風次郎の世界旅
 アフリカ南部の旅
(5)

     
  キングダム・ホテルのエントランスと宿泊棟に囲まれた中庭

5.キングダム・ホテル

 
                     現地1日目、10月30日(月)はジンバブエの夕暮れを迎えた。
                     ホテルは1994年に設立された294室の大型ホテル「キングダム」である。フロントは広いロ
                   ビーを兼ねていて、大きなソファーが数カ所にあり、ダイニングレストランと、吊り橋の掛かった、
                   又プールを兼ねた池のある瀟洒な庭が眺められた。その中庭を囲むように設計された2層、3層の客
                   室棟建物は5〜6棟に分かれており、私達には本館に続く1階の部屋が宛がわれた。
                    バルコニーが付いた広い贅沢な部屋であった。バルコニーへのガラス戸を開け放しにしていると、
                   いつの間にか野性の猿が来て部屋を物色するらしい。また虫も多いのでバルコニーで寛ぐ時は気をつ
                   けて、と萩原さんのコメントがあった。しかし大きな窓に写る中庭のバオバブの木には、気分をゆっ
                   たりさせられる雰囲気があって良かった。

                    ナイアガラフォールズの観光を終えて、1時間ほどの合間に、シャワーを浴びてサッパリし、夕食
                   会場へ出掛けると、最早300席はありそうなレストランは宿泊客で満席になっていた。大半がヨー
                   ロッパ系の人らしく見えたが、他の日本人の旅行グループの顔も見えた。
                    このホテルの食事は、基本的にビュッフェスタイルのようである。私達のグループは入り口に近く、
                   ステージを兼ねたスペースの脇に席を得て夕食会が始まった。奥まったコーナーに料理のテーブルが
                   あり、所々には白いキャップをかぶったサーバーが立って色々な種類の料理がサービスされているの
                   であった。
                    アフリカ南部ではサザ(Sadza )というトウモロコシの粉で作った練粥が伝統の主食とのこと、これ
                   をチキンや他の動物の肉入りのシチューで食べるのが普通で、あまりレパートリーは広くないそうだ。
                   肉料理もステーキを焼いてくれたり、コッテリしたソースに浸したり並んでいた。魚類は殆ど無か
                   ったが、野菜は豊富で、とうもろこし、キャッサバ、ヤムいも、ピーナッツ、カボチャ、ピーマンな
                   ど分かり易いものがあった。スパイスの並んだコーナーを覗いたが、説明が良く分からなかった。
                    私もハナもジンバブエ産のビールをいただきながら、無難にステーキと2〜3のありふれたものを
                   いただいた。途中で地元民族の賑やかなダンスショーがあったり、今回、メンバーで一緒にテーブル
                   を囲むのは初めてだったから、少しずつ新しい話題が出て楽しく、和気藹々と過ごす事が出来た。
                    部屋に戻ったのは10時過ぎであった。

                                    *  *  *  *  *
 
                    ――ジンバブエを思う。――
                    翌朝、いつものように4時には目が覚めた。どうせ眠れないからと、日記を書いたり、荷物の整理
                   をしているうちに窓の外が明るくなったので、私は部屋を出た。自分の部屋の窓から見える中庭の吊
                   り橋を渡り、対岸の3階建の客室棟の方へ行ってみた。
                    池には蒲のような茂みがあり、岸の草叢に鳥がファミリーで移動していた。家族で朝食を探してい
                   るようでもあった。静かで平和なひと時のようであった。
                    良く見ると鳥たちは鳴きもせず、ちょっと雉に似た大きさで紫を交えた美しい羽をしていた。まさ
                   かとは思ったが、この国には、ジンバブエの栄光のシンボルであり、アイデンティティを示す「大ジ
                   ンバブエ鳥」がある。世界遺産であるグレート・ジンバブエ遺跡で発掘された鳥の石像をモデルに国
                   旗の絵柄になっている(国旗では黄色の鳥)。
                    「キングダムホテル」はそのグレート・ジンバブエ遺跡の構図をもとに建物の配置設計をしたと言
                   うから、この鳥がそれに因んだ大ジンバブエ鳥かと――?瞑想は滞在中には解明できなかった。
                    帰国して、東京のジンバブエ大使館に問い合わせたが、やはり大ジンバブエ鳥は遺跡に発見された
                   以外現存はしないとのことであった。
                    ジンバブエは、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカ共和国に隣接し、首都は標高約16
                   00mの高原の丘にあるハラレである。国名はショナ族の言葉で「石の館(家)」を意味し、その世界
                   遺産グレート・ジンバブエ遺跡に由来するのである。
                    13世紀から14世紀中には、グレート・ジンバブエと呼ばれた王国が栄え、16世紀から17世紀にかけ
                   て、ポルトガル人の侵入に苦しむが、それをも撃退。その後地方首長国の分立状態を経て、かつては
                   英領南ローデシアと呼ばれていた。
                    農業、鉱業、工業のバランスの取れた経済を有する国家であった。進出した白人大規模農家による
                   非常に効率的な農業が行われ、外貨収入の半数を農産物の輸出で得ている農業国として、それは、ヨ
                   ーロッパから「アフリカの穀物庫」とまでも呼ばれるほどであったという。
                    がしかし、その恩恵を本来の国民である彼らが受けることはなかったのであった。憐れむほどに、
                   この国の辿った極端な歴史がある。
                    ここにも黒人と白人の差別に由来する過去が、現状の底に存在しているのである。

