サンフランシスコ・ヨセミテ・ニューヨーク(0709)

                                                  BGM Music Factory

  
    harisonnの駅とメトロノース

   5.NY・ハリソンにて

  5時起き、チェックアウトしてBARTでSF空港へ向かった。早朝ではさすがにBARTも空港
ロビーも空いていた。Domestics counterでの搭乗手続きが不安だったがスムーズにいって
ホッとした。
 6時半をすぎると人数もぐんと増え、ロビーの店舗も殆どがオープンし始めたのでボーイ
のいるレストランに入って朝食をとった。緊張がほぐれたのか、コーヒーが喉を降りていくの
がわかるほどうまかった。ともかく私は搭乗手続の煩わしさに悩まされていた。
 ユナイテッドUA006は小型機で左右2列、私たちは左側の席だった。SFを8時、順
調にテイクオフしたが、夕陽のケネディー空港に着陸したのは16時30分、5時間の時差が
あるから3時間半の飛行だったことになる。アメリカは広い。
天気がよかったので大陸の広がる窓からの眺めを楽しんで過ごした。
ロッキー山脈とプレーリーが果てしなく続いて見えていた。

 ケネディー空港からバスで向かうマンハッタンが懐かしい気分になった。いつも思うのだ
がこの間の道路はまず渋滞が無い。うまく振り分けられているのだろうか。
 グランドセントラルに6時過ぎに到着、電話で駅への迎えを頼んで19:11発のメトロ
ノースニューヘブン線ハリソン行きへ乗る。やっと身内の顔を見れる。

 うまい具合にハリソン止まりの急行だったのでハーレムに近い125st.のほか2駅しか止
まらない列車は30分程で着いた。ゴロゴロとスーツケースを押してホームをの階段を降り
るとロータリーの駐車場に孫娘ミサの顔があった。はなと並んで車の座席に座る孫娘ミサは
9歳である。
長男家族は9.11の事件があった年に一旦日本に引き上げたが、昨年の夏から再びNY生
活をしている。以前は100号線沿いのスカースディールに居たが今回はニューヘブンライン
沿いのハリソンの町である。

 ○

 翌日は3時半に目が覚めてしまった。
 サンフランシスコとはまた時差があるのでなかなか熟睡が出来ない。困ったものだ。PC
を扱ったり、本を読んだりしながら夜の明けるのを待って、外に出た。
 ハリソンの町は静かだ。まだ寝静まったままの住宅地は人も車も無い。近くの小高い場所
に公園があるのでそこまで行ってみた。△△memorial Park と看板が出ているから、町の
先住の人でも寄付したところかも知れない。ブランコと滑り台、鉄棒、ジャングルジムが大
きな木に囲まれた中に並んでいる。
9月の始まったばかり、まだ夏のままの季節の姿である。プラタナスとどんぐりの木のある
公園のベンチに座って静寂に浸る。
 この公園には前にも来た。印象深いのは、ここに長男家族が住み始めて初めての冬を迎え
た昨年、風の中でブランコに乗って遊ぶ孫娘ミサを見ていた時のことか。小学校へ入ったば
かりあの子は、まだあどけなさがあった。言葉も良く通じないのに学校ではどんな生活を送
っているのだろうと、心配ばかりしていた。
 ブランコに揺れる子供の姿は素直で優しい。
 その子はもう2年生。健やかに育って良かった。
 公園から先には森の中に入っていくように通りが敷かれ、その通り沿いに住宅が続く。私は
ベンチを立って、清々しい空気を味わいながらしばらくその通りを歩く。やがて明るさは増し、
鳥が鳴き、斜めにさしこむみ始めた陽の光が木々の間から朝靄を縫っていく気持ちの良い
朝になった。

