1ヶ月の民宿旅とのことだった。
 どうも島根大学の学生をアーカンソーで受け入れ、トレッキングの案内をしている
婦人と家族らしい。グローバルは良いことだと思う。自分でも片言の英語が口に出来
、こうして国際交流を楽しめる時代を生きられることを、素晴らしいことだと思う。
 感じの良い人たちだったので、青砥で降りるまで相手をさせてもらって過ごしたが
、「日本の人に声を掛けるのに大切な日本語は何か?」と問われ、大した根拠も無く
、「皆さんが使う『THANK YOU』は『ありがとう』だが、この「ありがとう」は同じ
ニュアンスで使っていいと思う。」と話した。
『excuse me』について、婦人の持っている解説書に『shitsureisimasu』と書いてあ
ったので、「子供は『すみません』の方が良いかな?しかし、『すみません』は『pa
rdon』、日本語では『ごめんなさい』と微妙に違います。」などとのやり取りもした
。いざ使うとなると、言葉は難しい。
 日本で使うのに「best to use」の言葉はと問われ、少し考えた上で、「ありがと
う」は良い言葉であるが、「私は『うれしい』が良いと思う」と答えた。「意味は、
happy, thank’s, pleasure, glad, wonderful, appreciateなどをcontainする良
い言葉だ。」と言ってみた。彼女は「ureshii」と、メモに書き加え、子供たちに説
明していた。
 国際化が進んで、一番心がけなければならないことは“対話”。一歩進めて倫理を
重んずる東洋人ならば「ありがとう」と言える状況設定を心がけることであろうと思
う。
 怒りを表すことよりは喜びや嬉しさを伝えることの方が、特に家庭や会社など小さ
な社会では大切である。これからを生きる子供たちには「ありがとう」の言葉の使い
方は充分教えてやって欲しいものだと思う。

 他国からの来客と席を共にして、こんなに小さくなった世界に生きる自分を不思議
に思った。
                                                      (完)風次郎                     

   
  ヘアースプレイを観たSIMON劇場

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