BGM Music Factory
フェリービル サウサリートのレストラン「ホライゾン」
翌日は5時に朝の散歩に出た。2ブロックを東に進み、先を海側に下りる。左は一昨日上
った坂道の古い市街地だが、こちらは新開発地域である。港湾を挟んでフェリー・ビルの対
面に位置していて、マーケット・ストリートの末端部を象徴する賑わいをみせているエリアで
あるが、早朝では閑散としている。
いたるところに世界中のアーティストにより寄贈された彫像があると聞いていたので、そ
れも見たかった。
少し下った道路の先に、メトレオン (Metreon)という巨大スクリーンの映画館を中心にし
たエンターテイメントコンプレックスがあり、その角の階段を上ると、広大なヤーバブエナ
ガーデンがあった。ウォーターフロント再開発により、北米大陸の中西部で最大の芸術結集
地区と銘打って新たに生まれた「市民の憩いの広場」とのことである。贅沢な広さと造形である。
ここには国際会議場・展示ホールはじめ博物館・美術館もあった。また、さらに先のミッ
ションベイ地区にはアメリカ最大規模の『生物医学センター』が建設されたという。
ともかくアメリカのこういった集約施設建設は思い切ったスケールで展開される。こうい
う地域集中型の新開発設計は日本も大いに見習う必要があろうと思う。
サンフランシスコ近代美術館と、ジィウム (Zeum)と名づけられた子供や若者向け美術館
で、ビデオ製作体験等を通して創造力や独創性を育てる施設(日本にもキッザニアという施
設が東京にある)の周囲を歩きコンクリート広場の中に創られた緑の庭園で朝の空気を吸った。
○
ホテルに戻り、昨日、空田さんに「残された1日をどう過ごそうか」と投げかけたら、サウサ
リートはどうかと言われたので、「goodidear だ」といただき、はなと出かけることにした。
天気が良かったので、朝食はフェリービルでと決めたが、シビック・センターやベイエリ
アで最も歴史(1952年設立)のあるミュージカル劇場の外見だけ見ておこうと、ホテルを出て
2ブロックほど西へ歩いて行った。マーケットストリートとヴァンネスアベニューが交差す
るところがシビックセンターで、シティホール、の公会堂、連邦政府ビル、州政府ビルなど
の施設が集まっている。
シティホールはドーム型で端正なイメージの市庁舎、デザインはコイトタワーやオペラハ
ウスと同じ建築デザイナーのArthur Brown Jr.だそうである。
そこでバスを待ったがなかなか来ないのでBARTで埠頭へ向かうことにした。
時計塔で知られるフェリー・ビルディングは今では大きな市場として生まれ変わっていた。
リニューアルでサンフランシスコの「食」の見本市のように多くの地元の食材店が並んで
いる。海に面してパラソルを立てたスペースには席についている客の姿があったので、私た
ちもそこに仲間入りして、朝日に照らしだ出された街の風景を眺めながらコーヒーとサンド
イッチの朝食にした。
サンフランシスコは3方を水に囲まれ、世界でも最も美しい都市の一つだと言われている。
それに、気候は温暖、夏蒸暑いという日本の気候とは違いアラスカ海流(寒流)がサンフ
ランシスコ湾に入っている為、夏涼しく冬暖かくて快適である。
昨日のヨセミテは山中は涼しかったが、麓は暑かった。内陸へ入るとこの海辺の清々しさ
は消えてしまうのか。東京もまだ暑かったなどと思いながらサウサリートへ発つフェリーの
時間を待った。
フェリーは朝夕ここから出るが、日中はフィッシャーマンズワーフからとの事である。
約30分の船旅、Bay Bridgeを背景に市街を眺めながらアル・カポネも収容された刑務所