 朝食の後、登校するミサと一緒にはなと3人連れ立って外に出た。
 ミサが通う「ハリソン、メモリアル、エレメンタリースクール」は自宅から歩いて5分ほど、駅へ
向かう道路に出て、鉄道を越えた丘の上にある。大きなプラタナスの木が並ぶ道路の向こう
の芝生に囲まれた石造りの建物である。
 Dバックを背負って、はなと手を繋いで歩く孫娘は明るく嬉しそうに顔を見合わせながら
話しながら歩いていく。
 正面玄関の脇にある生徒の出入り口には、ボランティアで10年以上も続けている登校迎
えのおじさんが待っていた。髭を生やした60歳ほど、近くの住民と聞いた。
 子供たちは一人づつおじさんにハングしてもらい、校舎に入っていく。雨の日も風の日も
、ここで待っていて生徒を迎え入れるおじさんは人気者だ。素敵なボランティアだと思う。
ミサもハングを受け、私たちに手を振って友達に紛れていった。
 校舎の東側にある芝生の広場には創立者の銅像が立っている。私たちは朝陽に照らされた
その像を見上げ、駅前からママロネックへ通づる道路に沿って歩いた。あたりは殆どが住宅
であるが、道路沿いにはインテリアの店、薬局、そしてレストラン、それもイタリアン、仏
、チャイナなど一通り並び、テラスに椅子を出して寛いだ感じのところもある。住宅街の人
たちがナイトタイムや、ホリデイを過ごすに事欠くこともなさそうなメインストリートであ
る。海辺に近い街であるが、その丘の上の道はママロネックの駅辺りまで続いてから海岸に
向かって下っていく。
 私たちは少し先の自動車の修理工場の脇をまがり、掘割の下を通っている鉄道の上にか
かった古びた橋を渡って、長男たちの住む家があるブリガサークルの方へ戻る道を歩く。
 鉄道を越える橋の向こうの家はごつごつとした大きな岩の上に建っていた。ニューヨーク
は大きな岩盤の上に広がる街といわれるが、マンハッタンの北に広がるウェストチェスター
も岩原の上に広がった草原から林や森が芽生えたのであろうか、黒い岩の端が家々の敷地に
格好な庭のアクセントを作り出しているように見える。今の季節、植物は生気十分な夏であ
るけれど、このあたりの雑木林の秋の紅葉は素晴らしいに違いない。
 それぞれの家は建物へのアプローチにそういったさまざまな木々や芝生を配して、それぞ
れの住まいのニュアンスをかもし出している。贅沢な住宅地だと思う。

 10時過ぎに長男の嫁であるみなさん(通称ママ)がはなと「ステウ、レオナルド」へ買
い物に行くと言うのでついていくことにした。農場経営者が大規模に開業して成功した直売
スーパーである。
 住宅地の中を西側に進み、中学校や高校のある草原の広がった地域を過ぎて丘を下ると、
以前長男たちが住んでいたスカースディールの街であり、メトロノースの鉄道と100号線道路
が走っているあたりを通った。ウェストチェスターには雑木林に囲まれてあちこちにゴルフ場も
幾つかあって、リゾート地の感じさえあるゆったりした地域である。
 「ステウ」はスカースディールからもう一つ先の丘の上にある。新しい商法として世界に紹介さ
れて有名になった。私もこちらへ来る度ここへ来て地元消費の状況を膚で感ずることを試み
ている。
 ウイークデーの昼時とはいうものの相変わらずの盛況で、大きなカートバスケットに山盛りの
野菜や果物を載せた客がレジに行列を作っていた。ここでは農場直営のメリットを生かした
肉類、乳製品も安い。それらをごっそりとカートに取り込んでいる人々の様子を見ることは、ア
メリカのダイナミックさを見ているようだ。
 レジの外に岩山の見えるテラス風のスペースがあり、私たちは昼食をかねてそこで寛ぐ時間
を持った。

 3時過ぎには再びミサを迎えに学校へ行った。生徒が退出する玄関前にはPTAが集まっ
てきている。日本ではせいぜい集団下校だが、さすがに世界の危険の先端?をいく危険性の
高いNYでは、日本の幼稚園並みの送り迎えである。
 PTAの活躍は課外活動でも旺盛で、月に1〜2度のイベントが行われている。私もバザ
ーと映画会に参加させてもらったとき、参加家族がとても熱心なのに驚いた。課外活動には
学校は会場提供以外手を出さない。しかし、生徒の出身国が多岐にわたるため、生徒の担任
は各生徒それぞれへの対応で大変なようである。日本人がクラスに3人いるという孫娘ミサ
の場合はまだ恵まれた方と思わねばならないのだろう。
 学友と駆け出してきたミサを伴って家へ戻った。彼女が連れ立って近くまで歩いていたの
は中国人だった。
 いっとき生徒の歓声が高まる下校時であった。

                                                           (風次郎)

    
児童をハングで迎えるボランティア                  スティウ・レオナルド

           
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