サンフランシスコ・ヨセミテ・ニューヨーク(0709)

                                                  BGM Music Factory

    
    LAWRENCEFARME ORCHARDS (畑は石だらけ)

   7.リンゴ園とモール巡り

 長男が土曜日の休日なので皆で「りんご狩り」行くことを計画してくれた。ウェストチェ
スターを西に向かい、87号線に乗って北上する。やがてハドソン川に掛かるタッパンジー
橋を渡りにかかると空がぐんと開け雄大な風景が展開する。川の両サイドは川に面した斜面
に瀟洒な別荘のような住宅が点在する。傾斜地はかなりの高さがある。展望の開ける傾斜面
は、住宅地としてアメリカ人好みのロケーションだとの事である。
 朝の陽の光が、向かって行く対岸のその斜面を照らして、盛んな夏に生長し切った緑の中
の建物が輝いているようだ。
 長男はこのタッパンジーを渡るのが好きだと言った。風景が気に入っているらしい。ルー
ズベルトが公共投資の額を確保する為にハドソン川で一番幅の広い場所をわざわざ選んで掛
けた橋である。今度もオバマか誰か次の大統領が何かやるだろう。
 橋を渡り10分も走ると丘陵地帯になって、まるで山の中のようだった。ハイウェイを降
りて少し坂を上っていくと、農園の主の自宅らしき建物が見え、納屋の前から舗装のされて
無い導入路が続いていた。すぐに風景は一面の農場に変わった。「LAWRENCEFAR
ME ORCHARDS」の看板があった。
 小高い丘を下ると幾つかの建物が散らばるようにあって、そのうちの一つが観光客の為の
休憩施設「ゲストハウス」だった。そこで入園料を払い、手で引くトロッコを借りる。これ
に荷物を置いたり、収穫物を採りいれてくるのである。 
 りんごが旬であるが、農園は他にも畑にいろいろなものを作っており、そこに許可マーク
があれば自由に入って収穫してよいとの事だった。ぶどう園もあるがぶどうはまだ収穫は出
来ない。孫娘ミサは、前に来た事もあると私たちをリンゴ園のほうへ引っ張っていくように
案内して行った。
 リンゴ園は木も手の届く高さで、私たちは早速もぎ取り、タオルで拭いてほおばって食べ
た。夏を過ごしたばかりの時だから、私の育った信州ではこの頃ではまだ「国光」や「紅玉
」には早い。「ナルコ」という黄味を帯びたすっぱい品種だけが出回る時のように思ってい
たので、どんな品種だろうかと興味を持っていた。私たちが収穫したのは表面の赤い小ぶり
のりんごで、「印度」と言う品種に似た味感である。ただまだ暑い時期であるだけに皮は厚
めだし、締まった感じが無く、渋みもある。沢山食べられるものではなかった。
 トウモロコシ畑に入り、こちらは立派に育ったバンタムを沢山収穫した。これは帰ってか
ら家で美味しく食べられた。白菜やピーマンの畑なども見たが、私は畑の様子にとても興味
を持った。畑には私の想像する土は殆ど無く、石のかけらばかりでとても鍬など入る状態で
はない。石のかけらをトラクターで盛り上げて、作物を作っているのだった。
 果樹園は木の下が草で覆われるものの、野菜畑は散水の仕事が大変だろう。雑草の除去に
は薬剤を使用しているようである。
 そういった農地を見ると、日本の土壌は誠に素晴らしいと言えるだろう。アメリカ大陸は
中央に山脈が走り、広大な農業を促す土地を得るものの、西は砂地、南は珊瑚礁、東は岩盤
である。ニューヨークでの農業は大変なことだと思った。風景が森や林、住宅が目に入るば
かりと言うのも頷けることである。
 それにしても荒れた広大な丘を耕地にした石の多い土地にキャベツやささげが出来ること
が解って驚いた。
 観光農園にはいろいろな国の人、家族が来て賑わっていた。
 ゲストハウスの近くに池があった。その周辺には子供たちが遊べる若干の施設があって、
あちこちの家族の子供たちが仲良く遊んでいるのを見たミサは駆け出してすぐに仲間入りし
ていた。私たちもそこでお弁当を広げた。

 昼を食べて農園を離れ、近くにあるアウトレット「ウットベリーコモ」へ行った。数年前
ワシントンの友人を訪ねたとき、NYに寄って、観光ツアーで来て以来だったので懐かしか
った。私は東京の友人にお土産のシルバーウェアー(Villeroy&Boch)を買った。
 そのあとタッパンジーを渡る少し前のパリセーズモールでもショッピングを重ねた。
 モールでは日本の回転寿司が開店した、と人気のようだった。丁度夕食時が迫っていたの
で、私たちも「土産話」に寄ろうということになったが、長い行列ができているのにはびっ
くりした。我慢して並び、20分の後に席を得たが、回って出てくる寿司はとても小ぶりで
、また酢が無い。酢は別に取り寄せて付けて食べるのである。店員たちは日本人を含む東洋
の人たちだったが、形だけの寿し店といった感じであった。
 当世日本食ブームの走りとでも言おうか。腹には入りにくかった。

                                                           (風次郎)

  
パリセーズモールの回転寿司店

           
      風次郎の世界旅』 トップページへ
      サンフランシスコ・ヨセミテ・ニューヨーク(8)へ
* 風次郎の「東京ジョイライフ」ホームページのトップへ
* 風次郎の『八ヶ岳山麓通信』へ
* 風次郎の『善言愛語』へ