                    振り返れば、19世紀後半、英国による南アフリカ地方の開拓はセシル・ローズ(英領ケープ植民地
                   の首相にもなり、「アフリカのナポレオン」と呼ばれた)に寄るところが大きかった。
                    ジンバブエが英の南アフリカ会社設立(ローズも関与)によって統治された後、第一次世界大戦後
                   には英植民地に組み込まれ、1888年―1965年の間イギリス領南ローデシア(セシル・ローズの名に由
                   来。また、ここもアパルトヘイト国)となったのであった。国土のほとんどは白人農場主の私有地と
                   なり、先住民達は先祖の墓参りの自由すらなかったと言われる。
                    のち、ローデシア紛争を経て、1980年には総選挙が行われ、「ジンバブエ共和国」が成立したので
                   ある。カナーン・バナナが初代大統領に、ロバート・ムガベが初代首相に就任した。そして、1987年
                   からは儀礼的役割の大統領を廃して(首相職も廃止)現行の大統領制に移行し、それまで首相だった
                   ムガベが大統領に就任、現在(2016)に至っている。
                    ムガベは当初黒人と白人の融和政策を進め 、国際的にも歓迎されてきたのであったが、2000年8月
                   から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配する「ファスト・トラ
                   ック」を開始した。しかし、この結果は、白人地主が持っていた農業技術が失われることになり、食
                   糧危機や第二次世界大戦後世界最悪になるジンバブエ・ドルのハイパーインフレーションが発生する
                   事に繋がったのである。
                    また、ムガベ大統領は第二次コンゴ戦争への派兵に専念していったため、ジンバブエの経済や医療、
                   教育などが悪化した。表向きはコンゴの民主化をも守るという大義であったが、真の目的としてコン
                   ゴにあるムガベ一族所有のダイヤモンド鉱山を守る事や、それらのダイヤモンドのほか銅や金など、
                   コンゴの地下資源を狙う私的な野心もあったという。
                    結局は、基幹産業である農業の崩壊に端を発して生じた外貨不足から経済は極度の悪化、加えてそ
                   こに旱魃発生が重なり、より食糧不足が深刻化したのであった。
                    さらには、欧米各国による経済制裁が影響し、独自通貨ジンバブエ・ドルは2000年代に一気にハイ
                   パーインフレーションを発生して価値を失った。1980年にローデシア・ドルに代わって導入された自
                   国通貨「ジンバブエ・ドル」(ローデシア・ドルと等価交換)は、中央銀行の数回デノミネーション
                   実施によって年間インフレ率は約2億3000万%に達した( 2009年1月)のであった。
                    2015年には廃止が決定される至ったのである。 
                    現時点では、主に米ドルが利用されている。

                    こうした経済混乱に、長期政権・一党支配に対する不満と相まって、現在は治安の悪化も問題とな
                   っていると聞く。また、言論の統制などの強権的な政策は、外国や人権団体などから批判を受けてい
                   る。
                    一方で、国内では植民地時代の影響で反英感情または反白人感情が強く、最近は非白人国家の中華
                   人民共和国と友好関係を深めているといわれる。
                    尚また貧しさの中で、国民の約3割が HIV に感染しているといわれており、WHOの2006年版の「世
                   界保健報告」によると、平均寿命は36歳と世界で最も短い(1990年の時点では62歳であった)という
                   健康問題も生じているのである。 
                    近代化への立ち上げと目まぐるしい政情の変化があった国である。

                                       *  *  *  *  *

                    私は2日目の朝もホテルを出て、街並みを歩いたり、集落へも近づいて見た。勿論ほとんどの店舗
                   は早朝であるから戸締りが施されていたが、中には店先に商品を並べたままにしてあるところも眼に
                   つき、治安が悪い様子は感じなかった。
                    行き会う黒人の表情は穏やかで、体格が良く逞しさを感じた。
                    道路を歩いていた男に呼び止められて、何をしているのか問われたので、「散歩しているだけ」と
                   答えると、「この辺には見るような処はないから」と、ホテルの方を指して、外国の人はホテルの中
                   へ入れてもらえるだろうから、中庭が素晴らしいからそこを散歩した方が好い」と勧めてくれた。
                    その時は「そんなものか――」と、「Rearly! I am staing there.」で笑って受け流したが、考え
                   てみれば、ホテルは国家がアイデンティティを示すグレート・ジンバブエ遺跡の構図を取り入れてい
                   ることを意識してのお勧めだったとしたら失礼した、と後で思ったりした。
                    それにしても、早朝のガソリンスタンド辺りでたむろしている、所謂輩(やから)?達も、第2外
                   国語であろう英語を難なく話せるのには感心した。これがいかに彼等のやむなき環境から来るにせよ、
                   グローバルな時代に生きるには英語は肝要なのだと思わされた。
                    ホテルのすぐ近くに、今は列車は殆ど走っていないと言う「ビクトリアフォールズ駅」があったの
                   で行ってみたが、人の気配はなく、住宅地からホテルへ通勤する人たちの通路になっている様子であ
                   った。
                    そんな人々の中に、保育園児らしい紺の制服を着た子供を連れた夫婦がいたので訊ねると、「キン
                   グダムホテル」のカジノが開催されている棟(巨大な建物)には保育園があって、従業員の子供達を
                   預かっているのだそうだ。本当かどうか、ホテルに勤めている等、外国人と接する職業人はエリート
                   でもあるとも言っていた。

                    時には危険な目にも合ったり、恥をかいたりもするが、私的な散策での行きずりの会話は、他愛な
                   くとても楽しい旅の土産話である。
    
                                                                     風次郎
                   アフリカ南部の旅(6)へつづく

  
     ディナータイムノ現地ダンスショー             ホールには巨大な木彫

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