住宅街のジャカランタ並木
4日目の朝をプレトリアで迎えた。
昨夜の予報では雨が残るかも知れないとのことだったが、窓のカーテンを開けると、彼方に朝焼けが
広がっていた。シェラトンの3階、私達の部屋は窓からこの国の象徴ユニオンビルの丘が見渡せ、その
広場に丁度満開のジャカランタが咲いているのだった。
当に旅行ガイドの案内にあった通り、ジャカランタの咲く並木が目の前のホテル、であった。
私は階下に降りて、朝の散歩に出ることにした。
南アフリカは治安が特に良くないと聞いていたので、エントランスにいた3人ものガードマンに咎め
られはしないかと気にしたが、彼等は「気を付けて!」と笑って送り出してくれた。地図で確認すると
ユニオンビルとそれを囲む広大な公園緑地の南東側はなだらかな丘となっており、アフリカ各国の大使
館などが集まって居る地域のようだったので、そちらへ向かった。
区画が整然とした街並みの朝は心地良かった。
ホテルの前スタンザ・ポペパ・ストリートを東へ2ブロック程行って、イーストウッズ通りの坂を上
がり始めると、堅く閉められた門の上に標識があり、そこは教会であった。その先へ進むと同じような
公共施設のような建物が並んでいたが、建物の陰には数人、さらに進むとまた数人、そしてさらには少
し広い場所に布団を敷いて大勢のホームレスが寝込んでいるのであった。
中にはうろうろと寄って来そうな気配もあったので、憐れをを感じつつもトラブルは困ると思い、私
は歩を速めて方向を変た。仕方なく坂道を下りてユニオンビルの見えるジャカランタの並木道を歩くこ
とにした。ホームレスはこの国の裏事情かなとも思った。
ホテルの前を反対方向に100mも行くと、ユニオンビルへの入場門があり、建物へ続く道路と広い
緑地公園に自由に入れるようになっていた。ユニオンビルは南アフリカの行政府所在地として、大統領
府などが入っている建物である。独立当初の南アフリカ連邦(英語の Union of South Africa)の国名
に因んで呼ばれている。
公園には市民ランナーが大勢走っていた。私もかつては市民ランナーだったので、親しみを感じなが
ら、すれ違った若い黒人の女性に「おはようございます。張り切ってますね!」と声を掛けると、「や
ー!」と笑顔を返してくれ、何処から来たのかと問われた。「日本人で、観光に来たのだ」と答えると、
ユニオンビルディングを案内したいと言う。いかにも親しげで有難かったが、「一泊のツアースケジュ
ールで時間がないから」と、お礼を言って別れた。
親しげに接してくれたことに感謝した。
公園はビルの前が花壇をあしらい、段差になった緑地に、独立記念演説をするネルソン・マンデラの
像があり、正面の道路に面した広大な芝生の中に初代首相の騎馬像があった。
私は、芝露を気にしながら暫らく歩き、芝生に朝陽が射しこみ始めた頃、今日も好い天気になりそう
で良かったと思いつつホテルに引き返した。
朝食後、今日のガイド英人女性ビッキーさんがホテルのテラスからユニオンビルディングや公園の様
子を解説してくれた。
見渡す一面のジャカランタに、これが今回の旅行の目当てであったはなは歓び勇んでいた。
今日一日は、このジャカランタを満喫するスケジュールが予定されているのである。
私達はバスに乗ってホテルを出発した。郊外の別の公園のジャカランタ見物に向かう。
通過する市街地は朝の活気づく時間帯であろう。人通りも車の流れも、久し振りに目にする都会の風
景であった。
プレトリア(Pretoria)という名称は、イギリスによる植民地支配に抵抗したアフリカーナー(ポー
ル族、オランダ系移民)のアンドリース・プレトリウスに由来している。
国の首都(行政首都)の場所であるが、南アフリカ共和国ハウテン州北西部のツワネ市都市圏にある
地区の名称であるとのことだ。
2000年までは、単独の都市としての権限を有していたが、2005年3月8日、プレトリアの市議会によっ
て市名をツワネ(Tshwane)に改名する事が決議され、同年5月、南ア地名評議会(SAGNC)も「ツワネ」
に改名する案を認めた。
「ツワネ」は先住民ンデベレ族の首長の名前である故、アフリカーナーが改名に猛反対した。そのた
