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11.終章
16時50分、やや遅れたもののタイ航空 TG482 便はまだ明るいパース国際空港を飛び立っ
た。 上空を大きく旋回しながら、一旦は南へ、そして機首を北へ向けて行く。
機上からも、西からの太陽が眩しい。
右手の下の方に、市街地から曲がりくねって上流へと伸びるスワン川の流れが見えた。
川は北西に延びて緑の平地を潤し、河岸はワインの産地に委ねて遥かに点在する湖沼地帯に続
く様が見えている。この大きな大陸は、その中央部の殆どが砂漠地帯だと言うのに、その砂漠に
は広大な湖沼を成す湿地帯が広がるといった自然の造形である。言わば、スワン川の水源は砂漠
だとの矛盾を言わんばかりに。
この旅では一方で天の恵みを頼りにして、雨水を貯めそれを生かして豊かに生きる農作の実態も
見たのであった。両者を並べてみると不思議な国である。
そして、世界最古の生物「ストロマトライト」の生態をこの目で見た。
先頃の研究の成果で、化石か生物かの疑問に終止符が打たれ、藻の状態は生き物と結論付けら
れたという。海中に棲む不思議な生体であった。それを目の当りにしたことは、私にとってこの
旅のハイライトであったろう。
そもそもははな(妻)に誘われてジャカランタの花をめでに来た休養の旅であったが、なかな
か来れない南半球の、春の清々しい空気は欧風を飾るパースの街並みや居住区の雰囲気と共にエ
レガントな生活の漂いがとても良かったと思う。
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この国は大陸の北東部が熱帯雨林または熱帯季節風気候に属し、サンゴ礁が広がるグレートバ
リアリーフが有名な観光地にもなっている。
オーストラリア、ニューギニアとインドネシアでの動物・植物種の共有は、当時の陸橋往来の
結果と言われる。現状の地図形は、最後の氷河期の終わりに海面が上昇し、オーストラリアとニ
ューギニアの間が海でへだてられたにすぎないと言われる。
そして中央南部、ノーザンテリトリーのウルルも地形創生の複合遺産として認められたオース
トラリアの代表的な自然景観で、「エアーズロック」など有名な観光地になっている。自然の造
形、地球創世期の形が残る貴重な場所なのかも知れない。
鉱山資源も極めて豊かである。大陸東部のグレートディバイディング山脈では石炭が、北西部
では鉄鉱石が、西部では金が産出する。大陸北部ではボーキサイトやウランが産出し、世界有数
のボーキサイト・ウラン輸出国にもなっているのだ。
反面、砂漠地帯が広くオーストラリアの自然環境は非常に苛酷であるとされる。
土壌の栄養分が極めて乏しいこと、塩害が発生しやすいこと、降雨量が少ないこと、この三つ
の理由から大陸の40%が非居住地域となっている。
こうした悪条件により、穀物生産や牧畜業、果樹生産など広範な分野においてオーストラリア
の農業生産性は極めて低い。また河川から海に流入する栄養分も貧弱なため、漁業生産もその広
大な排他的経済水域から考えると非常に少ないとされてきた。また、近年の地球温暖化の影響に
より、降雨量が更に減少し、農業、畜産、日常生活に大きな影響を与えているとのことである。
ヨーロッパの入植者によって砂漠地帯は開発されてきたが、他方で害虫を駆除するために多数
の外来種生物が持ち込まれ、天敵が生息していないオーストラリアでは個体数を急激に増やして
いる。結果、在来生物を絶滅・減少させ生態系が破壊され、牧草や農作物へも被害を及ぼすとい
う問題が深刻になってきているという。
更に南極上空付近のオゾン層破壊による紫外線問題があり、紫外線照射によ皮膚炎、皮膚ガン
患者数は年々増加して、政府が国民に対し、外出の際には紫外線対策を怠らないように警告を促
すほどであると聞いた。
一方、政治面ではアジア・太平洋地域における日本の重要なパートナーとなりつつあるものの、
日本の調査捕鯨に対しては批判的であり、我が国の難問でもある。
すべからく物事に良いことと、不都合なことが共存すると考えれば、あとはバランスを取るか
妥協に納めるかということになろう。ことは全てややこしく難しい。そして長い時間を経た自然
界の営みと並べて考えるとき、さらに難しくなるのである。
時の経過を重んじ、自然に帰ることの大切さはいつも人の心の中の拠所として置き据えておか
ねばならないことかと思う。人は争いの為に社会を形成したのではない筈だ。
○
体調を崩さなくて良かった。
風邪をひかなくて良かった。
乾燥地帯に懸命に生命をつなぎ人々の心を優しく和ませる美しい花々の存在を確かめることが
できてそれも良かった。
バンコクで真夜中のトランジットをスムーズに終えて、計13時間の空の旅。成田国際空港へ
の着路は北から。タイ航空TG642便は静かに滑走路をとらえていた。
11月6日朝、日本に帰ってきた。
ここでも眩しい朝の陽光が青い空のもといっぱいであった。
晩秋の日本の風景が広がっている。
丁度朝のラッシュの頃、私たちは京成電車の客となり再び平穏な生活に戻り始めた。
心持、沿線の街並みが穏やかに見え、平和な国を思うのだった。
(完)
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