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風次郎の世界旅
 懐旧の王国・中欧の旅
  [オーストリア・チェコ・スロバキア・ハンガリー]

music by ASAO虹の音色

       
      見事な彫刻壁が並ぶイシュトバーン聖堂へ向かう道       多彩な形をした独立広場周辺の建物                   

 (7)ブタペスト――その1―― 

           今日も空は曇っている。
           はなの体調が悪く、バスの最後部の席を譲ってもらって横になっていることにした。
           Mさん、Hさん2人の仲間や、グループの人たちが心配してくれ、日中は行動を控えめにした。結局ホテルに入ってから安静にする
          ことで、翌日は回復でき、大事にならなくてほっとした。仲間の好意はとても有難かった。

           ブラチスラバからブダペストへは約200km、ドナウ川の北側に位置するハイウェイを下るバスの旅だ。途中大きな都市もなく、平
          原の豊かな酪農地帯をバスはひたすら走った。
           小休止したのはガソリンスタンド、そこはまだスロバキアであったが、ツアーで小休止に立ち寄るスタンドのほとんどはコンビニエン
          スストアのようなショップが併設されており、簡易な喫茶コーナーもあって寛げるようになっていた。男くさく、体格の良い長距離トラッ
          クの運転手たちがお茶を飲んだり仲間と談笑している姿は、日本のパーキングエリアの風景と変わらなかった。
           ハンガリーへ入る国境の通過はゲートをくぐるだけ、監視人もいるかどうかわからないほど全くフリーでびっくりした。EUの構想は
          どんどん具体化しているようだ。
           やがてぽつりぽつり見えた農家に代わって、都会らしい建物が連なる風景が現れ、ドナウ川を視野に入れながら沿って走るように
          なると、川に向いた南斜面には整った住宅が並んでいた。住宅は瀟洒な別荘風の見栄えのするものが多かった。ハンガリーの首都
          ブタペストの近づいたことがわかった。
           バスは市中に入り、さっそく名勝の「鎖橋」を渡る。
           ブタペストはドナウ川をはさんで西がブダ、東がペスト。
           私たちはブダ側からペスト側へ渡った。真正面に芝生が広がっている。ルーズベルト広場である。その芝生を前に堂々とした建物
          はホテル、フォーシーズンズであった。
           バスは広場を迂回するようにして小路から回り込み、昼食するレストランの前に止まった。市街地の建物は、ウイーン、プラハ、
          ブラチスラバいずれに劣らず彫の深い彫刻装飾を施した見事な風格ある建物ばかりである。
           私たちの入ったレストランの建物もまるで宮殿のようなエントランスであったが、看板は屋根の掛かった入り口の壁に「DUMA」と店
          の名前が地味に出ているだけだった。
           ドアから赤いジュウタンが敷き詰められ、手すりのついた階段を2階に上がり、ホールのような客席でハンガリー名物の「グヤーシ
          ャ」というスープをいただく昼食であった。
           スープは小麦粉を入れてこってりとつくられているもので、豚肉の味とこくをたっぷり含んだラードが使われるとのことである。やわ
          らかい牛肉と野菜が一緒に煮込まれてはいる、かなりしつこいものであった。それぞれの店でユニークな味を売り物にするので、あ
          ちこち味わい歩く人もいるほどのものだそうだ。
           食通にはそのしつこさがいいのだろうかと思ったが、並みの日本人にはどうか。
           グヤーシャのあとロールキャベツが出た。久しぶりにわかりやすいものが出てほっとした。
           少しの肉とパン、それに何処も違わず甘いケーキのデザートであったが、もはや平凡に出される、パンのすこし塩の利いた香ばし
          さが一番口にあった。
           体調を悪くしたはなはほとんど料理を口にすることなく水ばかり飲んで過した。

           レストランの前は、カトリック聖イシュトバーン大聖堂へまっすぐ向かう通りであった。
           道路の正面に立つ聖堂は、中央にドーム型の、両脇に四角の塔を構え、ルネサンス様式の整然とした見栄えである。
           沿道の建物群も、それぞれヨーロッパの伝統を受け継ぐ石材が、ふんだんな彫刻を施して積み上げられた威風堂々たる並びで、
          中欧の名だたる都市にふさわしい壮観を見る気がした。
           聖イシュトバーン大聖堂は、初代ハンガリー王の名前を戴き、建国1000年を記念して建造され、1905年に完成したとのことで
          ある。聖堂の前に石畳を敷いた大きな広場があるので巨大には見えないのだったが、聖堂は8000人が収容できるほどのもので
          ある。そのドームの高さは建国の896年に因んで、国会議事堂とともに96mだそうである。
           内部はまた50種類の大理石を使って装飾されているといわれ、荘厳さと豪華さに圧倒された。

           バスに乗り込み、アンドラーシ大通りを通って英雄広場へ向かう。
           ブダペストの世界遺産は「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城、アンドラーシ通り」である。アンドラーシ通りは、ブタペストのメインスト
          リートで、2002年に世界遺産ブタペスト追加された。パリのシャンゼリゼを模した見事なプラタナス並木の通りで、建設を推進した
          当時のアンドラーシ首相の名が付されたとのことである。
           私たちは「英雄広場」へ向かった。
           車窓の左にオペラ座、右手にハンガリーと聞けば必ず思い浮かべる「ハンガリア狂詩曲」などの作曲者、ピアノの魔術師「リスト」
          の記念館が見えた。
           英雄広場は広大な市民公園の入り口に設けられ、建国100年を記念した回廊風のモニュメントで飾られ、この国の歴史を刻ん
          できた英雄たちの像を掲げてアピールしている。
           それぞれの像に、由来が説明されていたが残念ながら読み切れなかった。私にはその背後に広がる大きな池を含む緑の市民
          公園の存在が素晴らしく映った。