の島アルカトラズ島を遠巻きにして進んだ。彼方にはゴールデンゲートブリッジが少し陽に
煙って浮かんでいる。
○
私たちの乗ったフェリーは小さな港に着いた。ここサウサリートへは市内からゴールデン
ゲートブリッジを渡って行く人もあり、サイクリングでという若者も多いらしい。
アメリカ西海岸は、スペイン人によってゴールドラッシュの時代につくられた街が多い。
サウサリートは昔は小さな漁村だったそうだが、当時海岸線沿いに柳の木が茂っていた
ことから、スペイン語で「柳の木」を意味するサウサリートの名前が付けられたそうだ。
丘のふもと、せまい海辺の街ではあった。
だが、通りにはおしゃれな店が並び、サンフランシスコから日帰りで観光する人たちが多
いとの事だが賑わっている。
丘の上の住宅にサンフランシスコ湾をぐるりと見渡して暮らし、マリーナには自分のヨッ
トを係留して好きなときにセーリングに行くという、贅沢な生活を送るサウサリート住民は
芸術家が多いらしい。ここに住むことに憧れている人は多いと聞いていた。
港の脇には、2階建ての各部屋にバルコニーのついた洒落たホテルが建っていた。
メインストリートは海岸沿いのブリッジウェイ・ブルバード一筋である。少し歩くと海辺
に張り出したデッキを持つレストランが幾つかあり、ガイドブックで見た白い建物「ホライ
ゾン」という店が目に付いたので、少しお昼には早かったが入って休むことにした。テラス
席に座ると眺めが良く気持ちがよかった。
この街には個性的な建物をはじめ、ギフトショップ、画廊、レストランが点在している。
ギャラリーもたくさんあった。サンフランシスコとは一味違ったヨーロッパ風の街並みと
いおうか、海岸線を歩いているとまるで南フランスを思わせるおしゃれな街である。
「ホライゾン」はイタリアンがメインだった。綺麗に盛り付けた皿をウェイターが、狭い
デッキを手際よく行き来して運んでくれた。有名店はこういったところが行き届いていて気
持ち良い。海上を行く船と対岸のサンフランシスコの街を眺めつつゆっくりと昼食を楽しめた。
昼食後ブリッジウェイ・ブルバード一を歩いた。アンティークショップやブティックなど
が軒を連ねており、ほんの1kmほどの通りである。細い坂道へ誘導されそうな通りもあ
って、夕暮れから夜にかけて夜景を見ながらの散策も賑わうそうだ。
フェリーの港は海辺の公園に続いており、その先にヨットハーバーがあったので行ってみ
た。豪華さを競うようにヨットがぎっしりと並んで停泊していた。桟橋の入口に小さな「Ha
rbor Shop」があってセーリングに合うようなジャケットやシャツ、小物が置いてあった。
まだまだその日のような良い天気であれば、セーリングには絶好であろうにと思ったが、月
曜日のせいだろうか、マストの林立しているばかりであまり出入りの無いハーバーであった。
○
2:50のフェリーに乗ってサウサリートを離れる。
その便はフィッシャーマンズワーフへ向かうのだが、途中エンジェル島へ寄るルートだっ
た。エンジェル島はStateParkと印されていたから州管理の公園であろうか、緑の島、砂浜
に長く突き出して造られた桟橋から5〜6人の観光客が乗って来た。ホテルも無い自然のま
ま静かに保護されている島のように見えた。
ピア39 の隣の桟橋に着いたフェリーをおりて、折角の機会だからとピア39のショッ
ピングモールを歩く。
細長く大きい元桟橋の跡が無数のショップやレストランが立ち並ぶ観光スポットになって
有名だ。スポーツ洋品店で子供たちのお土産に地元のバスケットと野球チームのシャツを物
色して歩いた。突端のドック近くのデッキから野生アシカの大群を見たりもした。
しばらくコーヒーを飲み小休止する。
