サンフランシスコ・ヨセミテ・ニューヨーク(0709)

                                                  BGM Music Factory


坂道を登るケーブルカー

   2.丘の街を歩く



 3時頃から、市内を歩いてこようとホテルを出た。
 成る程、外に出て周囲を見渡すとユニオンスクエア側は繁華街であるが、振り返ると打
って変わって人気の無い静かなところだ。部屋の窓から見た、MARKETst.の向こう
側は今は使われていない造幣局の古い工場敷地になっていた。
 その大通りから引き込まれた小路を隔てただけの違いでこんなにも様子が違うものなの
か。大通りへ出て、今朝着いたBARTの駅の方へ歩いた。GAPマークのある店の交差
点を少しユニオンスクエアの方に向うと「MACY'S」があった。
 「MACY'S」では洋品雑貨売り場とかぐ売り場を見た。折からアメリカでは不況傾
向が伝えられ、消費下降が伝えられていたのでカリフォルニアの人気都市にその気配はあ
るのかを感じて見たかったのだが、日曜の夕方とあって、用品雑貨のフロアーは家族連で
賑わっていた。景気を反映するといわれる家具売り場は上階にあって、3組ほどの客が品
定めをしており、身なりの整った店員が対応している様子だった。
 アメリカではベッドや姿見など寝室用の大型のものがよく売れるそうだ。このフロアー
もそういった場所をとる商品で半分占めている。私は、ダイニングテーブルなどキッチン
用品やデスクや書棚など書斎道具を見るのが好きだが、そちらにはあまり客はいなかった
。カットグラスをそれとなくはめ込んで、縦長の大きな書棚を眺めていると老齢の夫人店
員が「如何ですか?」と声をかけてきた。
 「日本から観光に来たのですが、これなど上品でいい感じですね。」と言うと、何と日
本でも送ると言う。成る程、送料など気にしない買い物を楽しむ人は大勢いるのだろう。
こちらの思惑だけで会話を進めてはならぬ事を知った。
 大勢の客がいたわけではないので、しばらく話しているうち、やはり高級品は売り上げ
が減少しているとの本音らしい事も言っていた。上品な夫人店員で、会話は気分がほぐれ
た。
 窓に寄ると、下は道を隔ててユニオンスクエアだった。ユニオンの名は南北戦争の北軍
(Northern Union)から由来し、南部同盟に対抗するデモを起こした広場の名とのことで
ある。POWELLst.とSTOCKTONst.に挟まれた1ブロックの街中の公園は、午
後の陽射しの中に沢山の人が出て、ステージのハワイアンバンドを聴いたり、コーナーの
テントショップで花を眺めたりしている人々の寛ぐ風景だった。傾いた夕陽は、心地良さ
そうにそそいで見えたので、私たちも連れ立って坂道を上のほうに歩いてみることにした


 3ブロックほどはフェアモントやホプキンスなどホテル街であった。ケーブルカーが博
物館の方へ曲がって行くワシントンst.あたりまで来ると、ビル街と言うより木造の建物
も混じるようになり、古いサンフランシスコを思わせる。このあたりはノブヒルと呼ばれ
、ドクター・アーサー・ハイネがこの丘の頂上付近に家を建てた頃は、交通手段がなく急
坂な地域に貧民が多く住んだといわれる。今はケーブルカーの発展に伴い眺望の良さもあ
って大金持ちたちの住居となった。そしてノブ・ヒルの名前の由来であるネイバブ
(Nabob)という言葉が生まれたのである。
 振り返ればダウンタウンから海への典型的なサンフランシスコの爽快な風景を見ること
が出来た。
 数年前、ロスアンジェルスに観光に来て、1日だけサンフランシスコに観光に来たとき
、CANNARYから乗ってきたケーブルカーがこの辺で故障してしまい、二人でこの丘
を駆け下りたことなど、思い出話をしながら歩いた。

 私たちはそこから右折してチャイナタウンへ向かった。チャイナタウンはゲートがある
ユニオンスクエアの2ブロック上あたりから続いていて、そのあたりは食料品、漢方薬な
どの店が多かった。
 ここは中華街でも全米一の規模を誇るといわれ、ゴールドラッシュの頃からの中国移民
たちによるコミュニティからの歴史がある。アメリカではニューヨークのチャイナタウン
とともに華僑たちのパワーが賑やかで、派手な商店街に象徴されるようになった。何処も
変わらずけたたましい雰囲気のチャイナタウンだが、ここも違わず、雑踏が両側の日除け
を下げた店舗前を埋めていた。

 斜めにはしるコロンバスアベニューから、市内でも古い公園の一つワシントンスクエア
ーに出て、本を読んで寛ぐ老婦人の隣のベンチで小休止した。芝生はボール遊びをする若
者のグループや、犬と戯れる近くに住む住民など、さまざまな日曜日のたそがれ時のリラ
ックスムードの中で過すのも悪くは無い気分だった。
 近くのノースビーチではイタリアンレストラン街が早い夕食の客たちで賑いが始まる時
間である。私たちもちょっとデッキ風の感じのいい店を見つけて席に着いた。
 給仕のように前掛けをつけた若い別嬪女性の呼び込みに誘われるように店に入って、「
あそこのデッキの空いているところ」と指差すと、ひげを生やした親父が「OK,OK」
と快く案内してくれた。別嬪さんはすぐに外へ出て、道行く人に笑顔を送り、呼び込みを
続けていた。彼女は呼び込み専門のようだ。上手くやってる! 
 1860年代まではこの辺りが海岸線であった為、今でもビーチという名前が残ってい
るとのことだ。イタリア系移民の多く住んでいた地域で“リトルイタリー”とも呼ばれる
エリアで、ライブミュージックやダンスホール等サンフランシスコのナイトスポットとし
ても人気があるらしい。
 サラダとシーフードの空揚げをもらって多様な人で賑わう通りを眺めながら過した。

 テレグラフヒルの下り坂からフィナンシャル・ディストリクトへ向かうビルの眺めは、
サンフランシスコの象徴コイトタワーが良く目に付くが、一番高いのはトランスアメリカ
社のビルである。
 真っ直ぐ下ってそのビルの下を通り、左側、マーケットストリートに突き当たるまで、
付近は西海岸のウォール街とも呼ばれる金融街、多くの銀行、保険会社、証券取引所など
の高層ビルが集まっている。が、日曜のそのあたりは閑散としていた。
 そして、マーケットストリートをPawellまで歩いてホテルに戻った。

                                                           (風次郎)

   
  中華街

           
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