           その後、再びドナウ川を渡ってブタ地区へ向かい、王宮の丘へ上った。
           残念ながらはなは、大事をとってバスで休んでいることにした。

  
ブタとペストの市街(川向こう左塔は国会議事堂右塔はイ聖堂)       王宮劇場の壁に大戦による弾痕

           まずは「漁夫の砦」にのぼると、2階がテラス風の展望台になっていて、丘の麓に広がる夕暮れ近いドナウ河畔に広がる市街地の
          景観が手にとるように見えた。
           「漁夫の砦」というのは中世から城壁のこの部分をドナウ川の漁師組合が守り続けたと言う説からのようだ。現在の建築は1890
          年から15年もかけて建てられたネオロマネスク様式だそうで、円錐三角の屋根をつけた見張り台がユニークに目立っている。

           ハンガリーこそ大陸の中央である。東ヨーロッパの山岳地帯の中でドナウ中流に盆地状に開けた平原を国土とするこの国は、冷
          涼で乾燥した草原が遊牧に適した地理的条件を求めて、中央ユーラシアの民族のたび重なる侵入を受けた歴史をも経ている。
           民族の諍いは太古から続いたものであろう。ローマ帝国も帝政の初期から、属州パンノニアとしてドナウ国境を守る基地を置いて
          対処している。その地がここブダ、現在も王城の北、オーブダ地区にはその遺跡が残されている。
           ローマ衰退の後アジア系遊牧民、マジャル人によって建国され、ようやくイシュトヴァーンが王の戴冠を得、ハンガリー王国をなし
          たのであった。やがてオスマン帝国の興隆の手に下り、またハプスブルグ家の支配を受けるなど虐げられた時を繋ぐ。
           19世紀末、資本主義の勃興が民族主義を高揚させたものの、2つの大戦により社会主義による民主化と独裁制下の入れ替わ
          る困難な時代を余儀なくされ、いわゆる「汎ヨーロッパ、ピクニック事件」を契機に1989年オーストリアとの鉄のカーテン撤去によ
          って新しい民主主義が生まれたのであった。

           城内は、漁夫の砦の並びにマチューシャ教会があった。6層階、の上に尖塔を載せたゴチック。これもイシュトバーン王により聖
          母マリアに捧げるために建築されたもの。オスマン支配の下で装飾が取り払われたとのことであるが、現在は修復され、カトリック
          そのものであった。
           王宮の北側地区、一段高いその地域は庭園とこれらの施設のほか三位一体(キリスト教伝説)広場、王宮劇場などがあった。
           劇場の壁に第二次大戦の実弾射撃を受けた弾痕が無数にあり、その生々しさには衝撃を受けた。世界遺産閲覧者へのアピー
          ルでもあろうか。
           男性の、日本語が上手な現地人ガイドが広場に近くにあるみやげ物店を案内してくれた。そう広い店ではなかったが、HEREND
          の年代もの陶器がたくさん並んでいた。何かハンガリーらしいものをと思っていた私は、その店で1950年もののペアーのコーヒ
          ーカップを買った。可愛らしい草の模様であった。

           夕闇が迫ってきた。ライトアップされた旧王宮を見に行く。
           王宮は丘の上の一段低い場所にあって、正面の建物は国立美術館、博物館に使われている。現在の建物は15世紀ルネサン
          ス様式に改築されたもので1956年のハンガリー動乱の際ソ連軍に破壊されたが1980年再建されたものである。
           建物はとても気品あるものだし、玄関正面にはトルコ軍を撃退したハプスブルグ家のオイゲン、サヴィオ軍隊長の騎馬にまた
          がる銅像がいかめしく構えており、貫禄十分の宮殿であった。
           そのあたりのテラスから再び眼下を眺めていると、街の明かりがどんどん広がる時間になって「鎖橋」が輝き、川向こうペスト地
          区の市中心部も次第に灯りを増し、光の海を見ているようだった。

           今、ハンガリーに王族はいない。国敗れて山河ありではなく、民主主義が正しく起こったのであろう。
           それは、今回の旅では、関心を持ったハンガリーの経済が、折角EU加盟のスケジュールが進んでいるにかかわらず通貨の安
          定性を欠き、頓挫しそうなことをきいていた。しかし、にもかかわらず、人々の表情には暗さが感じられないこと、に、少し違和感
          をもったからだ。
           もしかしたら、人々の心には歴史的に長い間の虐げられた生活に比べたら、たかが経済の波による破綻など、心を痛めるには
          足らないことだとの意識が、知らず沸き起こり、それに支えられているのかもしれない。
           しかし、歴史遺産の殆どが、統治者の権力によって創られたことも事実ではあるのだが――。
           王宮を下ってバスに揺られながら、時代を渡っていく事の不思議さを思った。

           その夜は、予定ではドナウ川のナイトクルージングであったが、私とはなは皆と離れ、ホテルで休むことにした。ドナウ川クルージ
          ングの様子はMさんや、Hさんから聞いた。川面に映る光の中で、ブタペストのシックな雰囲気を味わうに絶好だったようだ。


ライトアップされた旧王宮

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