フィッシャーマンズ・ワーフ元々はイタリア人の猟師たちの波止場として栄えたところだ
そうだ。今この一帯は言うまでもなくサンフランシスコの名所として、あまりにも世界中に
有名になった。
ツアーで前に来たのはもう8年も前になる。自由時間に乗ったケーブルカーがチャイナタ
ウンのあたりで故障してしまい、後が続かないといわれ、地理不案内、言葉も分からずで、
集合時間にハラハラしながら、ともかく「フィッシャーマンズワーフ」と言う名前だけを頼
りに坂道を下りてきたのだった。
集合場所が、元デルモンテの赤レンガの建物にあるレストランで昼食と言うことだけが頭
にあったが、それがキャナリー(ショッピングモール)だとは後で知ったのだった。
いい加減な英語を恥じらいもせず、あちこちで道を聞きながら、やっとの思いで事なきを
得た。そんな想い出を振り返りながら懐かしい「キャナリー」への道路を歩き、2ブロック
ほど先のケーブルカー発着所へ行った。そこはパウエルメイソンラインの転換点で市のケー
ブルカーの事務所があり大勢の乗客が道路わきの手摺に腰を降ろして列をなしていた。私た
ちもその後尾について待っていた。
30分も待たされたと思った頃、やっとロシアンヒルを下りて来たケーブルカーが乗客を
降ろすと方向転換の作業をはじめた。事務所からも男手3人が出てきて人力で押すのである
。数分で作業は終えたが、1日にこれを何回もやるのだろうから結構大変な仕事だ。
それが終わって乗客の乗り込みが許可され、私たちも子供のように走り寄って一斉に乗り
込み、幸いにも後部の座席を確保できた。そして、全員が乗り込んで落ち着いた頃、近くの
青年にカメラのシャッターを押してもらった。今回の記念だ。
はなと、「また、途中で止まっても今回は歩く道もわかるから――」と笑った。
周りの乗客は若者が多い。何処でも若者たちは元気だ。グループになって楽しげに喋り続
けている。私には東洋人と他の国の人との区別ぐらいはつくが、東洋人らしき人は少なく、
どこの国の人かはよく解らない。皆アメリカ人とも見える。
ほぼ満員のケーブルカーはさらに停留所を過ぎるごとに乗客を増やし、丘の頂上から左折
して下り始めるころはすし詰めになった。デッキにぶら下がる人は、空いている電車でも当
たり前に見えたが、満員の電車にぶら下がる図の方がサマになる。道行く人に奇声を投げか
けながらぶら下がる若者たち、サンフランシスコ遊覧気分というのまさにこのことかと思う。
ゴトゴトと軋む電車に身を震わせ、乗客のざわめきの中に埋もれて過ごすひと時が貴重に
思える。それは旅に出て、期待から離れて身を委ねるべき過ごし方のようである、と思う。
ノブヒルからの下り坂は、これでよく事故が起きないな、と思うほど電車は前傾でスピー
ドも加わる。今回は故障も無く、無事にパウエルに着いた。
ホテルで小休止して、ホテルNIKKOの日本食レストランへ夕食に出かけた。メニュウ
には「にぎり寿司」があったので、これ幸いに注文した。 しかし、酢の利かない小ぶりのに
ぎりで、とても日本仕込みの職人が握ったものではなかった。おまけに赤出汁はインスタン
ト、席に着いたときお茶がもらえず、有料で頼んだがやっと帰る頃出てきた始末。ウェイト
レスは日本語が出来なくて、プライドのあるホテルとは言えず、日本人としては寂しく思った。
しかし、ふらりと過ごす貴重な3日間のサンフランシスコ滞在ではあった。
(風次郎)
ケーブルカーの転換作業
風次郎の世界旅』 トップページへ
サンフランシスコ・ヨセミテ・ニューヨーク(5)へ
* 風次郎の「東京ジョイライフ」ホームページのトップへ
* 風次郎の『八ヶ岳山麓通信』へ
* 風次郎の『善言愛語』へ