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ブダペストで旅程6日目の朝を迎える。
ホテル「ダヌビウススパ ヘリア」はペスト地区市街地の北の位置し、鎖橋から上流2つ目のアールバート橋の袂にあった。
河畔の公園に隣接し、ドナウに浮かぶ島マルギット島の常緑を目前に眺める恵まれたロケーションで、スパをうたった通り、
温泉浴が楽しめる大きなホテルだった。温泉と言っても日本の様式とは少し違って、いわば室内に造られた露天風呂とプー
ルを合わせたような造りになっているので水着が必要とのことであった。はなの友人Mさん、Hさんはこれに備えていて早朝の
入浴を楽しんだ(体験)ようである。
私は早朝のドナウ川辺を歩いた。
公園に松の木があるのが何となく親しみを覚えるのだった。松は富士と並べて日本の象徴的な樹木である。ヨーロッパの松
は日本のものに比べると松葉の長さが長く、木もごつごつが少なくすらっとしていると思う。公園の松は背丈が4〜5メートル
で他の木々より低く並んでいるのがいかにも松らしいと思った。
松の下を潜って車両が走る2車線の道路を横切ると散策路があり、さらに1段下の川辺は船が寄せられるように岸壁が続
いていた。
眼前の川中にあるマルギット島は車の進入を禁止した市民のための緑の公園とのことであるが、真向かいに見える2棟の
ホテルから早朝の静かな川面に灯りが注がれている。
この街もたくさんの公園に恵まれていると思う。環境が整備されていて羨ましいと思った。
下流に向かって歩を進めると、こちら側の公園に続く緑地に包まれた中にも別のホテルが2つ並んでいた。その先には、
マルギット島の下流側先端を結び、さらにブダ側に通ずるマルギット橋の橋上を地下鉄が走っていた。
その鉄道の下から先へ進むと河畔の道路は国会議事堂の敷地に阻まれて迂回していた。
議事堂はネオ、ゴチック様式で荘厳なつくりが目立つ。中央のドームと多くの尖塔がまるでたくさんの教会が集合している
がごとき印象を受けるのだった。衛視が大きな建物の周囲を、時をおかず巡視しているのが厳しく映った。英語で声を掛け
てみたが、「No」というばかり、余計な会話は禁じられているのだろう。
議事堂と向かい合う形で民族博物館があった。これも中央に塔を掲げ、両翼に広がる宮殿のような建物、しかし議事堂ほ
どの大きさはなく、ドーム屋根や尖塔のない点厳しい印象はなかった。その落ち着いた風格はこちらを議事堂と名乗っても
良いと思えるほど堂々たる建物と思った。
そして、すぐ近くに「自由広場」があった。その中央には旧ソ連による開放記念碑が立っていた。これはナチスドイツからの
ブタペストを旧ソ連が開放したときのものである。
この国の自由は、ファッショ下から社会主義により開放され、さらに次に襲った弾圧を跳ね除けて得た貴重なものであった
ことの思いを新たにさせられる場所と思った。
1956年10月の「ハンガリー動乱」に端を発した民主化運動は営々と積み上げられ、シェブロンの「汎ヨーロッパ、ピクニ
ック」事件を契機に現代民主化に向けて一気に流れを早めることになったのだった。
朝の街は静かで、朝の広場は閑散としている。その何と平穏なことか。
現代に生きる仕合せを感じながら、これから活発に動き始めようとする繁華街のバミー通りへ出て行った。
右手にはブタペストから何処へでも出かけられる鉄道玄関口「西駅」、続いて、窓からは多くの国の人々が街を眺めている
であろうヒルトンホテルが並んでいた。2つのモダンな風格の建物が現代自由主義の素晴らしさを語っているようでもあった。
泊まっているホテル「ヘリア」へはバミー通りを北上すればいい。しばらくその通りを歩き、地下鉄のハールパート、ヒード駅
の交差点を左に折れてホテルへ戻ったのだった。
はなの体調が戻って良かった。
朝食のメニュウに日本食が含まれていたのは、和風好みのはなにとってはこの日はとても恵まれたことだった。単にご飯
と味噌汁だけではなく、おかゆもあり、梅干、のり、納豆まで用意されていて、はなの食事が進んだので、この分なら大丈夫
とMさんHさんも喜んでくれた。
この日は自由行動の日だったので、昨日はなが見られなかった王宮の丘に上ってみることをMさんHさんに賛成してもらい