め、のち、「ツワネ市都市圏」の成立により、プレトリアはツワネ市都市圏の一行政区として存続する
ことになり、「プレトリア」と言う名称の自治体は存在していないとしたのである。(プレトリアと同
様、都市圏の拡大により「首都」の定義に議論があるケースとしては、インドの首都機能が置かれるニ
ューデリーを包摂するデリー連邦直轄地が挙げられる。)
バスは市街地を通り過ぎて、高台の住宅地へ向かっていた。成る程どこの街路にもジャカランタの木
は絶えなかった。RIGEL VVENUE の看板が立っている50m程の広い通りの行き交う交差点近くに、バ
スが止められた。
バスを降りると、あたりは瀟洒な住宅街で、道路の両側はジャカランタの並木の舗道が続いていた。
白壁の邸宅が角にあり、その白とジャカランタの藤色がとても好もしい取り合わせに映ったので、そ
の辺りが鑑賞のポイントになったようだった。歩きながら皆で記念写真を愉しんだ。
自邸の庭にもジャカランタの大木を配した大きな邸宅もあった。どの邸宅も高い塀に条網を張って防
犯をほどこしていたが、国際的に及ぶ観光の風景の中とあっては致し方ないことかと?―。
しばらく散策を楽しみ、次には芝生の広がる公園に行った。
遥かに市街地が見える高台で爽やかだった。やや傾斜がかった公園の周囲には比較的若木のジャカラ
ンタが並んでいたが、ここも見事に咲き、春の陽射しが明るい芝生には犬を放して戯れるなど家族の姿
も見えた。
春に咲き誇るこの街のジャカランタが、世界的に有名を馳せている様子が良く現わされているように
感じた。
ジャカランタは、アルゼンチンが原産で、ノウゼンカズラ科(キリモドキ属またはジャカランダ属)
の落葉樹である。細長でアカシアに似通った葉が散ったあと、春に釣鐘のような藤色の花が垂れ下がっ
て咲く。生命力逞しく、神秘的な美しさから世界の3大花木(ジャカランダ、 カエンボク (火焔木)、
ホウオウボク(鳳凰木))のひとつ、紫の桜とも云われている花木である。
プレトリアは、街をこの花でアピールすることを掲げて、アルゼンチンから幼苗を取り寄せ、今は7
万本にも及ぶジャカランダが、街路樹をはじめとして全域を覆うようになったのである。文字通り「ジ
ャカランダの都」である。
公園の丘を下り、私達はつぎに軍人の住むアパートが並ぶ地域の通りを歩いた。舗装の無い道路をジ
ャカランタが覆うように続いていた。静かな処で、昼近い時間、普段着の連れ立った婦人や学生風の人
たちと行き交った。何れも黒人であった。
学生風の男に、「この近くに学校があるのですか?」と、訪ねると、角を曲がった処が自分の学校だ
とのこと。技術系の学校らしかった。
日本から綺麗なジャカランタを見に来たことを告げると、その青年は「日本は良い国だ。是非一度行
ってみたい。」と言った。お互いに「良い一日を!」と別れた。
私はアフリカ南部では日本人も白人と同じように、黒人からは敬遠気味だと聞いていたのだが、この
旅に来て、所々で黒人と交わす会話からは、素直な親しさ以外に排他感など少しも感じずに過ごしてい
ることを嬉しく思った。平和こそグローバルの基盤であることを改めて感じたように思う。
私達のランチタイムは市内の広い自然公園の中にあるレストラン「ラーディマリア」で過ごした。
大きなジャカランタの木の下にテントが張られ野外テーブルが用意されていた。見渡す先にインパラ
やシマウマが遊んでおり、涼しい風が通り抜けて気持ち良かった。
野菜サラダとチーズをたっぷり使ったビーフシチューが美味かった。ビールは廻って酔ってしまいそ
うだったので、グレープとリンゴのスカッシュのようなジュースを戴いた。
ガイドのビッキーさんが、今日は労働者の待遇改善を訴える規模の大きなデモが予定されていて、バ
ス巡りも注意深く進めているとの話があった。午後は早めにヨハネスブルグへ移動して、そちらのジャ
カランタも観賞しましょうとのコメントであった。私はむしろヨハネスブルグの街も体験できることは
嬉しかった。
風次郎
アフリカ南部の旅(10)へつづく
公園のジャカランタ ジャカランタと戯れるはな
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