4人で宮殿のあとである国立美術館を見学することにした。それから鎖橋を渡り市街地を散策して地下鉄にも乗ってみようと
コースを想定した。
女性にとっては何と言っても買い物が大事なことだ。ホテルのみやげ物店で時間が掛かったり、隣にあるスーパーマーケ
ットでポピュラーなみやげ物を調達したりしていたので、出発は10時ちかくになった。
コンシェルジュにタクシーを呼んでもらうと、10分ぐらいして日本のクラウンぐらいの大きさの車が来た。どこの国で造られ
た車かはわからなかったがそう内装の良い車ではなかった。私が助手席に乗せてもらい、1台ですんだ。運転手に適当に
英語で話しかけてみたが言葉がまったく通じなかった。
昨日ガイドからハンガリーは文化的に東洋民族の影響を受けていることが多く、特に言葉は文章構成が主語述語と並ん
でいるところが日本語と同じだと聞かされていた。しかし、私には、他の東洋文化の影響を受けた事象を発見することはで
きなかった。
鎖橋を渡り、右手から丘の反対側へ回って、王立劇場の下までタクシーが入った。
現地通貨を少ししか持っていなかったので、乗るときに料金はユーロでOKと断ってあった。運転手が「シックスティーファイ
ブ」と言うので、聞いていたより高いなー、と思いつつもチップを含めて80ユーロ払ってしまったが、とんでもない間違いで大
きな損をしてしまった。運転手は現地通貨を示したらしい。道理でしどろもどろしていたが、とんでもない気前のいい結果(約
3倍)になってしまった。旅先の不手際だが、運転手が喜べば、まあ致し方ないとしなければなるまい。
昨日丘に上っていないはなに、王立劇場の大戦による弾痕などを示しながら旧王宮である国立美術館に向かった。
国立美術館はクリスマスシーズンのイベントで特別展示があり、また2階のロビーでは20人ほどで編成された室内楽のコ
ンサートが行われていた。モーツアルトの「小夜曲」など3曲を聞いた。
展示されている絵画は、ハンガリー国内のものを集めたようで、私の知る作品はなかったが、中世の宗教を題材にした作
品群から王朝時代を経て20世紀のモダン分野まで時代を追って部屋が並びわかりやすかった。
1時ごろまで鑑賞して1回のカフェに下りて皆でサンドイッチとサラダの昼食をとった。
明るいカフェに座ってみると、それぞれの席にはいろいろな国柄の人々が寛いでおり、やはりヨーロッパの観光地だなと国
際色を感ずる。旧王宮の窓からは日の光が注ぎ、ここ2日続きの曇り空が晴れてきたことが伺えた。
外に出てドナウ川に面したテラスに立つと、やはり陽に輝く街は、昨日眺めた灯のともり始める頃と違った美しい風景である。
世界遺産の街は晴れた青空の下に平野の霞む遠くまで続いているように思えた。
王宮の丘から鎖橋の袂まで設置されているケーブルカーを使って下に下りようと思っていたが、旧王宮前のテラスからドナ
ウ河畔に降りる坂の歩道があまり美しい紅葉の中に続いていたので、私たちは背景を選び互いに写真を撮りながら語り合い
つつ下りた。思いがけない楽しいひと時を得た。
鎖橋の入り口に大きなライオンの像があったのでそこでも写真をとった。橋を歩いて渡っているとツアーの別の仲間に会った。
やはりグループで街を散策しこれから王宮の丘へ上るところだというので、美しい坂道のことを教えて手を振って分かれた。
渡りきってからルーズベルト広場を右へ回り、ヴェレシュマルティー広場へ行った。みやげ物や市民のショッピングで賑わう店
舗の多いヴァーツィ通りと呼ばれる歩行者専用の通りがあって3人の女性は時間を要求したので、私は広場の周辺を散策した
り、中央にあったモニュメントの前に座って街行く人を眺めていた。
人々の姿や特に若い女性の美しさには、今さらのように感じ入ってしまった。改めてスラブ系の人は綺麗だと誰かが言ってい
たことを思い出した。しかし一般の人々の服装は目に付く変わったところを感じなかった。これこそグローバル化して機構さへ
そう変わらなければ世界中同じようなものを着るようになったのかな、と思った。
買い物を終えて、地図を見ながらエルジェベート(エリザベート=ハンガリーに愛されたハプスブルグの王女の名)広場を左
手に見ながら地下鉄3号線のテアーク、フェレンツ、テール駅へ向かった。うっかり駅への入り口を200mも行き過ぎてしまい、
冷や汗をかいたが英語が通じる人がいて駅にたどり着くことができた。今度は自動販売機で切符を買ったのは良かったが、
入場の仕方がわからないでうろうろしていると、ちょうど改札を出てきた日本人家族が声をかけてくれた。切符は機械を通して
自分でなくさないように持っていればいいのだと教えてくれた。可愛いお嬢さんをつれた若い夫婦だった。転勤でブダペストに
住んでいるとのことだった。ちょっとした異国での日本人同士の触れ合いはとても気を和ませる。はなが持ち合わせの「ガム」
を女の子にあげると「ありがとう」と笑ってはっきり言う良い子だった。また、今度はホームでどちら側へ向かう列車に乗るのか
みんなで確かめ合っているところへホテルのショップのマスターである婦人が現れた。みんなでびっくりして近づくと、これから
夕方の出勤とのことだ。朝ショップでも気のいい相手をしてくれていたので、気安く話しながら一緒に乗りアールバードヒード駅
へ向かった。
地下鉄に乗るのは初めてで、私は朝の地下鉄駅で大勢の浮浪者を見ていたので、構内の様子も社内も気になっていたが、
どこにも浮浪者の影もなく、駅の構内も割合と綺麗だし社内もまったく穏やかな雰囲気であった。浮浪者は広場にも見当たら
なかったから日中はどこかに消えて、地下鉄に宿借りに集まるのだろうか。
17時10分東駅発の列車でウィーンへ発つことになっており、そのため3時30分にホテルのロビーに集まることになっていた。
私たちがホテルに帰ったのは、3時だったが、すでにツアーのメンバーは大半がロビーに勢ぞろいしていた。私の仲間の3
人の女性たちは、地下鉄で一緒になって親しさを増したショップの女性マスターに加勢するがごとく、他のメンバーとショップに
入りびたりで物色に時を費やしたようだ。ショップも思わぬ売り上げ増になったのではなかっただろうか。旅は道ずれ、世は情
けである。ホテルを出るとき私まで彼女からウインクを受けてしまった。
バスを降りて東駅の構内へ向かう。私にとってブタペストも思っていたより美しい印象であった。暗くなり始めた街に明かりが
灯ると、さらに美しさが増幅されるようだ。壁の彫刻がその彫の深さを強調されたビルの表情が車窓を流れていった。
東駅は週末の旅行客を集め混雑が激しかった。4本の路線が導入され、メインの建物はここもにルネッサンス様式のアーチ
を取り入れた壁と、ドームのような丸屋根の飾りのある建物だった。
電光掲示板がホームの端にあり、20分ごとに各地へスタートする列車のあることを示している。私たちの乗るウィーン行き特
急列車も定時の出発予定であることが確認できた。
10分前に列車が入線した。1等車は片側が通路で、会い向かい6人席の個室が並ぶつくりであった。グループ4人で指定さ
れた部屋に乗り込んでいくと、既に先客が3人座っていた。一人分足りないので戸惑ったが、事情がわからないので添乗員の
鈴木さんに手当てをお願いすると、先客の一人は切符を持たない人だったらしい。若い女性だったが、不機嫌な様子で出て行
った。何も不機嫌になることはないだろうと思ったが、私たちは心を落ち着けて席に着いた。言葉が通じないのは不便で、やは
り厄介なことだ。
先客の他の2人は男女のペアーで、パソコンを操作しながらビジネスらしい言葉を交わしていた。彼らはドイツ語で話している
ようだった。私がその側の隣に座り、英語で「不快な思いをさせてすみませんでした」と言葉を掛けると、「いいえ、全然!」と英
語で応じてくれ礼儀正しい人たちでほっとした。
ウィーンまでは3時間の旅。途中ジョールに停車したのみで国境を越えウイーン南駅に着く。地図は平原を表しているが、車
窓は暗いばかりで楽しめる風景もない。しばらくはその日歩いたプダペストの町を思い返したり、持参したデジタルミュージック
を聴いていたが、街を歩いた疲れもあってか、1時間もすると眠ってしまった。
目が覚めた時はもうウイーンの街灯りが車窓に映っていた。
旧王宮前のテラスからドナウ川と議事堂を眺める
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